ミラノ 夜ごと ことばに灯がともる日(2010/3) アリアドネアーカイブスより
ミラノ 夜ごと ことばに灯がともる日(2010/3) アリアドネアーカイブスより
2019-08-26 17:12:52
テーマ:アリアドネアーカイブス
原文:
https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505535284.html
ミラノ 夜ごと ことばに灯がともる日
2010-03-09 11:30:41
テーマ: 須賀敦子の部屋
須賀さん初期の作品には”ミラノ 霧の風景”にも”コルシア書店の仲間たち”にも、ウンベルト・サバの詩が引かれている。一方では灰色のため息のように、いまひとつは過ぎ去った時間に滲む涙の煌めきのように・・・
ここ数日天候が勝れない。ここでは、こころに華やぎをもたせる、後者の方から。――
ミラノ
石と霧のあいだで、ぼくは
休日を愉しむ。大聖堂の
広場に憩う。星の
かわりに
夜ごと、ことばに灯がともる
人生ほど、
生きる疲れを癒してくれるものは、ない。
毎年春が近づくと、須賀敦子の本の幾冊かを読みたくなるのだろうか。というのも、ぼくはそんなに古い読者ではないのだから。イタリアに向かったのが二年前の春。その日はたまたまぼくの60歳の誕生日で、彼女の命日であることを後で知った。そのころまだ彼女のことは知らなくて、数年前に読んでいるはずの”霧の風景”は定かな印象を残してはいなかった。初めて接する海外の風景がミラノやロンバルディア地方の諸都市であったことは幸いだったのだろうか。春先の氷雨にけぶるくすんだ煉瓦の壁や石畳の道は意識の内部でなにものかの生存の在り処を告知しつつあった。とおに人生の終わりのゴングは聴いたと思っていたはずなのに、イタリアから帰るとぼくは40年ぶりに文学を再開した。