アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

フランス映画の素晴らしさ――芸術と倫理 アリアドネ・アーカイブスより

 
 フランス映画の素晴らしさと云うことになるとフランソワ・トリュフォーの幾つかの作品が思い出される。しみじみとした抒情と云う意味ではマルセル・カルネの『マンハッタンの哀愁』やロミー・シュナイダ―の『離愁』は美しすぎてかえって文字通りのフランス映画であると云う気がしない。『ジェルブールの雨傘』や『シベールの日曜日』なども美しいけれども現代の映画と云うよりも擬古典性が目立ち、もちろん映画でしか描き得ないと云う意味では疎かに出来ないけれども、ここで云うフランス映画と云う語感とは少し違う。やはり戦後のいまだ完全に安定化しているとは云えない、それでいてもはや冒険の時代は終わったかのような恒常的安定化へと向かうフランス文化の、過渡的なヌーヴェルバーグの反抗的な姿勢を仮にここではわたしのフランス映画らしさと云う風に定義しておく。
 
 そう云う意味でフランス映画を考えた場合にルイ・マル監督の1959年の『恋人たち』はいま見ても衝撃的である。あるいはいま見るからこそ衝撃的である。何が衝撃的と言って革新的な映像やいっけんアプレゲール風の人間群像が衝撃的であると云う意味ではない。むしろこれを「映画ですよ」と思わずに現実のこととして考えた場合に映画の背後に隠されたモラル感は吐き気を催すようなものであると感じる感受性を持っているのかどうかという点を問うているのである。むしろ現代の過激な色恋を描いた映画ばかりを鑑賞していると、ルイ・マルなどの映像世界の背後に秘められた倫理観の不愉快さや宗教性が目に付かないのかもしれない。それほど現代は主題を選ばずある意味での価値からの自由と解放感に満ちているとは云えるのだが、むしろこの映画が映像の言外に語る倫理観が持つ革命性が見えにくいものとなり、皮肉なことに現代の管理された性愛観を一つの参照項とする歴史的結論として在る、といったらひとは驚くだろうか。
 
 映画は家庭生活に満足できないブルジョワジーの妻が、ふとした偶然から内輪のパーティーの客となった行きずりの男と出奔してしまうとと云うシンプルなお話しである。お話しだから聞き流して良いと考えるならばその人の感性は本質的にフランス映画と云うものに不向きなのである。
 芸術鑑賞の世界に道徳観を持ちこむことはこの国の世界では禁句だが、倫理観なしにこの映画を見ると頽廃的な風俗ばかりが見えてしまう。中年男女の不適切なよろめきを描いた映画に、もしかして宗教的な殉教の世界を読みこもうとすることは途方もない妄想か言語道断の錯覚であるとひとは感じるかもしれないが、宗教を信じるとか信じないとか云う以前に”宗教性”とでも呼べそうな概念を念頭に置かないとこの映画を正しく理解することはできない。
 まずヨーロッパで云う”現世”とか”世俗”と云う意味が正しく理解されていない。この世を超えた世界があるのかどうか、それは個人の考え方の違いであると云うことも出来るが、世俗を超えた世界の存在がそれが不可視であるがゆえに信じないと云うのと、まるで存在しないものとして思惟の領域からその部分だけが脱落するのとは相当に意味がことなる。云わんとすることは両者においで同一でも、判断を下す背後の思惟の容量の大きさが余程違うのである。
 
 さて、世俗を超えるものとは聖なる領域のみではない。悪の存在もまた正常なる物の世界に対立する。この世的なものの領域を思惟するものの全体の外側に越境しようとするとき、聖なるものと悪なるものの違いは事実上見分けが付かなくなる、ここに芸術と倫理を語る場合の難しさがある。
 映画の中盤でクライマックスとも云える銀色の月光に照らされた水車小屋のほとりで人妻は自らの来たりつつある運命を予感として受け入れるのだけれども、これをカソリックの公式論から来る単なる悪なるものの誘惑なのか、それともその極北に位置する宗教駅回心、つまり愛の殉教的態度としてそれはあるのか、聖なるものと悪なるものの現前と云う二つの事態の違いを人間の実存は区別することができない。
 
 こうしたヨーロッパ社会に普遍的に内在する宗教性と云うものを前提に置かないと本当の意味でのフランス映画の美しさは理解できない。最後の場面で夜明けの簡易食堂のようなところで食事を終えて店番の少年から釣銭を受けとる場面がある。皿の中に差し出された僅かばかりの小銭を男は丁寧に拾う。この場面は既に二人の心理がバラバラであること第二に今後二人が僅かばかりの小銭をも大切にしなければならないと云う未来の生活を暗示するとともに、映像からはスクリーンの右手に消えた少年の残像を目で追う人妻のふと垣間見せた所作において、家庭生活が決して価値がないものとは考えていなかった人たちのドラマであると云うことにおいて哀切なのである。
 
 当時26歳の映画監督ルイ・マル、自分の実際の年齢よりも10歳も上の男女の機微を描いて過不足ない。これはマルが上流階級の出自であることも無関係ではないであろう。上流階級とは同時に様式として人間を描き得る場であるからだ。加えて凍りつくようなヌーヴェルバーグ風の耽美的な映像表現、しかし反面、生身の、血の出るような人間を描いたと云うことに驚かされる。ここに血の出るような人間とは、運命を自らの主体的な選択行為において選んだとき、後になって感情的な理由を云い立てないと云う意味である。あの月夜に照らされた愛が最高潮に燃え上がった場面においてすらこの人妻の述懐は、いままでの自分の人生が幸せなもので”あった”ように思えた、と云うのである。現在の幸せに繋がったあるいは現在が最高に幸せだと云っているのではない。いま人妻の感慨をとおして現在感じている愛の高揚が既に”過去形”において語られていると云うことにおいて、フランス人人妻のある種の覚悟と云うものが語られている、と云う理解が重要なのである。これはどう云ういことなのだろうか。自らの現在経験しつつある事象を既に完了した事象の全体として経験するとは、人図間の経験がディジョンの片田舎の月下の水遊びと云う冒険を超えて、文化としての様々なボヴァリー夫人以降の文化的言説としての民族の集積された経験が、個人を超えた集合的無意識としての非人称の、客観化された経験として語られているのではないのか。つまり自覚は人妻にとって中世のフレスコ画のように、召命あるいは殉教と云う形式として現れる。世俗に対する反逆性と、聖なるものの顕現を同時に読み取らないならば、この映画は日本映画にあるようなよろめきドラマに過ぎない。
 
 それゆえここから人妻が最後に見せる毅然とした態度、――あらゆる云い訳や申し開きの可能性を前もって断念する態度も出てくるのではないのか、――あの時はああだったとか、恋の盲目性や衝撃性、情熱的かつ熱情的な感情の高ぶりの所為にしない、偶然性や情念などと云う理性を超えたものを云いわけの理由として使わない、このような潔さと厳しさとをひとは倫理ではない他の如何なる言葉によって代用できると云うのだろうか。
 

ATGで見た回想の映画”野の百合” アリアドネ・アーカイブスより

 
映画の内容よりも、ひたすらあの、

エーメン、エーメン、エ~メン、エーメン エーメン

の歌が懐かしい曲、というか映画。同じ時期に見た、パゾリーニの”奇跡の丘”やゴダール”気違いピエロ”の殺伐とした世界に咲いた一群の花、という感じですね。実をいうとみた当時も深い印象を受けた感じの映画ではなくて、映画館を後にして、街角で少しだけ自分が幸せになったように感じる、そんな映画ということでしょうか。

同じ教会を創建の由来を語った映画としても、ベルイマンの”処女の泉”とはずいぶん趣を異にする映画ですね。”処女の泉”に至っては、40年以上もたった現在においてもベルイマンの見解に対する異議を主張するにいたる、そんな映画なのですね。

見た時はそうでなくても、もう二度と見ることはなくても、不思議と細部の記憶が風化されることなく、何事も付け加えることなく、何事も変更のない、色褪せるこののない映画、そんな映画なのです。

この映画を見て、いつか自分もワゴンに身を横たえて、気ままな旅をしてみたいものだと思ったのが、つい昨日のことのように思い出されます。この夢はかなえられて、家族六人で簡易キャンピングカーで、方々の田舎町や河川敷でジプシーまがいの旅行をしたのも懐かしい思い出です。そのころ夕暮れ時になると、ハンドルを握っているすぐ横の娘が言ったものです。”ねえ、ねえ、お父さん、きょうは何所にお泊りするの?”


                ◇◇◇◇◇


野のユリ(1963) goo映画より引用


<あらすじ>

キャンプ用具を積み込んだステーション・ワゴンを運転して気楽な旅を続けている黒人ホーマー(シドニー・ポワチエ)はアリゾナ砂漠のはずれでエンストをおこし、荒地を耕す東独を亡命してきた、修道女たちとあった。修道女たちは、この荒地に教会を建てるという無謀な望みを持っていた。ホーマーは水を貰い、かわりに雨洩りの修理を申し出た。テントで眠っていたホーマーは、翌朝マリア院長(リリア・スカラ)にたたき起こされ、教会設立の準備を命じられた。しかし、マリア院長から渡されたのは、下手な教会のスケッチが1枚だけ。純真なマリアは、神様の導びきでホーマーが、自分たちのためにやってきたに違いないと思い込んでいたのだ。気のいいホーマーはマリア院長の熱意と断固たる信念に押しきられ、仕事を手伝うことになった。建築資財は修道女たちが集めることになった。ホーマーも、女たちに頼りにされて仕事が次第に面白くなっていった。しかし食事の粗末なことには、ホーマーも閉口し、村の建設会社で働き、その給料で食料品を買った。しかしマリア院長は、ホーマーが、資財より食料品を買いこむのが気にいらず、ついにホーマーと衝突し、ホーマーは怒って去っていった。それから何日目かの日曜日が来た。砂漠地帯を歩く修道女のもとに、遊びつかれたホーマーが帰ってきた。修道女たちは感動をもって彼をむかえた。心をいれかえたホーマーは月給で建築資財を買い、独力で教会を建てようとした。これを聞き知った建築会社の社長が助力をかってでた。マリア院長は双手をあげて歓迎した。ホーマーも1度は自尊心を傷つけられ、ムクれたものの、自分の指示の下に仕事がすすめられることに満足した。やがてこの友情と信頼にささえられて教会は完成した。修道女たちが、霊歌を歌うのを後に、ホーマーはステーション・ワゴンで静かに遠ざかっていった。

キャスト(役名)
Sidney Poitier シドニー・ポワチエ (Homer Smith)
Lilia Skala リリア・スカラ (Mother Maria)
Lisa Mann リザ・マン (Sister Gertrude)
Isa Crino アイサ・クリノ (Sister Agnes)
Francesca Jarvis フランセスカ・ジャービス (Sister Albertine)
Pamela Branch パメラ・ブランチ (Sister Elizabeth)
Stanly Adames スタンリー・アダムス (Juan)
Ralph Nelson ラルフ・ネルソン (Harold Ashton)

スタッフ
監督
Ralph Nelson ラルフ・ネルソン

製作
Ralph Nelson ラルフ・ネルソン

原作
William E. Barrett ウィリアム・E・バレット

脚色
James Poe ジェームズ・ポー

撮影
Ernest Haller アーネスト・ホーラー

音楽
Jerry Goldsmith ジェリー・ゴールドスミス

ウィキペディアによる映画”アマデウス”資料編 アリアドネ・アーカイブスより

 
作品概要

モーツァルトの才能を妬み殺害した、と語る年老いたサリエリの回想というスタイルをとっている。

舞台版では再現不可能なプラハでのロケシーンや、オペラ『後宮からの誘拐』『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』のハイライト・シーンが挿入されるなど、映画版ならではの見どころも多い。劇中、本来ドイツ語によるオペラ『後宮からの誘拐』と『魔笛』は、脚本のピーター・シェーファー自身が訳した英語の訳詞によって歌われた。オペラの上演シーンの撮影に使われたプラハのスタヴォフスケー劇場(別名:エステート劇場、あるいはティル劇場。当時はノスティッツ劇場と呼ばれていた)は、実際にモーツァルト自身の指揮で『ドン・ジョヴァンニ』の初演が行われた劇場である。

モーツァルト役のトム・ハルスはピアノを猛特訓し、劇中の多くの場面で代役や吹替え無しでピアノを弾いている。指揮法についてもネヴィル・マリナーのトレーニングを受け、マリナー曰く「たぶん彼が音楽映画の中で最もちゃんとした指揮をしていると思う」とまで言わしめた。

モーツァルトの第一人者という事で参加を依頼されたマリナーは、「モーツァルトの原曲を変更しない事」を条件に音楽監修を引き受けた。しかし実際には『グラン・パルティータ』が抜粋で演奏され、ドイツ語のオペラは英訳され、仮面舞踏会の場面でモーツァルト作の軍歌「我は皇帝たらんもの」が歌詞無しで演奏されるなどの改変が行われている。なお、モーツァルトが皇帝に対して「ドイツの心、それは愛です」と宣言してドイツ語オペラ制作を実現する民族主義的なくだりもあり、ここでオペラが突然ドイツ語で歌われると台詞が英語であることの矛盾が目立つため、いわばこの映画の中の世界では英語がドイツ語として扱われるという舞台劇風な割り切りであるとも言える。

また、当時の演奏様式や史実に反する考証も見られる。『フィガロの結婚』の上演でステージに上がった登場人物の人数、オーケストラの第1ヴァイオリンの向かいに第2ヴァイオリンではなくチェロが来る現代的配置、トリルの付け方や音楽用語などである。

「完全版」で復元された場面の一つ、サリエリの声楽レッスンの場面でジョルダーニの「カロ・ミオ・ベン」が歌われている。曲自体は1782年頃の成立とされ、バロック的な装飾を付けて歌われてもいるが、弾かれている編曲は19世紀末に出版されたものである。
加えて古来のモーツァルトの人間像を一変させるような性格付けがされているので、モーツァルト愛好家の多くがマリナーに抗議文を送り付けるという事態になった。

一方、謁見の場面で弾かれるサリエリの行進曲は、「モーツァルトの有名曲にうまく繋がる事」を条件に、イギリスの音楽学の権威レイモンド・レッパードに依頼して探し出された、真のサリエリ作品である。

屋内撮影の数シーンに蝋燭の照明がメインに使われている。撮影監督のオンドリチェクは当初この撮影のため、『バリー・リンドン』での蝋燭照明のみによる撮影に用いられたツァイス製の衛星写真用レンズを、スタンリー・キューブリックから借りようとしたが、断られた。そこで、蝋燭自体の光量を増すため芯が複数本有る蝋燭を特注して、撮影に臨んだ。余談だが『バリー・リンドン』を監督したキューブリックは、同年公開の『カッコーの巣の上で』で本作品の監督であるフォアマンにアカデミー監督賞を奪われている。

屋外ロケはほとんどが、中世以来の古い町並みが現存するチェコの首都プラハで行われている。


スタッフ

監督:ミロス・フォアマン
原作・脚本:ピーター・シェーファー
音楽・指揮:サー・ネヴィル・マリナー
製作:ソウル・ゼインツ
撮影:ミロスラフ・オンドリチェク
プロダクション・デザイン:パトリツィア・フォン・ブランデンスタイン
サリエリの特殊メイク:ディック・スミス

キャスト

F・マーリー・エイブラハム(アントニオ・サリエリ
トム・ハルス(ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト
エリザベス・ベリッジ(コンスタンツェ・モーツァルト
ジェフリー・ジョーンズ(皇帝ヨーゼフ2世
サイモン・キャロウ(エマヌエル・シカネーダー)
ロイ・ドートリス(レオポルト・モーツァルト
シンシア・ニクソン(メイド)
ヴィンセント・スキャヴェリ(サリエリの召使)
ケニー・ベイカー(パロディーオペラ中での騎士長)

『東京物語』の思い出 アリアドネ・アーカイブスより

『東京物語』の思い出

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          鼎談がおこなわれた、鎌倉文学館
 
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 たまたま西部邁と云う人の小津を語る、と云う番組を見ていたのですが、この番組にはほかに二人のゲスト、一人はいわゆる小津組の生き残りのような人、もう一人は比較的若い、と云っても五十台前後かの、文芸批評家と云う人が出てきて、盛んに、東京物語と秋刀魚の辞の魅力を語っていました。
 
 小津映画の魅力の不思議さは、昔は上等な人々がいたと云う感慨以外には語れない、と云うようなことを西部が言っていた。では、と若い文芸批評家が小津組のゲストの方に尋ねていた。小津映画の魅力は話し方ですね、特に女性の話し方!昔は誰もがあんな話し方をしていたのでしょうか。小津組は答える。確かに、原節子の話し方などを見ると、昔でもあんな風には話さなかったと思うのだけれども、映画になってみるとそれが少しも不自然ではないのですね。
 
 それから戦争の影、一度としてあからさまには描かれないのに、何時もそれと気づくような形で戦争の記憶が描かれているでしょう。東京物語では原節子の亡くなった旦那さん、映画では一度として具体的には言及されることのない次男なのですが、原節子の貧しいアパートの箪笥の上に写真が置かれていると云う風になっているのですね。秋刀魚の味においても、岸田今日子演ずるバーのマダムのカウンター越しに軍艦マーチに合わせて軍隊行進のまねをする場面があるでしょう。そう言えば、何の映画だったか、宴席の途中で笠置衆が「青葉しげれる桜井の・・・」を謳い出すところがあるでしょう。一部で謳うのを止めてしまって、おい、まだ歌えよなんて言いながら。なんの説明もないのに、ぽんと、ワンシーンをさりげなく置くことで、万感迫る場面を演出する、凄いことですね。
 
 東京物語の中でも有名なところですが、最後の、母親がなくなって、尾道の庭先で父親が原節子と並んで、今日も暑くなるだろう、と云うようなことを言うわけですね。母親が亡くなった、ある意味では決定的な夜が明けて、その日の朝に、こんあさりげない風景を描くわけですね、小津と云う人は。それで、観客にはなんとなくわかるわけですよ。つまり、すべてを押し流し得しまう、と。人間の悲哀こもごもの喜怒哀楽が、雄大な自然の輪廻の中にあると云う事を。もちろん、その中に戦争も含まれています。
 僕には、と西部は言う。有名な小津のローアングルも、こうしてカメラを低く構えて映すわけでしょう、茶の間の風景などを、じっと動かずに。それが僕には映画の技法と云うよりも、じっとこちらを見返している死者たちの眼差しのように思えるのですよ。
 

映画”アマデウス”に連れられて アリアドネ・アーカイブスより

 
この映画はモーツアルトの生涯の後半、ザルツブルグ大司教との決別から活動の拠点をウィーンに移し、彼自身の死までを、サリエリとの葛藤を通して描いている。全編に馴染みの音楽がふんだんに取り込まれれており、モーツアルト音楽の入門書としての価値をも有している。

サリエリはこの映画の中で敵役として描かれているわけだが、映画の最後に自分自身を”凡人の長”というふうに自虐してみせる部分がある。しかし、これは正確ではない。サリエリに欠けていたのは、モーツアルトのように作曲する才能だけであって、凡人であると卑下するには当たらないのである。モーツアルトに最も欠けていた才能、――つまり”経済学”においても神は彼に多くのものを恵んだ。貧しい職人の子が宮廷作曲家にまでなり上がるわけだから、社会的な名誉や運勢をはじめ多くのものを神は彼に恵み与えたわけだから、恨まれた神の方がとんだ言いがかりというものであろう。とりわけ音楽に対する感性、モーツアルトの才能を見出すことにおいては彼の右に出るものはいなかった。これだけでも素晴らしい才能である。彼は一種の反-天才といでも言うべき種類の人間であって、自分自身の内的構造を裏返せばそのまま天才になるのであって、天才の陰画、これも一種の天才なのである。

この映画は天才と二流の人間の関係を描いたという通常の理解の仕方はすべきでない。二人の天才の反発と共感のドラマと見るべきである。サリエリモーツアルトの嫉妬心ゆえに彼の弱点――父親の存在――をつかみ、彼の唯一欠けた才能の領域――つまり”経済学””家計学”――に特化して心理的にこの大天才を追い込んでいく。その心理的呵責の故に自殺を図り、精神的に荒廃し、廃人化し精神病院に収容されに至るのだが、彼の音楽にたくぃする”愛”は消えることがなかった。この二人の天才に共通するものは音楽に対する愛であり、愛の音楽であった。

わたしはこの映画に描かれた新解釈によるモーツアルトの描き方を見ながら、この映画に携わった人たちの音楽に対する愛情がひしひしと感じられて、ある種の感銘を受けた。オペラ”フィガロの結婚”の中に伯爵家に仕えるケルビーノという小姓が登場してくるが、通常は男装したソプラノによって歌われることが多い。思春期特有の感情が誇張された、女性とみれば愛を感じてしまうキューピットのような存在なのであるが、私は音楽に生きること以外の如何なる才能を欠いたモーツアルトの自画像であると密かに信じている。

ケルビーノが登場すると皆が含み笑いをする。人が良くて疑うことを知らない。伯爵夫人は自分に付きまとう小姓の存在を時には疎ましく感じることもあるが、彼の挙動に目が外せないでいる。ケルビーノの存在とは”フィガロの結婚”世界の俗物性、無精神性を徹底的に相対化する存在なのであるが、夫人のみは彼の話す言語、かれの生きている時間が通常の時間ではないことを理解している。

伯爵夫人はモーツアルトの皮肉な女性観が最終的に到達した、ほとんど唯一の理想的な女人といってよい。彼女の嘆きは、伯爵の裏切りや信念や愛の不確かさによるのではなく、時の嘆き、つまり人は時には清く美しく生きることがある、という時間性心理学による嘆きなのである。

モーツアルトの実人生においては、彼のオペラの高みに達したような人物は皆無だったであろう。サリエリをして、モーツアルトほど外見と内容が一致しない人間はないと評しているが、そうではないだろう。伯爵夫人と妻コンスタンツアの徹底的な非対称、彼の音楽性と彼を取り巻く宮廷の徹底した非対称、あまりの非対称性の隔たりの故に、あのように韜晦して生きるほかなかったのだろう。

天才の力は不思議なことに、結局反対者をも最終的には協力者にしてしまう。なぜなら天才の背後には時代の流れが助力しているからだ。この映画の最後にサリエリがレクイエム作曲に協力した次第が描かれている。われわれはこのメロドラマじみたエンディングに感傷的に共感する必要はないのであって、これがこそ音楽の力、芸術の力、歌の力なのである。

クラリネット五重奏曲とアニエス・ヴァルダ アリアドネ・アーカイブスより

 
まずは下記に引用した<データ>を読んで頂きたい。
40年以上も前に見た映画が記憶の底から蘇る。
印象派ルノワール風の映像美と、モーツアルト音楽の残酷な関係。


<データ> 映画批評空間より引用
幸福〈しあわせ〉 (1965/仏)
Le Bonheur
Happiness
[Drama]
製作 マグ・ボダール
監督 アニエス・ヴァルダ
脚本 アニエス・ヴァルダ
撮影 ジャン・ラビエ / クロード・ボーソレイユ
美術 ユベール・モンループ
音楽 ジャン・ミシェル・ドゥファイ
衣装 クロード・フランソワ
出演 ジャン・クロード・ドルオー / クレール・ドルオー / オリヴィエ・ドルオー / サンドリーヌ・ドルオー / マリー・フランス・ボワイエ
あらすじ 日曜日、小さな子供二人を車に乗せて森へピクニックに行く、絵に描いたように幸福な若い家族。子供たちを遊ばせ、若い夫婦は木陰で身を寄せあって午睡する。男は妻と子供を愛している、妻は男と子供を愛している。水辺を歩き、花を摘む。叔父や兄の家族との関係も円満で、たびたび和やかに一緒に食事をする。仕事は順調、二人とも働き盛りだ。花嫁、新しい家族、地縁血縁サークルの中の誰もがとても幸福で平穏な生活を送っている。

この映画を新宿のATGアートシアターギルドで見たのは二十歳前だったと思う。
芸術的感性というものは不思議なものである種の先験性を備えているものである。形象的認識としては、人生のなんたるかを未だ知らざる存在であるにもかかわらず、この映画の美しさと残酷さを十分知的には理解できる。それが芸術の力というものだ。

自慢をしているのではない。四十数年後、今度は自らの人生を生き終えてこの映画がどのように回想されたか。もはや記憶を再現するのは定かというわけにはいかぬが、この絵のような家族風景の中に一人の女性が絡む。一つの幸せにもう一つの幸せが加わったとしても不都合があるだろうか、と男は考える。こうして日常的時間は非日常的な危うさを秘めながら淡々と流れる。ここには人間の如何なる苦悩もあからさまには描かれない。そして映画は冒頭のピクニックの場面の再現に移行する。通常の音楽のエンディングがそうであるように、主導部と第一主題が戻ってくる。

ルノワール風の印象派の構図とモーツアルトの憂いを秘めたクラリネット五重奏曲の競演。なにも変らぬ、幸せの風景。一字一句再現された映画冒頭の場面。時間の経過は家庭の主婦の運命にささやかな変更をもたらしたように、幸せの中心があの二番目の女性に変わっていた。つまり家族の幸せという存在が取り換えの利くものだと言っているのだ、一人の人間の存在を、存在のかけがえのなさを無視して!

なぜ、モーツアルトの音楽でなければならなかったのか。
この映画は、”コシ・ファン・トゥッテ”への追憶、一つの回想だったのである。

親しきものの死――映画”禁じられた遊び”にふれながら アリアドネ・アーカイブスより

 
禁じられた遊び』は死が日常化した戦時の現実において、死かいかにして固有なものLとなるか、という重いテーマを描いた作品である。映画のエンディングが、”ミシェル”、と”ママ”という名指された固有名詞の叫びで終わることは象徴的である。そうしてこの点はリルケが『マルテの手記』の中で、固有な尊厳が死から奪われた状況を、世紀末のパリの群衆の中における孤独と平和における死、という状況において描いたことと変らない。

禁じられた遊び』はもうひとつ、重いテーマがある。それは、死が内容を欠いた空虚な儀式で始まり、固有な個人の死を悼む人間的感情の発生で終わるという、通常とは逆転した関係についてである。監督ルネ・クレマンは、死という事態が子どもゆえに理解できず、また神に祈るということも知らなかったゆえに、淡々と十字架を築く子供たちの無機質的の営為を説明しているようだが、映像表現はそれ以上のものを表現した。

いわば、感情がない、ということの恐ろしさである。

しかし、そうだろうか。私たちは親しきものが死んだら、あるいは泣き叫び、あるいは目に涙を浮かべて哀悼の意を表するものだと思っている。しかし本当は泣いてはいけないのではないのか。本当の親しきものにおいては、死が自分自身の外に対象化されずに、言い換えれば対象の死と未分化であるがゆえに、喜怒哀楽等の感情の人間的形式がいまだ成立していないのではないのか。言い換えれば、悲しみは”まだ”時間的にないのではないのか。死が、適度の悲しみをもたらすというのは、第三者にのみ言いうることではないのか。――こう、わたしは幾つもの反論を予想しながら、あえてこう書いている。

死者は、適切に弔うものの存在を見出したとき、生とも死ともいえぬある中間領域に移行する。死は反芻され、定義され、再帰的に回顧され死者の生を終点まで生きる。やがて弔うものにとって死がありありとした像を結ぶ時、長い喪の期間は終わる。その時人は初めて悲しみという人間的形式を、つまり悲しみという感情が何であるかを理解するにいたるのである。

                             ◇◇◇◇◇

禁じられた遊び 1952年 フランス映画
(ウィキぺディアより)

あらすじ
1940年、フランス郊外。ドイツ軍の爆撃から郊外へ避難するパリ市民の行列。5歳の少女ポレットは、逃げた愛犬を追いかけ、それを追った両親は戦闘機の機銃掃射で命を落とす。同時に死んだ愛犬のジョッグを抱き、避難の列から外れて彷徨うポレット。小川のほとりで、郊外に住むミシェルという11歳の少年と出会う。ポレットはミシェルの家でしばらく暮らすこととなった。

ミシェルの家、ドレ家は貧しかった。ミシェルには二人の兄と二人の姉がいたが、上の兄のジョルジュは馬に蹴られて重傷を負い、寝たきりになっていた。隣人のグアール一家とはいがみあっており、ことあるごとでののしりあう関係であった。ドレ家の人々はパリ育ちで都会っ子のポレットをものめずらしく見るが、温かく受け入れる。とくに末っ子のミシェルはポレットに親近感を持ち、無垢なポレットもミシェルを頼るようになる。

ポレットは「死」というものがまだよくわからず、神への信仰や祈り方も知らなかった。ポレットはミシェルから「死んだものはお墓を作るんだよ」と教えられ、人の来ない水車小屋に愛犬ジョッグを埋葬し、祈りをささげる。

愛犬がひとりぼっちでかわいそうだと思ったポレットは、もっとたくさんのお墓を作ってやりたいと言い出す。ミシェルはその願いに応えてやりたくなり、モグラやねずみなど、様々な動物の死体を集めて、次々に墓を作っていった。二人の墓を作る遊びはエスカレートし、十字架を盗んで自分たちの墓に使おうと思い立つ。

しばらくして、兄のジョルジュの容態が急変、兄は亡くなった。ミシェルは父が用意した霊柩車から十字架を盗む。葬儀中、父に問い詰められたミシェルは「隣のグアールのせいだ」と言い逃れをする。一方、ポレットは教会の美しい十字架に魅せられ、ミシェルにあの十字架がほしいとねだる。後日ミシェルは教会の十字架を盗もうとするが、神父に見つかり追い出される。

ポレットにもっとたくさん十字架がほしいとねだられたミシェルは、意を決して夜中に家を抜け出す。ポレットとともに向かった先は、教会の墓地。ミシェルたちは墓地から十字架を15本盗み、爆撃で光る夜空の下、自分たちの墓地へと十字架を運ぶ。

ミシェルの兄の墓参りの日が来た。道中で、ミシェルの父は道に落ちた小さな十字架を見つける。それはジョルジュの墓につけられていたもので、以前ミシェルが盗む途中で落としたものだった。ミシェルの父は、グアールのいやがらせだと思い込む。

墓に着き、荒らされた様子に驚く一家。兄の十字架まで引き抜かれているのを目にした父は激昂し、グアールの仕業だ、復讐してやると言い、近くにあるグアールの妻の十字架を壊し始める。

ちょうど墓参りに現れたグアール一家と鉢合わせとなり、ミシェルの父とグアールは殴り合いのけんかとなる。

そこへ神父が現れ、十字架泥棒はグアールではない、犯人はミシェルだと伝えて場を収める。ミシェルはその場から逃げ出し、家出をしてしまう。十字架を盗んだことを訴えられるのではと恐れる父は、必死にミシェルを探す。ミシェルは水車小屋に隠れ、ポレットと作った墓場を満足げに見つめていた。その夜ミシェルはこっそりと家に戻り、墓がとてもすてきになったとポレットに伝える。

ポレットを墓に連れて行こうとした矢先、警官がドレ家を訪ねてきた。戦災孤児として申請していたポレットの身請けにきたのだ。

ミシェルは父にポレットを引きとってほしいと懇願する。父は、十字架のありかを教えればポレットは引き取る、と交換条件を出す。ミシェルは悩み、ついに水車小屋にあることを告白する。しかし、父は約束を破り、ポレットの身請けの書類にサインをする。ミシェルは怒るが父は聞く耳を持たない。ミシェルは家を飛び出し、腹いせにすべての十字架を引き抜き、川に流して捨ててしまう。すべて捨てたあと、ミシェルは車のエンジン音を耳にする。それはポレットが連れて行かれる車の音だった。

多くの人があふれる駅。ポレットは修道女に連れられ、名札をつけて少し待っているように言われる。名札には「ポレット=ドレ」の文字。

人ごみの中から「ミシェル!」と呼ぶ声が聞こえる。ポレットは涙し、ミシェルの名を叫びながら探しに行く。しかし人違いで、ミシェルはいない。ポレットはミシェルとママの名を叫びながら、雑踏の中へと走っていく。


スタッフ
監督:ルネ・クレマン
原作:フランソワ・ボワイエ
脚本:ジャン・オーランシュピエール・ボストルネ・クレマン
音楽:ナルシソ・イエペス

キャスト
ポレット:ブリジット・フォッセー
ミシェル・ドレ:ジョルジュ・プージュリー
ミシェルの父:リュシアン・ユベール
ミシェルの母:ジュザンヌ・クールタル
ジョルジュ・ドレ(ミシェルの兄):ジャック・マラン
ベルテ・ドレ(ミシェルの姉):ロランス・バディー
フランシス(ベルテの恋人):アメデー