アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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漱石の『それから』について

 漱石の誰が一番好きかと問われたならば、やはり『それから』の代助だと答えるだろう。実在した人物ではないのに、ふとその名を思い浮かべるだけでも涙ぐみそうになる名前、それは『それから』のヒーローのことである。
 代助を廻る脇役たちも的確に描き分けられている。代助のような高等遊民をいつまでも養っては置けない本家の事情、板挟みになる美しき義姉の面影。そして影のように神秘的な三千代と、悪意の平岡。特に平岡は良く書けている。市民社会の爛熟化の過程で、学歴もあり知性もある男が社会に正当に活かされなかった場合にどうなるのか。こうした陰の人格が社会変革に向かうこともあったろうし、憎悪や復讐を梃子に全体主義社会を支えたということもありえただろう。漱石は、自分の廻りに見聞した負の知識人群像と云うものを『それから』のなかに描きとどめている。こうした悪意の人物が正面から堂々と描かれたのは、後期の『道草』、『明暗』などを除けば例外的であったことが窺われる。
 結局、『それから』の代助と三千代は何処に行こうとしているのか。実家から仕送りの援助を拒否され、自らの手を汚して生活費を稼がなくてはならないところに追いやられて、一方では三千代への後悔の意思と同意を得ながら、平岡は意固地になって三千代を簡単には手放してはくれない。
 すべては『それから』だと云うのであるが、それから先が開けるような道行きではない。まるで、その当時険悪な国際環境下に置かれた日本のようにその足取りは覚束なく先が見えない。

 すぐる歳月、小日向の道を神楽坂から歩きました。坂を登り切ったところにある牛込は代助が住んでいた場所、坂を降り切ってなお紆余曲折する小道を上り下りしながら、最後は小日向の谷間に至ります。この谷間が、あの神秘的なヒロイン平岡三千代が住んでいたところです。
 二人はしっかりと、強い意思をもって二人の愛を確認いたします。視界が閉ざされているがゆえに二人の決意は殉教者じみてさへ思われます。そこからは急な坂道が北の方向へも通じていて、まるで記憶の急に霧たち渡るように朧に霞んで、そこを息を切らして一心に登りきると茗荷谷で、そこは記憶のなかに半ば死滅し半ば摩耗しかかった、か細くも記憶の闇の彼方に明滅する隠れキリシタンの殉教の地であると同時に、思い出の女性の遠い面影がそこはかとなくただよう私の思い出の場所です。
 こんなことで、茗荷谷から神楽坂に至る私の散歩道は、漱石の『それから』のほの暗い絶望の道と重なり合ってしまうのです。
 もちろん、私は代助に比してしたたかには生きましたけれども。
 
 
 
 かれらの今後が、『それから』が『門』のように日陰の生活に秘められたとは思わない。『門』のような生活を送るには余りにも激しいものがあり過ぎるのだ。『こころ』のように、自己処罰と自己弁護の理屈の上達を期したとも思えない。『それから』とは漱石にとっても『それから』であった。

 それにしても中期の傑作、『草枕』、『三四郎』、『それから』、なんど同時期と云ってもよいほどの時間感覚のなかで書かれたものでありながら、それぞれになんと異なっていることだろう。