アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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破壊された顔――デュラス『苦悩』をめぐる会話(2012/12) アリアドネの部屋アーカイブスより

破壊された顔――デュラス『苦悩』をめぐる会話(2012/12) アリアドネの部屋アーカイブより
2019-08-26 16:43:05
テーマ:アリアドネアーカイブ


原文:
https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505537856.html
破壊された顔――デュラス『苦悩』をめぐる会話
2013-12-21 11:54:16
テーマ: 文学と思想




http://ts4.mm.bing.net/th?id=H.4962135826760679&w=149&h=147&c=7&rs=1&pid=1.7 http://ts4.mm.bing.net/th?id=H.4618714553517699&w=118&h=147&c=7&rs=1&pid=1.7


――『苦悩』の中で幾たびか出てくる「文学の沖」と云う表現ですが、ここでは文学と云うものを、描かれる対象とそれに相応しい表現形式の関数として考える場合に,公開された共通の方程式理解と云うか関数的定型的表現が成り立たないということで、デュラスは二つのことを言おうとしているようです。
 一つは、戦間期から戦中のレジスタンス運動の時期を通じて戦後の、最終的には共産党との決別の時期に至る、彼女の独特の立ち位置ですね。彼女は、長い文学的作家生活の中で、驚くほどこの時期について、――考えてみれば不思議なことに、なにひとつ語ってこなかったのです。
 この点は、しばしば、――わが国でいうなら紅白の事は眼中になしと云って憚らなかった定家風のダンディズムかと思っていたのですが、『苦悩』などを読むと、そう単純なものではないのですね。むしろ、後に文学者のアンガージュマンと云われるようなものとはまるで質の違ったかかわりの仕方をしているのですね。「ムッシュウX 仮称ピエール・ラビエ」や「アルベール・キャピタール」などを読むと、アンガージュなどと云うそんな半端なかかわり方ではなかったのです。
 この点は二番目の、20世紀が生んだアウシュヴィッツと云う現実にかかわる彼女の言説についてですが、ここで彼女は驚くべきことを言っているのです。――

デュラス:「大戦中にユダヤ人の身にふりかかったことに覚えた痛手から私は全然立ち直っていません。私は自分の身にふりかかったことからは立ち直りました。私は子供と兄を喪いました。レジスタンス運動で、ラーヴェンスブリュック、アウシュヴィッツ強制収容所で、十四人の友達を喪いました。でもユダヤ人の全般的な運命にくらべれば、そういった個人的喪失の傷の方が治りかたが早いのです」

 これは通常の感覚とは逆ですね。私たちは、「ユダヤ人の全般的な運命」について心を痛めることは確かにあります。彼らの受けた運命と現在の自分たちの秩序感覚との絶対的な相違、その疎隔感ゆえに自分を責めることはあっても、結局は「世界の出来事」として一般性の中で忘れてしまう事が多いのです。むしろ私たちが立ち直れないと真に感じているのは、自分たちの身近な家族や友人知人の死や離別についてなのです。マルグリット・デュラスの感性は普通の人間の感じ方とは相当に異なっていると云わねばなりません。言い換えれば、彼女の直面した現実とは一般的な人間的感覚とは相当に隔離されたものであったに違いありません。つまり、彼女が「文学の沖」と云う事で言わんとしていることは、通常の定型的表現、定型的人間的な感情では伝え得ないような領域がある、と云う事ですね。
――彼女が『苦悩』の中で、死んでいることを次第に確信するに至る夫の帰宅を待ちながら、何事もどんでん返しはあるもので、一転して九死に一生を得た得た夫を迎える中で、献身的な介護の結果、結果的に夫が普段の生活を送れるようになるまでを見て取って、改めて、離婚を告げる!残酷ともいえるくだりがあるのですが、これについては案外と、ごまんといるデュラス研究家たちや愛読者たちが語らないのですね。『苦悩』六篇を読めば明瞭であるのに。
――ひとつはこう云う事だと思います。つまり、生死の分からない夫の帰還を待つと云う美談風の物語的枠組みの中で、二人の現実が相当に違ったものになってしまったことです。『苦悩』の末尾にイタリア人の友人家族とリグリア海岸に遊ぶ場面がありますが、ひとり自分だけ取り残されたように海岸近くで海面のうねりに魅入る夫の姿を見て、つらくて見ていられないと云うようなことを書くわけですね。そんな彼女に何時しか夫は気付いていて、なれ合いの同情の籠った笑顔を反してくるのですが、まずここでは、励ますものと励まされるものとの関係が逆になっていることに注目していただきたいのです。もう一点は、この段階ですでに二人の間で離別の事が話し合われており、それを過去の事実として踏まえた上での夫の笑顔があったと云こきと、実に不思議マスコロのな微妙な微笑であった、と云う事を私たちは見落としてはいけないと思うのです。このほほえみは、人類の一番美しい微笑と云うか、人間であるゆえの人間である限りの微笑と云うか、しかし、こうした美しさの前にデュラスは身の置き所もないほどたじろいてしまうのですね。
――なにゆえデュラスは夫を見捨てたのか、それは「苦悩」だけを読んだだけでは分からない。「ムッシュウX 仮称ピエール・ラビエ」や「アルベール・キャピタール」を読めば、夫を待つと云う戦時下での極限的な状況の中で、普遍的でもあれば一般的でもありえた、ごく普通の主婦の時間とは相当に異なった、人間のドラマが謎の象形文字のように浮かび上がってくるように思えるのです。
――前期の記事「ロベール・Lを待ちながら」でも書いたことですが、夫を待つ間の時間の中で何かが二人の間で決定的に変わってしまうのです。確かに、九死に一生を得て生還した夫に対して、まるでその多難な出来事に対する首尾一貫したご褒美のように離別を告げると云うのは、確かに訳者の田中倫郎氏が言うように「残酷な出来事」であるのかもしれません。しかしそれは通常の理解、公共的な枠組みの中での感受性の受容形式の中で言い得ることに過ぎないのです。
――般的な言い方をすれば、夫のロベール・アンテルムは戦争の被害者のようにも語りえた、ということですね。しかしデュラスは「ムッシュウX」や「アルベール・キャピタール」、「親独義勇隊員テル」などを読めば加虐-被虐の捻じれた現実感の方へと押し流された時間性の中に一人孤独に立っていました。アンテルムと戦争全般の、ナチズムの残虐性を単純に語りえるよな立場にはなかったのです。アンテルムに対する愛が醒めたとかどうかということではないのです。
――そこでデュラスはぬけぬけと、マスコロの子が欲しいなどと云う言い方をして離別の話を切り出すのですね。つまり介護したのはアンテルムが正常な判断をしうるほどまでの思考判断機能の回復を待っていたと云わんばかりなのですね。
――そうして、私たちはマスコロの関係においても、これが通常の男女の関係などではなく、むしろ極限状況下におかれた戦友の同志愛に近かったことを理解します。レジスタンス運動と云う極限的な状況下でデュラスとマスコロの関係は表裏一体の奇妙な二人三脚の関係で、どちらが考えどちらが行動したのか分からないようなところがありました。その人格と人格の関係が溶解したような同志愛の異常さは、同志的結合の関係性の中だけではなく、驚くべきことに敵との関係性の中においてすらも捻じれた相似形と云うか、奇妙に親和的な類似性を見せていたことです。
ムッシュウX」や「親独義勇隊員テル」などに隠されているのはこうした隠微な花のようなエロティシズムです。「アルベール・キャピタール」などが明らかにするのはまるで十字架上のキリストのように、全裸になって血だらけの姿で拷問される男の姿です。デュラスもマスコロもこの現場に立ち会っているのです。立ち会っていると云うよりか、状況を主体的に先導する立場に身を置いていたのです。
 戦後、アンテルムの健やかな肉体と精神の回復を見届けた時、二人がお互いの中に見出したのは、過酷と云う意味では共通していても根本的に異なった二つの現実でした。時と条件、状況が変わったからと云って変われない人間だっているのです。デュラスの告別は、共に生き時間への、まるで影のように日向のように生きたジャン・マスコロへの、改めて言表された連帯への表明だった、と思うのです。