アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

コンテナハウスに暮らす子供たち(2014年9月) アリアドネ・アーカイブスより

コンテナハウスに暮らす子供たち(2014年9月)  アリアドネアーカイブスより
NEW!2019-09-11 09:44:04
テーマ:社会と地域

本牧師のこと
 実を言いますと、過去、リピーターが多いもののトップレベルにあった記事です。
 こういう記事を書くと何か聖人のように誤解されかねないのですが、――やはり私は無力な凡人、そのひとりの非力な凡人としての私にも気位と云うほどのものはあって、ひとりでも多くの方に山本牧師のことを知っていただきたいと思って掲載を続けています。
 この記事は、本館ならびに三つのアネックスにおいて同時に再度、再再度、ご紹介させていただきます。それでは、下記、味読ください。

                     アリアドネ修道院附属図書館 館長



コンテナハウスに暮らす子供たち(2014年9月)  アリアドネアーカイブスより
2019-08-22 19:57:29
テーマ: アリアドネアーカイブ

原文:
https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505539769.html

2014年9月8日(火)の記事の再録です。
https://blogs.yahoo.co.jp/takata_hiroshi_320/25930649.html


2014/9/8(月) 午後 8:21 社会と地域 イラストレーション





 先回は46回にまで至った寅さんシリーズの苦渋について語ったのだが、その中で悲痛であったのは、面接試験で落ち続ける寅次郎の甥の満男が、もう、これ以上面接で嘘を言い続けるのは嫌だと駄々をこねる場面であろう。同様に晩年の寅さんシリーズにおける渥美清は、もはやこれ以上押し付けられた国民的イメージを演ずるのは嫌だと気持ちがあったのだろう。風穴があき揺らぎ始めた泰平の世の、あえて言えば家族ファシズムの拘束度のゆるみが、意外にも演ずる者たちに生き生きとした演技を与えた。そこから得られた寅さんの最終イメージは、外目には寛容さを装う社会の偽善であり、適者生存、優勝劣敗の寛容さを欠く社会の存在であった。

まずは次の映像をご覧ください。
http://www.mbs.jp/voice/special/archive/20140702/

 9月7日日曜日の報道特集では、大阪府守口市にある教会の傍らのコンテナハウスで暮らす子供たちと、ある女性牧師の日々を淡々と綴っている。まず、コンテナハウスと云う発想がユニークである。それは第一に、筋道や理路整然とした言説から導かれる行動と云う以前に、すぐできることと云う迅速性に根差している。第二に狭いコンテナハウスの中で衣食住を共にすると云う女性の牧師の姿勢が何か子供時代の秘密基地めいたイメージを曳きずっていてそこはかとない温かさがある。子供たちは牧師さんの事をお母さんと呼び、育児放棄したかそれに類似した本当の親を前のお母さんと云う。言われた方はたまらないかもしれないが、この問題はこれ以上追及しないことにする。

 教会の牧師である山本さんは貧しい家庭に育ち、お腹いっぱい食べた経験がなかったと云う。彼女の望みは大それたことではなく、自分の目に見える範囲で見過ごすことができないことを、すぐに何とかしたいと云う思いである。お金持ちになって美味しいものを食べれても何にもならない。もの心つく子供時代にお腹を満たすと云う幸せの経験がないならば一生をそれを埋める手立てはないのである・・・。と云うよりも、理屈以前に子供たちが満ち足りた表情でものを食べる姿が彼女を満たすのである。

 山本さんは貧しい家庭に育ち、成人してからは人並みに結婚もしたようであるが、その夫は難病奇病を患っていた。その長い介護生活の果てに彼を看取った後に生じた心の空白を満たしたのが、長年願い続けていた貧しい子供たちを救いたいと云う願いであった。貧しさを手助けする改善すると云うことではなくて、単にお腹いっぱいに「ほうばる」子供たちの表情を見たいと云う単純な動機であった。それで10万円で売っていた中古のコンテナハウスを購入し、自分の教会の脇の駐車場に据えて、日帰りでもお泊りでも居心地を求めていらっしゃいと呼びかけたのがこの結果である。確かに当初はデイケアか留守家庭の民間版と云う程度の意識で始めたものであったろう。それが家に帰りたくないと云う子供が複数いることから結果的に自らも彼らと寝食を共にするコンテナ暮らしが始まるのである。

 子供たちは学校が終わると狭いコンテナハウスの中に集まる。放課後も友達や仲間との遊びを知らないと云うことは、彼らが貧しい家庭の子供たちであると云うことも関係しているのだろう。子供たちは親の社会的位置に敏感なので交友関係も成立しないと云うことはありうるだろう。社会には、ちゃんとしてない家庭の子供とは遊ばせないと云う親側の感情もあるだろう。山本さんは理屈は言わず、背景も問わず、だだ衣食住と云う人間の基本的な条件が満たされていないことに心を痛めているだけなのである。

 費用は月に20万円と云うことである。映像には複数の援助する人たちの姿も映していたから寄付とかもあるのかもしれない。それよりも20万円とは山本さんの生活費なのだろう。彼女は20万円を30万円にも50万円にもするためにコンビニやスーパーマーケットの賞味期限切れの食べ物や備品を回収してまわる。コンビニやスーパーの弁当が添加剤が多いとか有機野菜で造られていないなどと云う議論はどうでもよいのである。賞味期限切れと消費期限切れのぎりぎりの境界線上の収穫を求めて、軽のトラックバンに乗って市内を走り回る。やがて支援者も増えてきて不要になった学習用品や自転車の類いも提供されるようになる。映像は教会に隣接するアスファルトの味気ない駐車場で自転車などを乗り回して遊ぶ子供たちの無心な表情を映し出し、改めて家族とは何だろうかと感じさせる。

 ある夏休みの一日、山本さんは子供たちをキャンプに連れて行きたいとボランティアの人たちに助けられながらキャンプ場に向かう。キャンプ場と云えば定番のカレーライス!普通の日常と違うのはカレーライスを子供たちだけで調理し山本さんをディナーに招待すると云うことだった。 
 今後も山本さんの活動は紆余曲折が予想されるだろう。小さいゆえに、小規模であるがゆえに上手くいっていたミニ共同体の温かさと云うものも試練の時に立たされるだろう。子供たちも適齢期になれば受験戦争の洗礼を受けるだろう。そうすると山本さんのコンテナハウスの中でなされている寺子屋のような授業も限界を迎えることになるだろう。やがては公的な社会福祉の施設の力を借りると云う事態を受け入れざるを得なくなるのかもしれない。しかし、このコンテナハウスで流れた母子一体の、子宮の中で過ごされた至福のような時間が流れたと云う事実は否定し去ることはできないのである。

 人に憐れみを感じるためにはひとは自分自身が幸せであるか、過去に幸せであったと云う記憶を必要とする。幸せに敏感であると云うことは悲しみにも敏感であると云うことを意味する。幼児期のかけがえのない経験は後の如何なる立身出世や幸運に依っても償うことが出来ないのである。だが幸せであるかどうかはあえて問うまい、子供たちが食を満たしてある情態、山本さんはそこに満足しようとする。それがすぐにできることであるかどうかといういうこと、身近にあることに意義を見出す。何を成すかではなく、いま現に、この地上と云う各個が生きる限られた時間と空間の中で、それが自分に出来ることかどうかと云うことを山本さんは問さへすればよいのである。後になって、もうずいぶん時間が経ってわたしたちは思うものである、どうしてあのようなことができたのであろうか、と。自分だけにできた、自分だけが成しえる固有の時間だったからである。
 子供たちの一人は、将来の夢を聴かれて口ごもりながら、お母さんのようになりたいと云う。お母さんとは言うまでもなく山本牧師の事である。