アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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サガンとデュラス アリアドネ・アーカイブスより

サガンとデュラス

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 かって十八歳の少女の衝撃的なデビューとも云われたフランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』を今日改めて読むと、フランスの伝統的な恋愛小説の最後の作家だ、と云う感が深い。
 従来この小説は映画化されて、セシルカットと云うボーイッシュなファッションで話題になったが、本当の主人公は、小悪魔的セシルによって罠に掛けられて不可解な死に追い込まれていく、父親の愛人・アンヌである。
 家庭の中心に妻なる座が不在で、それで父と娘は潤沢な資産を基に自由気ままに生きると云うのが、戦後の上流社会の風景らしいのだが、様々な一世を画する戦後的な衣装にも関わらず、滅びの道を歩むアンヌの人間像はまるで古い館か忘れ去られた古城の応接間に掲げられた年代記肖像画であるかのように古めかしい。ここに云う古めかしさとは、ステロタイプとしての絵にかいたような古めかしさではなく、自分に掛けられた嫌疑や罠のあれこれを薄々と知りながら、それに抗うことをまるで断念したかのように、運命が定めたものを追認する、その素直さである。まるで高貴さと云う言語以外は知らないかのように、まるで無抵抗のまま滅んでいく。いこの絵にかいたような古典主義振りが、遥か昔のシェイクスピアの様ざまな戯曲のヒロインの生き様を思わせるのである。
 フランソワーズ・サガンの古めかしさは、描いたヒロインの人間像だけに留まらない。彼女の抱いていた人生観なり恋愛観が、十九世紀までのフランス文化が抱いた愛についてのエッセンスの最後の残照と余香のようなものを留めていて感銘深いのである。人生様ざま、人様ざま、ひとは与えられた環境と運命の相の下で如何様にも多様に生きることができる。悲観的にも楽観的にも、多弁にでも寡黙ででも、そして内省的にでも行動的にでも、あるいはサガンが描いたように虚無的にでも!語ることは出来る。しかし快楽と享楽的生き方のなかに己を失ったにしても、愛そのものに対する信頼は失われてはいない、と云うのがフランス文化の伝統の一方にはあった。かかる意味では、サガンは、フランス文学とフランス文化の伝統に位置する最後の作家であったと云う気がしてならない。なぜならこれ以降、愛がこのような形で描かれたことはなかったからである。
 
 それではサガン以降、愛はどのように描かれたのだろうか、その問いに対する答えが、例えばマルグリット・デュラスの場合である。
 デュラスがインドシナと云う植民地出身と云うことは象徴的である。愛についての伝統的な関係から絶縁されたところに、デュラスの愛の世界は成立する。それは愛と云うよりも被虐の愛であり、人間的なものに対する無機性としての愛である。
 代表作『モデラート・カンタービレ』に於いては、主人公たちの出会いに先立ってあった、痴情事件めいたものがあった。しかし二人の男女は、世間の冷たい観方にも関わらず、狂気と背中合わせの愛の燃焼を事件そのもののなかに見出す。はたして自分たちは、かくも過酷な愛の純粋性ゆえの燃焼や狂気にもにた愛の気圧によく耐えることができるだろうか。過去の魔術的なと見える痴情事件のまわりをめぐって同心円的に愛の同時性を生きようとするのだが、黒ミサめいた二人の儀式には最後の何かの一歩が足らない。事件は最後に酒場のあの血痕が残った板張りのうえで足踏みをし、二人は亡骸のようになった自らの骸を引き摺って、人生と云うドラマから去っていく。
 
 つまり古典期の愛のようには愛はもはや生きれないと云う思いが、一方ではサガンのように、古典主義恋愛小説最後の、愛についての絶対的とも云える信頼感の相の元に描かれることもあれば、デュラスのように愛に対する老婆のような干からびた魔女めいた嘲笑!でもって終わりを告げる、と云う終わり方をすることもある。
 二人が活躍した1950年から60年代とはそのような時代であった。余談であるが、かかる二人の体質の違いが68年のパリ革命に於いてのコミットメントの違いを生むことになる。破壊と変革を熱望した世代に支持されたのはデュラスのほうであった。

公民はどこにいるか?(再々録) アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 
2011年の同名の記事は、
2015年の安保関連法案可決の10月にも
一度再録していますので、
今回は、再々録と云うことになります。
いまこそ公共性とは何であるかを語った
インマヌエル・カントに注目を!
 
 
 
◆ ◆ ◆
 
2011年の同名の記事を再録します。
この中で、わたくしの公民はどこにいるか?
というやや悲観的な問いかけは、
今回の安保法案をめぐる、永田町の黄金の日々の中で
ある意味で払拭された、とも言えます。
公民は国会正門の前に、議事堂の中に、
渋谷のハチ公前に、
そして全国の津々浦々にありました。
 
@@@
 
 昨今、カントの「啓蒙とは何か」や「永遠平和のために」が中山元さんの新訳で有名になりました。
 
 カントは公共性の所以を不言実行ではなく、公開の場、で語ることの重要性について考えました。いわは思惟を言葉として形に現わすことによって見えてくる世界の可能性に気が付いたのです。
 ご存知のように主著「純粋理性批判」は思惟の法則性と限界について、それを主として権利問題として語ったわけですから、単なる思惟を乗り越えること、つまりプラトン以降西洋市民社会を大きく規定していた、”知ること”に根拠を置いた認識論を確信を持って踏み越えたのです。
 時にカント、人口数万のケーニヒスブルグという町に生まれた世界最初の”職業的”大学教授殿は、70歳前後だったと思われます。
 
ところで公共的に”語り得る者”とは誰か?
 
 これがなかなか正確に理解されなかったようです。
 カントは公共性に於いて語ることについて「啓蒙とは何か」の中で有名な比喩を使って説明しています。彼は凡そ次のように言います。
――自分は意見を求められた場合に、単に大学教授の地位とステイタスに於いて語るのであれば、それは公共性に於いて語ると云うことではない、学者として、世界公民的見地から語る場合のみ、公共性において語ると云いうる、と。
 
 カントが生きた18世紀末の晩年は、ちょうどフランス革命以降の啓蒙期に影が射し世界史が大きく方向を変えつつある時代でした。学者としての世界的名声にもかかわらず田舎町で静かな余生を過ごすことにしていた老哲学者の些細な行動のいちいちに当局はいら立ちを隠さず目くじらを立てました。宗教世界も一致して今後聖書については一切彼に語らせないことを当局に約束させたのです。
 
 一方、目を諸外国に転ずれば革命の輸出国、本国フランスではジャコバン党の台頭と内部分裂によって人権思想の理念は大きく後退し、革命に感激した若い世代の失望感を広げつつありました。カントの「啓蒙とはなにか」は、かかる外憂内憂の時代閉塞が高まりつつあった時期に公表されたのです。
 
 公開の場で語るとは何を意味するか。これは先回のアンチゴーネの場合にも言いうることなのですが、公開の場で語るということが大事なのです。行為もまた実効性のあるものではなく象徴的な行為であることでも十分なのです。
 
 カントの公開性において語るとは、主観と客観、理論と実践、一方的に加工される受動性としての自然と欲望の体系としての資本の論理と実証的・実験主義が語る、いはゆる”科学的”なものの考え方が前提している閉鎖系の論理的枠組みの限界についても語っていると思うのです。
 
 啓蒙期の理想が大きな反動の波に洗われるつあった18世紀初頭における老カントの一徹さ、彼の世界公民的見地もまた象徴的な行為の域を出るものではありませんでした。
 
 公共性とは何か?世界市民的公民とは何処にいるのか?カントのいっけん老いの繰り事にも見えるようなこの問いは、夜空の星とわが心の内なる道徳律ほどにも老いた哲学者の内なる心の世界では屹立しつつ孤独でした。
 
 カントは迫りくる老いの器質的疾患――最近の研究では認知症だともいわれています――への不安な兆候と、追いつ抜かれつの、真横一直線に雪崩れ込む死神とのデッドヒート劇を予感しながら、乾坤一擲を最後のこの瞬間に籠めました。老いとは円熟や円満という名のものごとの終わりなのではなく、最晩年に向かって、却って精神が若返ると云う逆転劇が、世界史の一角で一人の男の精神を舞台に、人知れず起きていた、と思うのです。
 
 
原文は次のとおりです。

二人の一葉 あるいは「闘う一葉」について アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 樋口一葉には二つの側面がある。一つは一千数百年に及ぶ日本古典文学の掉尾を飾る古今源氏由来の、手弱女の流れを汲むものとしての物語作者の側面である。いま一つは、擬古典的な文体と文飾を巧みに使い分けながら、近代の問題、とりわけ、それを子供の視点――絶対的な受動的受苦としての非投性の立場から――描こうとした近代作家、己の実存の在り方を拠り所として示す、闘う知識人としての一葉樋口夏子のことである。なぜに一葉が近代作家の魁となるかと云うと、彼女の文学に描かれた子供の描き方が、近代そのものの到来を意味していたからである。補足するならば、後年、「子供」と云う概念は近世・近代のこの世のことで、それほど古い起源を持つものではないと主張した柳田国男に連なるものが彼女にも感じられる。また一葉は、定在的あるいはかかる静態的な立場を越えて、子供と云う極限的にして絶対的受動性と云う立場から世界の構造を考えようとした近代作家としての違いはあるにしても。
 確かに、巧みに過ぎると云う点は、贅沢な話だが長所にも短所にもなりえよう。もし代表作とされる『たけくらべ』があれほどの完成度に達していなかったならば、鏑木清方描くところの、通念通りの樋口一葉像はかくも強力には定着しなかったに違いない。最後の日本人として、封建制道徳に殉じながら、他方において倫理道徳の非合理さを、理不尽さを見据え、時には荒々しいまでの嫌悪感と軽蔑とを「冷笑」的態度のなかに仄かに浮かべながら――女性の復権などと云う短射程の問題提起においてではなく、普遍的な人類として、類としての人間を、性としての女を、そして時間性としての子供世界の固有さを考えた、血が出るような、生々しい女性像について忘却する、などと云うことはなかったに違いない。一葉の文学について語るとは、『たけくらべ』一作のみを語れば十分であると云うようなことを口吻に漂わす、ある女流作家の自信たっぷりの言い分など、先入観を前提とした、歴史性をみない、浅はかな一葉理解に過ぎないことは間違いないことだろう。
 数年前、三ノ輪にある一葉記念館を訪ねたおりに感じたのは、あれほど廓の社会について描き得た一葉にとって吉原は過渡的な通過点に過ぎなかったことだった。一葉の痕跡を、見栄えのしないありふれた東京の下町風景の中に探しても無駄であった。歴史的風雪が全てを変えてしまった、とは言いながらも、下谷龍泉寺町三百六十八番地の生活は九か月に過ぎず、よそ者ゆえに鮮明に脳裏に焼き付いたのかもしれないし、あるいは過ぎ行く旅人の眼でこそ瞬時に全容を見透す、と云うことは、天才にはままありがちなことなのである。
 小説の完成度ゆえに女としての、生理的体臭を醸しださせる人間・樋口夏子の映像は見分けがたくなっているが、『十三夜』、『大つごもり』、そして『にごりえ』においてこそ、日本近代文学の黎明を先駆的に予告する、闘う戦闘的一葉像は、ここにその先鋭的な戦端を開いた、と云うべきなのである。
 『十三夜』、『大つごもり』、『にごりえ』の有機的な関連性を見よ!『十三夜』の若妻が離別を思い諦めるのは託された子供の夢ゆえにであり、『大つごもり』の少女が運命に対して果敢な態度をとれないのは子供の世界の固有さゆえにである。最高傑作『にごりえ』の売れっ子酌婦があるいは心中と、見ようによっては観れるし、そうともとれる両価と両義性の間で、背後から袈裟懸けに両断に切られ人間としての最低の死を死んでいく哀れさも、憐れさを留めながらもなお、狂気の世界に一歩踏み込んでシェイクスピア的悲劇的決断を己が実存としての身をゆだねるのも、子供の世界と云う、――非投性としての義務と権利が極限において乖離する世界構造の根源的不合理!として――固有なものの価値ゆえにこそであった。彼女の近代文学者としての先駆的姿勢は、世紀末的同時代人として『カラマーゾフの兄弟』のイワンとアリューシャの対話を彷彿とさせ、酷似してきているのである。
 子供の世界は、大人たちが懐古的に観るような無邪気で無心であるばかりの世界であるわけがない。はたまた、チャールズ・ディケンズの時代に描かれたように子供とは単に「小さな大人」であるわけでもない。子供でも大人でもない、端境期に固有な世界、マージナルな境界性にこそ実存として佇つものの意識の底流を流れる時の過激な過逝くものとしての過渡性こそ、アイデンティティとしての青年期や思春期の「発明」とともに、柄谷風の言い方をまねびて言うならば、「近代」に固有なものなのである。

10月のベスト・10につづくもの (~21位近傍)

 読んでいただきたいもの、眩暈がするほど輝かしいビッグネイムの数々がここに綺羅星のように華やかに犇めいています。

 

 数え上げてみると、――樋口一葉! ヴォルフガング・フォン・ゲーテ! 青山昌文の芸術史! 夏目漱石森鴎外! ヴァージニア・ウルフ! ヘンリー・ジェイムズ! ウィリアム・シェイクスピア! 小磯良平の絵画!

 

 村上春樹と私のサイクリング日誌「福岡市東区三日月湖」を除けば、読んでいただきたいもの、触れていただきたいものばかりです。また、私の拘りや偏った見方、拙い読書経験を考慮に入れても、ここにはそれだけのものがあります。紹介者の個性や性質などはものともしない!天才とはそういうものです!

 

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柄谷行人のマクベス論を批判的に回顧する アリアドネ・アーカイブスより

 
 
1.
 人間は如何なる時代に於いても 意味 を求めてきた。例えば、わたくしたちはどこから来て何処へ行くのか、とか、この世に存在する意味はなんであるのか、であるとか。しかし意味に憑かれ、意味が認識や行動の主体だる我々から独立して、意味自身があたかも一つの人格を持ち、逆に、われわれを「対象」として、「もの」として反作用を及ぼしてくる、という時代は確かに、近代-現代に固有の現象であったかもしれない。
  意味を求めづにはおられない人間存在の様式、過剰に意味付けられることから来る閉塞化、・・・・・
 
 以上が近代以降の時代と意味の関係をめぐる柄谷行人と云う先鋭的な評論家が、とりあえずはシェイクスピアマクベスを論じる地平と云うことになる。ただ惜しむらくは柄谷の姿勢の偏りは、意味の自己疎外(意味の物象化)、――ヘーゲルであれば自己外化とでも呼んだろうものの存在を、あくまで自意識の延長線上で、過剰な意味に囚われたもの達の、意味に憑かれたものの悲劇として問題を提起したことだろう。それで柄谷のマクベス論は思わせぶりの大型の問題提起を予想させながらも、なにゆえシェイクスピア四大悲劇のなかで『マクベス』のみが異質であるのかと云うことを、単純に、意味付けられることの拒否、として解いてみせたのである。間違ってはいないとわたくしも思うけれども、逆に言うと、これで彼が何を言いたいのかが分からないのである。1970年代の初めと云う時期に、こうした問題提起をすることの動機の固有さが分からないのである。
 
 意味付けられることの拒否!と云うことだけであるならば、わたくしよりも一つ上の世代――つまり柄谷たちの世代以上とフランス実存主義との関係について、いまさら蒸し返さなければならないのだろうか。この世代にとって一時バイブルの如き存在でもあったサルトルと、とりわけ小説『嘔吐』の関係を想い出しさえすればよいのである。
 『嘔吐』と云う小説は、あらゆる意味連関を離れたぞれ以前の生の原質、――「原存在」としか言いようのない、現象に先立つものとを遭遇を描いた物語である。無為に日常を過ぎる高等遊民アントワーヌ・ロカンタンはマロニエの樹の根っこを観ながら存在の原質に直面し、名状しがたい気分に襲われて「嘔吐」する。原存在とは、カントの物自体のようなものである。題名の由来はここから来ている。
 しかしこの小説はここで終わりではなく、――確かに柄谷の言いうようなヨーロッパ特有の原形質遺伝、つまり「意味付け」と云う、二段階目の跳躍に挑戦しようとする。それがあの美しい小説の終結部、アントワーヌ・ロカンタンの信条告白と『嘔吐』のエンディングなのである。曰く――現象は存在に先立つ!
  或いはアントワーヌ・ロカンタンの今後を敷衍して言い換えるならば、そもそも「本質」なり「絶対的な真実」など存在しなかったのである。それらは尾鰭背鰭をつけた中世の形而上学的遺物、亡霊に過ぎない。むしろ我々は物事に本質がなく、人生に意味がないと云うことを積極的に認めて、人生は空白と主張してもよいのではなかろうか。それは意味を奪わたものの悲劇なのではなく、むしろ書き込むことが可能な白いキャンバスの如きものが人生なのであり、それが自由と云うものの意義なのではないのか。そこからサルトルは、人間とは投企する存在である、と云うことになる。つまり人間とは自らの無記名な未来の空白に「投げる」存在なのである。つまり人間とは、己を未来に向かって実現しようとする過程においてだけ存在する時間的存在なのである。
 
 つまり柄谷には釈迦に説法の如くかかる第一次戦後期の言説を蒸し返すことは気の毒なのであるが、しかし文芸論としての土俵としては、一段ロケットか二段ロケットかという違いに過ぎず、意味をあくまで主体性論の枠組みの中で考えている点では同じだと云えよう。むしろ柄谷の言説は不可避的にサルトルの自由論の方向へ分岐して行く可能性が一方には確実にあるわけだから、何らかの形でサルトルについて批判的に言及すべきだったろう。
 むしろこういう議論はフランス実存主義が華やかなりし時代に済ませておくべきではなかったか、わたくしが先に柄谷が1970年代の初めごろにかかる言説を開陳することの意味が分からない、と云ったのは以上の意味に於いてである。
 
 意味作用なり意味付けを、あくまで主体性論なり自意識とを絡めた関係で解こうとする柄谷たちに固有な問題提起なのであるが、もともと事象や物事を大なり小なり意味付けられずにはおられない人間にとって意味作用とは、任意に意味付けたり意味付けを拒んだりできる主観性のレベルの選択の問題ではない。意味付けを拒む、あるいは意味付けられることを拒否すると云う姿勢ですら、雄弁な意味作用なのである。これは人間が言語と云う媒介手段を用いてものを考えたり行為をするという、人間存在の根幹に係る次元の問題であって、意味付け意味付けられることの呪縛は、自分の影を飛び越えることが出来ると空想するのに等しいほど愚かなことなのである。
 それは人間存在が言語を用いるかぎり、言語を言語を用いて乗り越えることが出来るかと架空的に問うことと同様に、ヴィトゲンシュタイン的な意味で、ナンセンス!なのである、と云うことは柄谷にしっかりと云っておかなければならないだろう。
 
 『マクベス』冒頭の魔女たちの有名な呟き、――「きれいはきたない、きたないはきれい」は、言語や論理の自律的法則は、現実との裏付けを失った場合にあらゆる価値転倒が可能であることを語っている。その価値転倒を柄谷がシェイクスピアに固有のリアリティであると言い張るならば、彼は彼自身が深刻な影響を受けたという70年代初めの連合赤軍派の事件の影響の影から一歩も逃れ出てはいない、と云うことを語っている。「きれいはきたない、きたないはきれい」の論理がまかり通った結果、あさま山荘で、大菩薩峠で現実に何が起きたのか!
 
2.
 ジョージ・スタイナーが『悲劇の死』と云うことで言っているのは、言語の変質の過程で悲劇を担いうる巨大な人格が歴史から失われたという意味である。悲劇の死とは、ギリシアの演劇と比べて、一神教キリスト教のヨーロッパ的システムが所詮は悲劇を不可能にさせダンテの場合のように「喜劇」にしかならない、という悲劇/喜劇論と言う表面上の分類だけを意味しているわけではなかった。
 この悲劇論の彼の感慨は、アウシュヴィッツ以降を問うと云う彼の思想家としての姿勢として一貫している。20世紀以降に起きた出来事は、言語に絶すると云う意味で、柄谷とは違った意味で意味付けられることの拒否を人類は歴史の側から受けとったのである。
 
 ヒトラーや東条とそのシンパシーたちは、マクベスのように、罪ある行為を自らの意志とは異なった、自己意識の外部にある名付けようもないあるものが追行するがままに是認したのである。ちょうどマクベスが自らでないもののの手によって次々と侵される殺人を悲劇の「当事者」として「傍観」していたように。
 それゆえアイヒマンは罪を感じることがなかったのであろうし、罪を感じることがない不感症の者どもが多く戦後という時代を生き延び、生き延びただけでなく戦後社会の復興の過程で枢要な役割を果たすことになるのである。「偉大なる我がお爺様」岸信介のように!ハンナ・アーレントは「悪の凡庸さ」と最高レベルの皮肉をぶっつけたが、人類史の課題はそこに留まらなかった。
 きれいはきたない、きたないはきれい、――いま平和憲法とテロ「等」準備罪法案をめぐって国会で論戦が繰り広げられている。憲法条項の「きれい」を「きたない」へ、条項外部の「きたない」を「きれい」へと輸血し入れ替えようとする、マクベスの追従者とその子孫たちが我が国の永田町に居る。この者たちは自らの意思で考えているように自分では思っているけれども、言語から疎外されているために、自らの成しうる行為が自動的なオートノミーに動かされてでもいるかのように、自分自身の臨んだ成り行きを他人のように傍観するのである、マクベスのように!
 たとえ失敗しても、それを主体的意思に於いてしっかりと執行したという記憶がないため反省をすると云うことも不可能なのである、これもマクベスのように!舛添要一石原慎太郎安倍晋三、昨今メディアを沸かせる人物に共通する言動は、自らの行為を自らの意思に於いて決断したと云う記憶を持たないと云う、マクベス的な様態においてであることは、象徴的とも云えよう。柄谷の他の著作の題名を騙れば、まさに「畏怖する人間」たちだと云えよう。
 柄谷行人が1970年代にマクベス的人間像に興味を寄せたのは皮肉ではなしに先見性があったのである。知的不誠実と云う意味で、ABEと永田町のお仲間たちだけに該当すると云う、極めて特殊な限定項をつけてではあるが、今ごろになって氏のマクベス的人間像が現実性を帯び始めたと云うことは、笑って済ませる問題ではない。
 
3.
 結論がかくの如きのものであれば詰まらない、永田町の話に拘泥したと思われても心外なので、もう少し続けよう。
 ジョージ・スタイナーが『悲劇の死』で語っているのは、悲劇は繰り返し起こっていながらも、歴史とそれを担う人物との関係が根本的に変化した、と云ことである。悲劇に釣り合うことが出来ない小ぶりの「悪の凡庸さ」に担われたとき、歴史がどのような要素を呈し、どのような邪悪な現実を呼び寄せたか、と云うことを語っている。
 スタイナーが次に語っているのは、絶えず創作するもの側が提供する遂行過程において、第三者の眼とも云える観客や舞台装置をめぐる演劇的言語の衰退と、入れ替わるようにして登場してきた叙事的小説的文体のなかで、言語の機能として何が得られ、何が失われたか、と云う点である。
 前者は政治哲学の領域であり、後者は言語と文体論の問題である。わたくしが今回特に主張したのは、後者の散文に関する話題なのである。
 近代の散文的小説的文体は背後に神の如き作者の位置の偶像崇拝が認められて、長らく文学研究とは如何に作者の意図を正しく正確な位相の元に取り出しうるかと云う読解の営為と等値されてきたのである。ここでは確かに柄谷の言うような、意味を求める言説が卓越して来ることを見るのは容易であろう。ここから柄谷が近代に固有な現象としての意味の過剰と云う問題点を取り出して来たことも一定の必然性があったのである。問題は、ここから彼が意味付けられることの拒否、と云うテーマを短絡的に選んだことだろう。わたくしたちは意味付けられるこのと過剰な要請を他に代わるものとして、史料批判とか科学的客観性と云う手法で修正することはできるけれども、意味するもの意味されるものの根絶と云うことを一個の言説として立論することはできないのである。
 むしろ「悲劇の死」と云う事態のなかでわたくしたちが失ったものとは、ルネサンス以降の近代史的な展開のなかで形而上学や神学的権威にたいする批判作業に倦んで、近代小説や散文精神のなかに機会あればと窺がいつつある作者の超越論的な立場の是認が、古びた神学的な装いの再現ではなかったか、と問うことなのである。そうして文学だけではなく、科学的立場と称されるイデオロギーを超えた不偏不党の立場のなかに含まれる形而上学的な残滓、科学の体制依存に陥りやすい言語としての脆弱さに無関心であってはいけないと云うこと、意味祖述だけに拘りがちの散文精神のなかに、如何にして多元性を再現し、復元していくかと云ういことが、文学の問題に限っても今日問われていることだろう。
 話しをシェイクスピアに戻せば『リア王』は新旧の時代の交代期にあって古い時代の倫理に殉じたものたちの物語である。リア王は倫理や道徳よりも自らの都合の方を優先させる時代の到来を呪ったけれども、これを言語とすることはできなかった。『マクベス』もまた時代の端境期を描いているけれども、新旧何れの時代にも生き得ない男の不意決断を描いている。男の逡巡の過程を、現代的な悩みである、リアリスティックだと柄谷のように評価することも可能だが、問題は意味や言語からの逃走ではない。『ハムレット』の登場人物たちのなかの枢要なもの達は、マクベス的非決断の立場を、自らがずるずると流され成し得ている行為に対して、最後は主格としての主語を与える。つまり意味は回復され、悲劇を引き受けると云う行為のなかでひとは人間となるのである。
 シェイクスピアの四大悲劇のなかで哀れを留める人物と云えば『オセロ』のデズデーモナであろう。彼女は自分が最愛の夫に殺される理由もわからず、殺さないで!と懇願しながら死んで逝く。こうした悲劇は歴史を見ればその表裏に関わらわず幾多見出されたであろう。このような人間は現実にも人生にも救われなかったがゆえに、生き残ったものたちの間に、思い出の言語として語られるほかはないのである。言語は人生や歴史よりも少しほど大きく、間違っても意思疎通の手段としての媒体なのではない。たとえ人は死んでも思い出の言語のなかで、死を生きると云う死者たちのもう一つの人生が始まるのである。
 
 
 
(使用したテキスト)
柄谷行人『意味という病』 昭和五十四年十月初版印刷・発行 河出書房新社
 
 

死の影の谷を生きる 古代の殯について

 

 大切な人を亡くして、墓参りが欠かせなくなった人たち、死者の思い出に曳きずられて悲嘆の日々を送る人々の気持ちはわかります。しかし私の悲しみはそのような形をとることはなく、外見的にはそっけなく、傍目には冷淡にすら映ずることもあったでしょう。

 端的に言うならば、私は生の世界と死者の世界の間には、お葬式の他に、嘆き悲しむ機関としての、古代人が生きた殯という固有の期間と時間があるのではないのか、と考えているのです。

 

 どうして、何故に多くの日本人たちの遺族の多くと私の死の悲しみ方が違ってしまったのか。それは殯の期間をどのように評価するかの違いに寄るのだと今は考えているのです。

 

 殯とは、をれを死者の側から見れば、死者が死者の死を生き、死者が死者の死を死に切ることを、つまり死者の死後の固有な機関と時間とを意味しています。同様の過程を生者の方から見ると、やはり死者の死を生ききることをもって死者の殯をこの世に於いて支える、という意義と役割があると思うのです。これを憑依と呼びました。

 つまり死者の意志と残された者たちの思いが連動しなければ、死は成就しないと思えるのです。

 

 殯の形式は複雑なので誰もができるわけではありませんから、通常は生と死の世界に結界という名の線引きをお坊さんなり牧師さんがしてくださるわけです。その場合は、死は一貫して自分の外側にありました。

 

 殯では、死は憑依という形をとって遺族の中に入り込んできますので、死は自分の内側にあります。遺族は死者が生前なにを望んでいたのかなどの思いを通じて、死者の死を生きるのです。その死を生きる機関と時間を殯というのです。

 

 ですから殯とは、死者との恭労作業なのであって、それを生の世界の方から見れば、遺族が死者の死を生き、死者の死を死に切ることによって殯は完了するのです。

 古代においても殯の期間は定められてはいませんでした。定めることができないのです。遺族の中で選ばれしものとしての喪主が死者との交感のなかで自ずから了解として腑に落ちるものがあった時、殯は明けるという表現をとったのだと思います。

 

 仏壇であるとか、墓に額づく行為は、殯が開けたのちに人々が取る行為ではなかったか、と考えているのです。

10月のベスト・10 (6位~10位)

 

 6位に私のサイクリング日誌が入りました。何年か経てば懐かしい夏の日の思い出として思い出すこともあることでしょう。また、走りたくなりました。

 これも含めて、いずれも過去にランクインされたものばかりです。ゲーテシェイクスピア漱石や鴎外、一葉やオースティン、サガンやデュラスを論じたものが入ればと、欲深くも思っているのですが。

 

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12591247828.html

 

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505534969.html

 

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505536842.html

 

https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12510857022.html

 

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https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12511881724.html