アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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溢れる涙のままに――五嶋みどりがバッハを弾いた夏2012

※この記事は、2012年9月25日に書いたものの再録になります。この年は震災の翌年の厳しい夏と云う時期で、越すに越されぬさながらに”夏の峠”の感があったのだと思います。価値観が揺らぎ、人類の未来が決して単線ではあり得ないことの暗澹とした認識が暗雲のように空を覆い、誰もがなにをしてよいのか分からない時期に、五嶋みどりは音楽がこの世に在り得ることの意義を、日本津々浦々を経めぐる演奏活動ツァーにおいて秘かに問うことになったのです、命の総決算であるかのように!

 

溢れる涙のままに――五嶋みどりがバッハを弾いた夏2012 アリアドネの部屋アーカイブ
2019-08-23 22:26:50
テーマ:音楽と歌劇


溢れる涙のままに――五嶋みどりがバッハを弾いた夏2012
2012-09-25 13:02:11
テーマ: 音楽と歌劇








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五島・青砂ヶ浦教会


・ 五嶋みどりは天性が命ずるままに幼少の頃ニューヨークに母と移住する。どのような生き方をするかと云う個人の選択権の問題ではない。有無を言わさぬ啓示のごときものが母と子を襲った。「お子様ランチを食べた事のない」彼女は、普通の時間とは異なった段階から出発した。それが音楽の時間である。音楽から選ばれてあること、それは有無を言わさぬ事象である。

 寡黙でストイックな生き方は、さながら清貧の修道僧を思わせる。演奏スタイルに於いても、ヴァイオリンを低く構え、上半身を反らせるよな見栄えの良い在り方ではなく、地を這う地虫のような武骨さである。そお真摯な姿勢から天がけるような楽音の世界が広がる。そんな彼女が、震災のあった翌年、日本国内、六か所でコンサートツァーを敢行した。演目はバッハ作曲『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』、選ばれた場所は、教会、寺院、そして神社である。

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五島青砂ヶ浦天主堂

 弦楽器と云う、温室度の影響を受けやすいデリケートな道具を用いて、ときに準野外的環境とも云える、音響的には最悪の気象変動を受ける環境の中でコンサートをする意味は何か。この問いは必然的に次の問いへと導く。――音楽は誰のためにあるのか、誰のために弾くのか。そして、そもそも音楽を弾くと云う行為は根源的にどう云う意味があるのか。そして、その音楽がなぜバッハでなければならないのか。

 ヴァイオリンは最も身体と一体になった楽器であると云う。ヴァイオリンを顎に当てて姿勢を低く構えながら弾く、その音色は、楽器の響きを超えて人体の構造、骨格を伝って身体全体が鳴り響く。楽器と身体が一緒になり光り輝くように鳴り響くと云うのは、西洋音楽に固有の現象なのだろうか。その通常の音楽的言語を超えた身体性言語がこの世で結び逢わせ繋ごうとしているものは、何なのか。

 五嶋にとって、音楽が鳴るとは、コンサートと云う通常の日常から切り取られた時間、時間の特権性であってはならず、まるごと秘教的な空間に導き入れた生活者の日常そのものでなければならなかった。この音楽に向き合う姿勢は、旅のコンサート会場から会場へと移動する空間移動の手段の選択に於いても変わらない。バスや市電と云った交通手段を使い、ビジネスホテルに泊まり、町のコインランドリーを利用する。現代の音楽文化や豪華さに対する反発ではなく、五嶋の考える音楽を成立させる場が、そうした俗人性を必要とするのである。音楽に向き合う姿勢が必然的にそのような生き方を強いるのである。音楽とは、五嶋の場合コンサートの終わりが音楽の終わりではなかった。

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長崎浦上天主堂

 音楽はだれのためにあるか。バッハは端的に神のために弾いた。音楽の捧げものとは神への奉納以外のものではなかった。そう云う意味では五嶋の対象とするものは「観客」ではない。固有の宗教を信奉しているとは思えない彼女にとって、それは神でもない。演奏そのものなのである。正確に言えば演奏を通じて開示してくるものなのである。演奏に向き合う時、彼女は自分自身の変わり無さ、つまり「不動であること」を自覚する。不動であるとは自分自身であると云う事である。自分であるとは変わらずに自分があると云う意味ではなく、向き合う対象に対してかまえる姿勢の間に違いがないという意味である。変わらなくあること、それは状況に貫かれてある、という意味でもある。結局は、音楽と向き合う時そのとき自分自身は消える、と云う事でもある。その変わりなさが、あの演奏スタイルを生んだのである。演奏に向き合う固有な同一性が、彼女を様々な経験の場に赴かせ、あらゆる 場所をコンサートの臨床の場とするのである。彼女自身の身体が生ける祭壇なのである。祭壇の中で音楽はひとり鳴りつづける。どのような神を信じるかは、もはや問題ではない。


 溢れる感情のままに五嶋は旅をする。旅は経験を蓄積する。経験を経ることによって得るもの、それはある人にとっては処世訓であり、ものに容易に動じないということであるのかもしれない。しかし彼女の場合は、様々な経験を経ることで感受性が敏感になった、と云う。経験の場が広がったことで涙もろくなった、とも云う。それは達人の極意である達観とか境位とは別のもの、不動心とも別のもの、名人が技芸の果てに道具そのものの存在を忘れる様に、ヴァイオリンを手に取ることを忘れると云う事態すら五島みどりは是認するようになる。それはもはや音楽が閉ざされた空間の系の中で演じられるイヴェントではなく、解放された自然の中で、雨だれの音、夏の終わりを締めくくる蝉時雨の中においても、自然が命ずるままに弾いたページェント、一期一会とも云える時間なのである。溢れる涙のままに身体が鳴り響くのは、自然もまた臨在しそれに唱和しているからにほかならない。

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西本願寺能楽堂
  
 コンサートの六日目に五嶋は西本願寺の対面所にいた。そこからは国宝の能楽堂が見える。彼女は降りしきる雨だれの音を聞きながら、リハーサルの場を密かに能舞台に移して一人弾いた。その時音楽は自分だけに響いた。音楽はだれのためにあるのか。この問いに応えるために、彼女は自分の名器よりも古いと伝えられる建築の中で密かにこの問いを反芻した。

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 古来能楽とは、江戸時代の三百年を通じて、たった一人の観客のためにあったと云う。そのたったひとりの観客とは、お殿様の存在のことだったのであるが。華麗な能舞台と、対面する主客の存在。記憶の彼方にかって観た能舞台を取り囲んだ咳払いの聴こえる会場のざわめきや、ひといきれがすっと消えていくのを私は既視感と既在感なのかでひとり感じる。そのとき孤独になったシテと主客である殿さまの存在だけが虚空を隔てて荘厳に対峙していたのか。そのとき鼓は鳴っていたか。殿様とは神様の代理だったのである。

 本番の日、彼女はたったひとりの観客のために弾いた。その観客とは、神様の代理として、ある時は、普段は音楽に縁のない市井の人々の存在の代理としてあった。存在との出会いは、時折涙ぐむほどの感動を彼女に与えた。彼女は涙溢れるままに弾いた、涙溢れるままに生きた。自分が、ここに生きてあると云うことの不思議さに震えた。