アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『ジェイムズ・ジョイスと言語革命』(2016⊡)アリアドネの部屋アーカイブス

ジェイムズ・ジョイスと言語革命』(2016⊡)アリアドネの部屋アーカイブ
2019-08-25 22:32:24
テーマ:アリアドネアーカイブ

原文:
https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505550506.html
ジェイムズ・ジョイスと言語革命』
2016-06-19 21:51:41
テーマ: 文学と思想


http://www.bookoffonline.co.jp/goodsimages/LL/001216/0012168306LL.jpg

1991年に加藤幹朗によって訳出された『ジェイムズジョイスと言語革命』(1969年)の著者コリン・マッケイブについては知るところがない。インターネットで調べても、ほかに『ゴダール伝』が注目される程度である。
 唐突であるが、ジョイスと映画に共通するもの、それは名のみ高名であるにもかかわらず、読まれないこと、まじめに研究がされていないことであると云う、およそ肩透かしを食うような回答をこの書の作者は返してくるのである。例えば、共通点としてならば『ダブリン市民』や『ユリシーズ』などにみるドキュメンタリー志向とか、あるいは映画的手法をその即物性や、芸術形式としては現在性と云う時制が卓越した技法と云うプルーストのような理解が一方にあり、かかる時制における文明史的卓越を、文献史的あるいは文化文明的、諸事物の言語的な解体をとおして、過去と現在と未来が相互浸透する、ふくよかな厚みを持った実在の復権を唱えた文芸理論である、・・・・・等々の。
 ジョイスはともかくとして、後者については説明が必要だろう。つまり映画産業は過去の栄光の産業であって、誰もが周知の出来事でありながら、その成果がまともに議論されてこない、稀に見る分野だと云いたいのだろう。ただ、これについては日本人としてのわたくしの実感は違っていて、日本の映画界においては確実に、古き映画を繰り返し鑑賞するマイナーな存在ではあれ、映画ファンは存在するし、不十分かもしれないけれども映画史的研究と受容は一部に受け継がれているし、映画を専門とした単科大学すら日本には存在している。欧米の映画史と研究批評史を巡る現状は、あるいは 日本よりも低調であると云うことなのだろうか。
 前者について言うならば、日本にはジョイス学会もあると聴いているし、ジョイスの作風に影響を受けたと云う作家も存在している。著者の言わんとしていることは、わたくしたちの理解のレベルとはある種の反語なのであろうか。著者はまた、ジョイス研究について、その盛況が「ジョイス産業」と云う皮肉な言い方で批判、揶揄し、自分はジョイスを理解させるための手引き書を書きたいのではなく、ジョイスを読む場合の読者に対する解り難さの機構を、――作者と読者の間に介在する読み取りや鑑賞の機構を、たとえば従来読解力などで説明されてきたものとは異なった言語の機構を用いて説明したいのだとも云う。いずれにしても、わたくしはそれらの世界について知るところがすくないので、総括的にかつ公平な観点において論評することができない。
 話しを元に戻すと、文学や作家論的についてマニアの世界からは程遠いわたくしには、当然、ジョイスについて概括的な紹介もできなければ、個性的でもあれば独創的な一家言を述べることもできない。それでも、あえてこの書を紹介しようと思ったのは、やはりこの書は隠れてある名著のひとつであるのではないのかと感じたことによる。ジョイスはこの書によってはじめて読まれ得ることになったのではないかと思う。ジョイスに携わる人、ジョイスをすでに読んでいる人たちに、必要としている人には知らせたいのである。
 変わった題名の本書について、簡単に目次を紹介しておく。これはわたくし自身に、とても力量の上から公平な紹介ができないことの言い訳としてそうするのである。もし関心がある向きは、本書なり原書にあたっていただきたい。

1・理論的予備考察
2・メタ言語の終焉――ジョージ・エリオットから『ダブリン市民』へ
3・物語の終わり――『スティーヴン・ヒーロー』と『若き日の芸術家の肖像』
4・要素の根源的分離――『ユリシーズ』における読者の距離化
5・言葉の都市、夢の街路――『ユリシーズ』の航海
6・『フィネガンズウェイク』の政治的読解
7・ジョイス政治学

 著者は従来、孤高の芸術家として捉えられていたジョイス像を、19~20世紀初頭の政治史的脈絡のなかに位置付けることである。ここから著者は第二インターナショナルの立場の固視する、古いタイプの社会主義者像を描きだす。祖国アイルランドを去ってのちのジョイスの政治的志向と関心は続いて、実弟スタニスラス・ジョイスにあてた手紙は祖国の現状を、その悲劇的な推移を、ここトリエステにおいてダブらせて理解していたと云う。なぜなら比較的全体主義に対する耐性が弱いとも云えなかったイタリアにおいて、トリエステはいち早く唯一の全体主義に感染した都市となり、その色彩に染まっていった最初のl町であったと云う。『ユリシーズ』の末尾につけられた、例の、トリエステチューリッヒ‐パリ、にはそうしたそれぞれの土地の記憶に奉げられた含意が秘められていた町であったと云うことか。
 20世紀の政治史的特徴は著者によれば、民主主義、共産主義、そしてカトリシズムである。その三つの交錯して分裂した状況の中から、全体主義民族主義と云う不気味な20世紀の政治的手法が登場してくる。ジョイスのとって第一次大戦が持った意味は、インターナショナルであるべき労働者たちが雪崩を打って愛国主義へと結束していった過程にあると云う。これをアイルランド国内史に引き付けて理解すれば、カソリック民族主義と習合して、革命を裏切った過程にほかならぬと云う。わたくしたちがここに見出すのは、例えば、婚姻と云う形式で、市民と民衆を支配しようとするカソリックの呪縛である。なぜ、個人の主体的に選ばれた行為である最も個性的であるべき婚姻と云う儀式において、市に登録し教会組織に対して誓願しなければならないのだろうか、インターナショナリズムとしての革命を夢見たジョイスにとって革命の裏切りは許すことのできないものであった。かかる政治的文脈を理解することによって、わたくしたちは何故『ユリシーズ』の主人公レオポルド・ブルームがユダヤ人として設定されていたかが分かるだろう。もう一人の主人公である文学青年スティーブン・ディーダラスにとって父なるものとは、その象徴性とは、ユダヤ性と云う比喩の形で語られていたのである。もちろん、ユダヤ性とは祖国を持たない、祖国から追放されたと云う意味もあったに違いない。それは個的な内面的自伝史的な過程であると同時に、人類が20世紀初頭の大きな政治的なうねりの最中で経験した出来事にも由来している。変質していく祖国とドイツ革命に代表されるヨーロッパの革命の動向を他方で睨みながら、このことから『ユリシーズ』がなにゆえ博物学的世界性、世界文学史インターナショナリズムの栄光の後光を浴びた、いっけん神学的とも衒学的とでも云える浩瀚なる博識と博学の成果たる、ダンテの『神曲』を意識した全体小説的歴史的叙事史として構想された理由も分かるであろう。いずれにせよ、この段階でジョイスの文学論は外的な現実に対する等価物を見失う。ここから言語の世界にのみ追い詰められたジョイスにとっての、言語をとおしての革命の意義が問われる必要があった、と一応は表題の意味をわたくしなりに解してみた。

 この書の第二の特徴は、フロイトに始まる精神分析学の文学への適用である。周知のように、精神分析学では「患者」の言表は、そのままでは、深層にある真相=Xがそのままでの表出を妨げる何らかの防衛機構が働いている結果とされる。つまり精神分析学を文芸批評に適用するとは、患者=テクストをそのままの表出された現表としてはとしては用いず、あくまで表現されたかぎりにおいての「物質」=テクストとして、手掛かりとして用いられるに過ぎない。もちろん、本書は、もっと精緻で繊細な議論を展開しているので、わたくしの手には負えないのでこのへんにしておく。

 何分この書を読み解くには、世紀末から20世紀初頭に至る欧州の歴史、なかんずくアイルランドにおける政治史などについての一定量の知識が要るし、マルク主主義的な政治思想史についての知識もわたくしには更に手に負えない。さらにはフロイドをはじめとする精神分析の歴史についても内容についても解説する立場にない。それでもこの書の価値は解るので、その中からたった一つでも、表題にある「革命」とは何であるのか、そのヒントでも暗示して言い訳としておきたい。
 それでは目次のなかにある、「メタ言語」とは何を言うのだろうか。例えばわたくしたちが普段に読み慣れてある小説において作者の座を、著者は「メタ言語」であると表現しているのであろうか。
 メタ言語と云う、小説的世界内部の複数の諸言語とは違って、高い立場にある作者の視座、作者の意図を読み取ることで、通常、鑑賞なり理解なり味読と云う、作者と読者を繋ぐコミュニケーションの世界は成立する、と考えられている。
 これが悪いと云うのではない。本書はわたくしのような雑な言い方を自らに禁じているようなので、代わりに大雑把で露骨な言い方をしてみるならば、芸術の鑑賞と云う立場を、作者の座と云う「特等席」を経由することで、芸術「消費」の芸術鑑賞のスタイルを改変する事、商品経済社会における「消費」と云う考え方ではなく、読者の「参画」なり「準創造」的な行為を前提とした主体的な「生産」的過程としてあらしめること、それがジョイスにおける言語革命であった、と云うことなのだろう。あえて言うならば、政治的闘争と亡命の果てに詩人ダンテが異国の地で故郷を望んで亡くなったように、ジョイスの文学と云うものは20世紀における社会主義的な革命運動の挫折が生んだ文学史上の出来事を超えたエポック、成し遂げられた壮麗な言語による綴れ織り、壮大無比の絢爛とした反体制の形而上学的な記念碑的構造物!と云うことになろうか。
 政治的前衛と芸術的前衛の一致と云う、今日では意味不明になった言説を、その是非はともかくとしても、人類史の記憶として、久方ぶりに懐かしく思い出したものである。

わたくしも先日いくぶん背伸びしながら、ジョイスにおける多様な文体の意味するものについて注釈を加えていたが、多様な文体ごとに違った現実が現出するとは、ここで云うメタ言語と同義ではないかと思っている。対象的現実を多様な文体ごとに描き分けると云う意味は、本来は共通的な普遍的な真実と云うものがあって、それを異なった文体で違ったふうに描き分けると云うことと、似ているようでも大変に違う。現実の実在なり真実性を前もって前提し、そののちに言語なり文体なりを外側から適用する、と云うことではないのだ。例えば真実は一つで、エゴイズムの精華たる各々の自我が多様に語る不可解の真実を描いた黒沢の有名な『羅城門』のようではあり得ない、と云つているのである。言語や文体のなかに描かれたかぎりにおいての現実しか実際には存在しないのである。多様な文体を用いて現実を多様に描くとは、多元主義相対主義のことを言いたいのではない。

 なにぶん本書を読むにはジョイスを読む場合と同様、多分野の知識の含蓄と読解の深度を要する点において力が遠く及ばず、自己の力量を遥かに超えた空回りの、一面的な書評となったことをお詫びいたします。興味ある向きは原本に当たられたい。

(参考文献・Wikipediaによる)
コリン・マッケイブ(Colin MacCabe、1949年 - )は、イギリスの英文学者、批評家、映画プロデューサーである。ピッツバーグ大学教授、ロンドン大学バークベック校教授、エクセター大学客員教授を兼任する。ロンドン・コンソーシアム議長。

セント・ベネディクト校を卒業し、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに英文学等を学び[1]、同大学で学術のキャリアを始めた。1976年(昭和51年)、27歳のときの論文『ジェイムズ・ジョイスと言語革命』で同大学の博士号を取得した[1]。ストラスクライド大学に赴任する[1]。
初めてマッケイブが注目されたのは、1981年(昭和56年)、大学での長期在職権を否定されたときであった。それは、構造主義教育に関する英文学部の内部での論争は、公に知られるものであったが、その中心にいた彼のポジションのもたらした結果であった[2]。
1985年(昭和60年)からピッツバーグ大学で英文学と映画学[1]、1998年(平成10年)からエクセター大学で英文学と映画学[1]、ロンドン大学バークベック校では英文学を人文学を教えている。1985年 - 1989年(平成元年)、英国映画協会(BFI)の製作部長に就任、1989年 - 1998年、同協会の研究部長を歴任した[1]。その立場で、『映画百年』シリーズを含めて、映画を多数製作した。
広く映画と文学についての書物を発表しており、とくに小説家のジェームズ・ジョイス映画作家ジャン=リュック・ゴダールについてや、言語史と言語論についてが重要である。
1993年(平成5年)、マーク・カズンズ、ポール・ハースト、リチャード・ハンフリーズとともに、ロンドン・コンソーシアムを設立し、現在議長をつとめる。
2005年(平成17年)5月11日 - 5月22日に開かれた第58回カンヌ国際映画祭で、エドワード・ヤンを審査委員長とした「ショート映画部門・学生映画部門」の審査員をつとめた。
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