アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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須賀敦子におけるフランドル風のものの意味変容(2010/3) アリアドネアーカイブスより

須賀敦子におけるフランドル風のものの意味変容(2010/3) アリアドネアーカイブスより
2019-08-26 17:05:38
テーマ:アリアドネアーカイブ


原文:
https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505535298.html

須賀敦子におけるフランドル風のものの意味変容
2010-03-26 11:09:11
テーマ: 須賀敦子

フランドルとはまずわが国ではフランドル絵画で有名だが、北部ネーデルランド諸州が明確な意識をもってプロテスタントとしての己が位相を表明しえたのに反して、南部のネーデルランド、すなわちフランドルは宗教的にもカソリック諸勢力の巻き返しにあり、ブルゴーニュ侯国の興亡ともからめて、歴史の表面からは光の当たりにくい位置を占めたかのようである。この間の経緯についてはヨハン・ホイジンガの大著”中世の秋”が委曲をつくしている。

今回須賀さんが生前に発表しえた”ミラノ 霧の風景”から”トリエステの坂道”に至る四作を読み直して、この四部作の完結性をいまさらながらに確認した。この初期の四つの作品については関連が自明視されているためか、かえって主題としての統一性、四部作のまとまりについて言及されることは少ないようである。須賀さんの主題は”霧の風景”であり、”霧”の正体を見極めることにあった。それは須賀さんの持続する愛の確認であり、固有さを帯びた時間との決別であった。”コルシア書店の仲間たち”の末尾の有名なくだりは、須賀さんが新たに一人で立つべき場所への言及であることを指摘しておいた。

須賀さんは曲がりくねった道の果てにどこに向かおうとしていたのか。”ユルスナールの靴”の中で、わたしたちは1954年の最初の冬、唐突な形での彼女とフランドルの海との陰鬱な出会いを語る彼女を知る。そのとき同行した男性――もはや今日ではその固有な実在性も明らかになっているとは思うのだが――のちにかの”X”とも呼ばれるべきこの影のような存在がアリサ主義者、すなわちジッドの”狭き門”の愛読者であることを知る。後年の回想を通して須賀さんがずっと”狭き門”に判然としない印象を持ち続けたことをわたしたちは知っている。彼女はミッションスクールでの経験を通じて、観念や概念で割り切ることの堅苦しさを感じていた。彼女の感受性の質からすればこの”X”なる人物と別離が必然化することは自明であった。

フランドルはまずアリサの海として、陰鬱な様相のもとに現れた。このときうけた印象はかなり長く彼女の内面を揺曳し影響を与え続けたのではなかろうか。わたしはこれを北方的”ゴシック的なもの”と名づけた。そして彼女に転機が訪れるのは”霧”の正体をそれとなく名づけることができ、思い出の固有性から開放され、”文学”というもっと普遍的な場で勝負をしようとした矢先のことではなかったろうか。

彼女はユルスナールの”ハドリアヌスの回想”において、また”黒の過程”において、神なき時代の人間のあり方、錬金術における中間期である”黒の過程”と呼ばれた人類の最も生き難き時代のあり方について語る。それは滅び行く肉体への愛惜を通じて、殉教者としてではなく普通の人間として人生を完結させることの意味であった。

彼女は神からも、時代からも、そして読者からも見放されて一人トルチェッロ島の船着場に取り残された経緯について回想する。

”トルチェッロの桟橋の土手の草むらにうずくまって、私はヴェネツィア行きの最終便を待っていた。甲高い鳥の啼き声はもうしずまって、海に浮かんだ桟橋が高く、低く、波間に揺れて、そのたびにぎいっとくぐもlった音をたてた。もしも、最終便が来なかったらどうしよう。太陽が波のむこうに沈みはじめたとき、私はもう一度、考えた。一瞬、島にとりのこされるかもしれないという、あるはずのないことが、むしょうに恐ろしく思えた。
 なんだ、そんなこと、もう一人の自分が、低い、うなるような声で言った。ここに、じっとしていれば、じっと待っていれば、いいんだ。”

わたしはこれをこのように読む。

”もし約束された来迎の神がこなければどうしよう。・・・なんだ、そんなこと、もう一人の自分が、低く言った。絶対的受容性としてのあり方で、待機していよう。”

”ここ”とは、あの世にもこの世にもいけない、煉獄の世界を現しているのかもしれない。彼女は”古いハスのタネ”のなかで、オデッセウスについて書く。それはホーマーのオデッセウスではなく、”道に迷ったまま、<老いて気も萎えた>オデッセウスで、彼と彼の仲間たちを乗せた船はとうとう、<世界の果て>と中世人が信じていた、ジブラルタルの岩にさしかかる。”

この話は、じつはプラトンの”国家”末尾の”エルの物語”につながっていくのではなかろうか。
エルの物語とは、さまざまな経緯をたどって”閻魔様”のまえに引き出された魂が、引き続く未来の転生する自分のありようを選択するというお話なのだが、波乱万丈の生を終えたオデッセウスは確か煉獄の最も底で平凡人のあり方を選択したのではなかったか、どうも記憶がはっきりしない。