アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ジョイスとプルーストの出会う場所 2010-09-26 17:38:51

ジョイスプルーストの出会う場所
2010-09-26 17:38:51
テーマ:文学と思想

 

 有名な話であるが、ともに二十世紀の文学世界に革新的な意義をもたらした二人の巨匠、ジェイムズ・ジョイスマルセル・プルーストが一度だけ、当時パリのホテル・リッツであったか、晩餐会で顔を会わせたことがあったという。もちろん偶然ではなく、当時パリにいた四人の天才たちを一同に会したいと言うかなり際物じみた商業主義的な企画であった。その四人のうちの残り二人とは、画家のピカソと音楽のストラビンスキーなのだが、これはさておき話を文学に限るとしても、こうでもしなければこの文学史上に聳える二人の天才が会することは無かったのである。それほど二人の才能は異質で、天才同士が互角に組んで何か霊感に満ちた会話がこの夜交わされた形跡は無かったらしい。現在までに伝えられている二人が交わした唯一の会話とは、帰りの馬車の中で同席した二人がスープか前菜かの好みについて、プルーストの側から一言だけ儀礼的会話が交わされただけであったという。

 ”フィネガンズウェイク”は別として二人の代表作である”ユリシーズ”と”失われた時を求めて”を比べると自伝性や神話的な手法の多用は別としても、時空の構造が大変よく似ている。周知のように”ユリシーズ”においては1904年6月16日のアイルランドの首都ダブリンを舞台にした芸術家志望のスティーブン・ディーダラスと、しがない広告会社の営業マン、レオポルド・ブルームの一日の行動を描いている。スティーブンのモデルは言うまでも無くジョイス本人でありブルームについても実在するモデルがいたらしい。この物語の驚異すべき点は、物語世界と実在するダブリン市民の一日が一対一の厳密な対応を見せ当時の新聞記事等の記述とも一致した実証主義的な精密さをみせていることである。しかもこの 日常的・末梢的事象に拘る細密画的レアリズムは他方ではこのダブリンの一日がホーマーの”オディッセア”のユリシーズ十年間のエーゲ海放浪遍歴との実に二千五百年の時空を隔てた時間軸における巨大な歴史的且つ神話的な照合関係を築くものであり、さらに登場人物の形象と表出においては”ハムレト”や”ドン・キホーテ”といった文学的な資料がその都度喚起され引用されるといった凝りようなのである。

 プルーストはこれとは別のリアリズムを目指した。それは時の遠近法とでもいえる方法なのであり、人物の造形性を”その都度性”ともいえる感覚の花束や花びらの一つ一つの映像に解体した。プルーストが用いる多用な隠喩は言語的な意味の一義性を超えてちょうど花の開花を捉えた高速度写真のように華麗な映像の分解能、緩やかに分解する言葉のスローモーションの舞踏を演じるかのようである。人物造形における時空の広がりはジョイスに比べたら遜色はあるとはいえ、文学の文献的引用のみではなく音楽や絵画、美術や建築等のプルーストの膨大な博識によって裏打ちされる。文化事象への言及はジョイスに比べてルネサンス以降に限られるとはいえ、引用の方法はより本質的であり有機的な関連として作者プルーストその人と結びついている。とりわけフランス社会小説の伝統を踏まえた多用な人物造形はリアリズムとは正反対の極にある。人物をその階級性において描くときそのデモーニッシュな能力は極点に達する。シャリユス男爵は別として階級的幻想としてのゲルマンと公爵夫人の見事な凋落振り、女中頭フランソワーズの個人的な性格を超えた階級的実在性の根拠。実在性レアリティの根拠とは何であろうか。

 市民社会が生んだ自立的個人など所詮幻想なのであり、人間とは彼が偶然生れ落ちた環境、狭い人と人との間で取り結ばれた不可思議な階級的同一性とでもいえるものによって人は人間となるのではないのか。最初に人間という概念があって社会に参画するわけではない。実感とかリアリティとは人と人との繋がりの中で創生されるものであり、且つその狭い世界の中でしかリアリティとは生き得ないものであり、抽象的理念として人間性一般等という概念があるわけではない。サロンという限定された上流社会の一面を描きながら同時に地殻変動を起こしつつある階級社会の地滑り現象をまるで鏡のように写しながら、最終巻”見出された時”におけるゲルマント大公の華麗な舞踏会は何時しか死臭をおびた巨大な時の仮装舞踏会と化す。現実と内的現実は逆転し、かくて芸術的感性の優位が高らかに宣告される。しかしこのときに於いてでさへ肉体性をもった一個の具現体としての人間には偶然がもつ悲劇性が付きまとう。すなわち見出された時を生かすべく作品に着手するべき時が到来したとしても、最大限に見積もって許されるあとどのくらいの時間が残されているのであるか、と。

 こうしてプルーストの主要な闘うべき相手とは、かっての芸術的テーマやそれに関する自己の無能力ではなくて、追いつ追いつかれつの死とのデッドヒートと化す。

 考えてみれば”失われた時を求めて”とは不思議な作品である。一万枚を超える字数を持ってしても語られたこととは偉大な真理や哲理といったものではなく、プチットマドレーヌを浸した一杯の茶碗の中に秘められた世界の水泡の泡立ちに他ならなかったのである。人が長い人生を生きて、様々な実相の諸経験と遍歴の果てに見出されたものがたったこれほどの日常の些事に過ぎなかったのかという思いは深い嘆息と共に、限りなくわれわれを慰めもする。如何なる人生の希望も夢も、あの日あの時の裏木戸の呼び鈴の引く余韻、深夜の階段の壁を揺らぎながらもなお暗く照らしでしていた蝋燭の光ほどの意味を持ち得なかった。プルーストにとってさんざしに口付けして涙する少年の無償のお別れの儀式を超える人生経験など存在しなかったのである。そんな本人以外はとうに忘れ去られた秘私的な日常の些事ですらもが芸術という光学機械の透視的な光源に当てられた時、死を超え時を越えた永遠性に達し、人生をして生きるに値するものと思わせるのである。

 人間精神の極北への冒険であると同時に精密な文学の工場、人間の肥大化した野心が齎した野望の廃墟でもあるような”ユリシーズ”の場合は、プルーストの場合ありえたような特権的な場、帰着すべき場所など無いかのようである。ジョイスの文学に慰めは無い。一杯のお茶の温もり、階段の壁を温かく染めた蝋燭の炎の揺らぎ、遠慮がちに鳴らされるスワンの呼び鈴の音色、そして溢れるような感激でもって涙したさんざしの道との出会い、メゼグリーズへの道のようなものはない。彼の文学には原初的な人と人との出会い、回帰するべき場所の原経験のようなものが欠けていた。”ユリシーズ”の到達したジョイス的時間の午前零時とは氷雨降る無人の荒野、アイルランド西部の荒野の果て、西日を浴びて断崖が海に落ちるところ、ゴールウェイの原野を吹きすさぶ風のすさびのようなものであった。結局ジョイスの一生とは、祖国の思いを籠めた重い十字架を、ヨーロッパ大陸を西から東へ、南から北への引きずり回した超人的な徒労、途方も無い無分別の野望、一徹に道に刻まれた十字架の轍の跡のようなものであった。

 ”ユリシーズ”には時空を超越した二千五百年を隔てて拡大する全体性があり、プルーストの”失われた時を求めて”には未完の教会堂建築のような生成し続ける求心性としての全体がある。人間精神の極北を目指す”ユリシーズ”はその精密度において微分的であり、”失われた時を求めて”は終わらざるゴシック的全体性という意味で、積分的である。結局二人の出会うべき場所など無かったのだろうか。人間であることを途方も無いほどに遠く離れてしまった無人の文学と、これまた途方も無い人生の回り道を経ることによって無限に自らを失い見失い続け、実存の根拠を求める問わず語りをまるで千一夜物語のように自らの延命と引き換えに死の大王に懇願しなければならなかった文学とを。・・・