アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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愛と恋とはどのように違うか、愛の様式における二様の起源、――神と神々とに起源するものと人間に由来するもの

アリアドネアーカイブスより
愛と恋とはどのように違うか、愛の様式における二様の起源、――神と神々とに起源するものと人間に由来するもの
2019-08-25 22:11:04
テーマ:アリアドネアーカイブ

アリアドネアーカイブスより
原文:
https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505559148.html
愛と恋とはどのように違うか、愛の様式における二様の起源、――神と神々とに起源するものと人間に由来
2016-12-16 00:58:44
テーマ:文学と思想

 (前言) 愛と恋と、似ているようでいて起原と由来の異なるもの、それでも二つは重なり合いつつも人間史の中で、無縁とは言えない不可避的に結びあいつつ、一方、愛とは神に起源し神々に淵源するものであり、他方、恋とは人間の世界に由来するものである。日本人の愛や恋に対する感受性の質や水準も絡めて、恋と愛を文学作品を中心に考えてみます。拙い努力ではありますが、どこまで足を絡ませ取られまろびつつも深入りしつつ、里程標の一歩を進めることができるでしょうか、生あるうちに。


 ”不倫”などと云う古めかしく品性を欠いた言葉を聴くたびに、戦前の社会的語用法を越えて、この言葉ほど現代日本人の感性のあり方を象徴するものはない、と云う気がする。
 翻って考えてみれば、この言葉とは対極にある、瑞々とした近代的感性の目覚めを、自然的自然との交歓の中から謳い上げた最初の人は国木田独歩であると思うのであるが、結局は、”不倫”などと云う封建制社会の道徳や倫理の尾鰭背鰭の古色を振り払ったのちに、自ずからとしての”自然”がどのように見えたのか、というのが、およそ国木田の名作『武蔵野』などの諸著作に共通するものなのである。
 明治期のニ大文豪・森鷗外夏目漱石もまた、近代的な愛の高みまでは瞥見することはできなかった。鷗外は有名な『舞姫』事件が示すように、後退作戦の名手であり、漱石は『草枕』や『三四郎』で近代的愛の予後を予感しながらも、例の自己本位論であるとかエゴイズムと云う方向に論点をずらしていった。『それから』以降の二部の三部作において愛が描かれていたとは思えない。『道草』は愛なき世界の荒涼とした風景である。むしろ夏目漱石は近代的愛の挫折が、その変形態として如何に国家社会によって変質させ、利用されていったかを克明に、臨場性溢れる筆致で描いたと云う意味では確かに国民的作家としての業績だったのである。
 しかし、近代的な愛を語ろうとすると鷗外も漱石もほとんど参考にならない。むしろ泉鏡花永井荷風の方が何がしかを語り得るのだが、素材としてそれが近代的な愛を論じるものとして相応しいかと云えば、なかなかに論じにくい。谷崎潤一郎に至っては、日本文化が総力を挙げて応答した近代的な愛や個人主義に対する大いなる反感であり、大規模な反撃作戦であって、語弊ある表現を承知で言えば大東亜戦争の裏側で闘われたもう一つの文化防衛戦争であり、芸術論における様式美の卓越と云う彼の問題提起には、近代的個性の誕生を踏まえつつ立脚した西洋の通俗的な美学論に対する、彼の新古典主義の立場に立った問題提起と同様、彼の流儀には相当のこちらもこちらなりの流儀で、また別の機会に別の場所に腰を据えて、日本近代文学が生んだ最大の文学者に対しては、敬意ある応答しなければなるまい。それはさておき、――

 ここで云う、いま語りつつ近代的な愛とは西洋社会に固有の愛の姿であり、――古い話で申し訳ないのだが、例えば『アベラールとエロイーズの往復書簡』などのように、古代的な愛の残照のなかに成立した愛の形のなかに典型的な表現を観ることができる。ここで描かれる教父的キリスト教的愛の理論家と知的で明晰な修道女の愛の物語が感動的なのは、愛には二つの起源があることを語っていることの故による。つまり神概念に由来する愛と人間に由来する恋とである。愛と恋がどのように違うか、これがなかなかに日本人と日本人社会の感性には理解が届かない場面なのである。

 さて、先に近代的な愛の起源を論ずずるためにアベラールとエロイーズについて言及し、彼らの愛の形式が「古代の残照」のなかにあった、と書いたのであった。かく書けば近代的な愛の先行形態が「古代」にあったように聞こえるが、通常欧米で「古典古代」と云う言い方をする場合はギリシア文明を指している。しかしプラトンの『饗宴』などを読む限りにおいては、ギリシア哲学における愛とは同性愛であり、ギリシア人は愛は知っていても恋については知らなかった可能性がある。ただ、ギリシア文学について興味深いのは、『アンチゴネー』などに見られるように、愛が神に由来するものであることを彼らが知っていたことであろう。異性への愛の事例ではないけれども、身内を弔うと云う形において、社会的な弔いの様式と神に由来する弔いの様式がアンチゴネーのなかで拮抗し、対立する軋みの中で悲劇的世界の中に一切が渦巻きのように飲み込まれてしまう悲劇が描かれている。かかる神に由来する愛の概念が近代的な愛の形に、――つまり新プラトニズムの形で影響を与えたのだ、と妄想逞しくわたくしは想像する。

 一方、恋と云う概念は西洋社会においてはどの段階で成立を観たのであるか。論理形式的には、アガペーとしての愛、つまりキリスト教的愛における三位一体の思想が教義的正統を勝ち取る過程で導入された”受肉”という概念が影響関係を持っている、と想像しているのである。少なくとも、”恋”は神概念由来の”愛”の発展進化形態として現れたはずであり、愛が地上的な”受肉”の洗礼を受けて世俗化すると云う契機が描かれている。例えばゲーテの『若きヴェルテルの悩み』などは、愛に恋した観念性的愛への辛辣な批判と批評が見られる。同様にドーバーを隔てたイギリスのジェイン・オースティンのなどの文学にも、やんわりとした観念的な愛への批評が見られる。しかし恋を本格的に描いた文学作品は少なくて、むしろ文学の文学的な所以を語るものとして、恋は愛に対する堕落、世俗化の形態として対比的に描かれたに過ぎないような気がする。有名なアンドレ・ジッドの『狭き門』などはその証拠である。

 恋を描いた作品はまことに少ないのである。あってもそれらは二流の作品であって、たまたま愛の起源について無知があるためにたまたま彼らの経験的世界の中で見知ったものを描いたら結果的に恋であった、と云うに過ぎない。愛と恋の違いを知らないのである。愛と恋の違いについて彼らは語れないのである。彼ら、近‐現代の三文文学の事例においては、”恋”を語ることが”愛”を語ることと何故にか相反する結果に、皮肉なことになっているのである。

 恋は語れても愛は語れない、それが”不倫”と云うことがが遍く流布した社会の実相である。愛が語れない文学が二流の文学であったように、恋しか語れない文化・文明は二流の社会である、と云ってよいだろう。文学や言語の当為について語れない社会は二流の社会なのである。

 恋と愛、文学的世界に措いてはなかなかに前者を描くことにおいて不利な状況にあるのだが、流石に人生の詩と人間造形の博物館であるシェイクスピアの文学においては愛も恋も描かれている。愛はある日、啓示のように訪れ――受胎告知の絵のように――愛は世俗では成就することなく『ロメオとジュリエット』のような経緯を辿りながら儚い結末を迎えるか、それとも嫋やかにも強かにも日々を生きながらえて、抗うのではなく目に見えない不可視の心理の力学、――撓(たわ)みつつも撓(しな)うように内に反力のバネをたくわえながら、生きながらえて『十二夜』や『冬物語』のような、恋の偉大なる人類史上の傑作を生む。その至高なる愛が如何に辱めを受け迫害されたか、その極限は『ヴェローナの二紳士』であろう。神に由来する愛の使徒がかくも貶められ、辱められ、哀れさをとどめた例をわたくしは知らない。シェイクスピアの文学は、時に、人生そのものよりも非情であり無常である。

 シェイクスピアによって描かれた偉大なるイギリスの女性群像は、先に述べたジェイン・オースティンの文学において、ミクロコスモスのような愛のタペスリー的ロココ模様を情緒纏綿と、水彩画のような世界を現出させる。『高慢と偏見』の世界から『説き伏せられて』へ。最初はそうでなくても、互いの熟成と人間理解が進むに従って恋も愛に代わり得るし、愛も恋へと変化してこの世において細やかな実を結ぶ、そのことの仔細と機智を、台所の片隅から誇りをもって英国女性の自負として描いたのがオースティンの文学であり、その継承者たるヴァージニア・ウルフの文学なのだと思う。

 されど恋と愛、神に由来するものとしての自然性として愛について自己を欺瞞するものは如何なる不自然な悲劇的結末を引き受けなければならないのか、ゲーテの『親和力』の世界の不気味さの前に、わたくしは戦く!
 ドーバーを隔てて、ジェイン・オースティン対ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、対峙する二人の大立者、愛を廻る思索と観想に終わりはない。

 わが国においても、近代的な愛とは言えないかもしれないけれども、西洋的な愛を理解するだけの器量と容量とを既に樋口一葉の文学は、その古典的な源氏物語風の文体と様式にもかかわらず持っていた。その古風さにも関わらず、明治期の青年たちを引きつけた。その魅力は彼女の美貌の故にだけではない。迸るような青春の滾り立つ清冽さ、封建的美徳と道徳、時代によって要請された倫理にいっけん殉じるように見せながら、誰もいない崖に面した北向きの書斎では一人、”冷笑”を浮かべていた一葉の曇りなき理知と冷徹さ、そこに明治期の青年は血が迸り出るような感性の露出を経験したのであった。近代西洋文明の洗礼を受けぬまま、江戸前のそのままで、女であることの苦しみを女の場所で考え抜いた樋口一葉は、別の入り口から彼女なりの近代を潜り抜けていた。一様とともに過ごした明治期の青年たちは、会話が深夜に及んでも崖下の女だけが棲む一家のほの灯を去り難く、まるで既に亡くなった故人であるかのように哀惜を籠めてこの一期一会のひと時と、一葉を顧みた。まるで彼女が、もう、そこにはいないかのように。
 わたくしは一葉と独歩のことを考えるときはつらくなります。

 同様に封建制のただなかに頸木のように屹立して生きた近松門左衛門、一連の近松ものと呼ばれる浄瑠璃とも文楽とも云われる特異な芸術形式が意外と、世俗を越えた愛と廓社会の柵を描くことにおいて、愛のキリスト教的な様式性と酷似していることは、やはり天才と云うものの底知れなさと、偉大なる文学と云うものは時代や歴史を越えると云う普遍則、古来よりの言い伝えをわたくしもまた是認するほかに過ぎないのであろうか。

 この日ごろ、まだまだ残された余時間の短さを実感しながら、偉大なる天才たちとの対局を、対話を、幾つもいくつも逸してしまっていると云う思いは強い。なぜ、本質的なもののみに時間を割かなかったのか、と。