アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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回想の”夜明け前”と藤村(20011/2)  アリアドネの部屋アーカイブス

回想の”夜明け前”と藤村(20011/2)  アリアドネの部屋アーカイブ
2019-08-25 21:50:59
テーマ:アリアドネアーカイブ

原文:
https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505535423.html
回想の”夜明け前”と藤村
2011-02-13 13:11:13
テーマ: 歴史と文学

一人の青年の涙から始まったエジプトの革命、後進国あるいは途上国の政治的経験と思いがちなのだが、日本はいまだかって民衆の力で国家権力を退陣まで追い込んだ経験はないわけである。日本人は自分では政治的に成熟していると考えているが、このような劇的な経験は、ない。

話はピンポン玉のように飛んで、藤村の”夜明け前”を思い出した。御一新がなって木曽路の山奥で勉学に勤しんだ同胞たちが口々に、ようやく自分たちの思いが形になったね、と感慨を深める場面がある。口々に心の内外に起きつつある興奮を語り合う青年たちの興奮はどこか懐かしく何度か聴いたことがあるように想いながら、実は日本人としての経験は皆無なのだという現実に気付かされてしまう。。

1971年の冬、雪を踏んで山道を木曽路に入った。木曽福島の高瀬家を訪問し、そのあと王滝に向かった。王滝村でバスを降りたのは一人だけで、中腹の宮居までの石段はさながら峻厳さに満ちていた。半蔵はここで山籠りをして太古の直き心で世の中を変えなければならないと祈願するわけだ。帰りは夕なづむ田舎道をバスの車窓に頭を凭せ掛け、揺られ揺すられながら宵闇の木曽福島の停車場まで引き返して行ったものだ。当時なんの希望もなく22歳の誕生日を直前に控えていた。

翌日はいよいよ目的の馬籠・妻籠に入った。青山半蔵(島崎正樹)時代の遺構を残す裏の隠居部屋を見るのが目的であった。そのあと菩提寺・永昌寺に正樹の墓を訪ね、そこから日々半蔵たちが仰ぎ見た恵那山の山容を確認することが旅の主目的であった。島崎家の墓地に所を得たように納まっている半蔵の墓碑を眺めながら、あれほど反逆し敵視した仏教の法域の中に抱擁されている彼の姿が哀れでもあった。”俺は、お天道様も見ずに死ぬ”というのが彼の遺言であった。旅の終わりは日没の東濃美平野を望む十曲峠の折れ曲がった道をとぼとぼと、宿・落合まで下って行った。そして一年後、降りていった方向とは反対の、名古屋に住むことになるとは思ってもみなかった。

最近は文学部で島崎藤村を卒論として選ぶ、ということはあるのだろうか。平野謙などが文芸批評家として活躍した僕らの時代が近代日本文学のブームの終末期に当たるのだろうか。当時においても既に、藤村を読むことは時代錯誤の感じがあった。一つには彼が伝えようとした文士的姿勢、オピニオン性、近代化のことぶれとしての幻影がすでに決着がついてしまった事象であったからだろうか。それでも私は、”夜明け前”と”細雪”を日本近代文学史上の屈指の傑作だと信じている。

”夜明け前”は、実生活では結構老獪でもありしぶとく生きた藤村の実像とは正反対の、純粋に生きた父親の青年像を理想化して描いた点にある。日本の近代化の問題を、明治以降の欧化の脈絡の中ではなく、平田国学と云う由緒正しき日本の伝統に基づいて問われ闘われ敗れた日本民族の記憶を伝えたことである。つまりもう一つの明治維新が、日本流の明治維新が有りえたという知見に驚いた。

二つ目は、ちまちまとした日常描写に終始するかに見えた日本自然主義が最後に、日本近代史上の重要な一時期を選んで雄渾な叙事詩を描きだしたという点にある。長編小説の定義としては、一つの時代の終末を総括するようにしてその記憶をとどめるという定義を聞いたことがあるように思うが、”夜明け前”は谷崎の”細雪”とならんで、明治年間から世界大戦の灰燼に至る日本近代史の記念碑のような位置にあるのである。

そうしてこの本の魅力は、何よりも父親の純粋な生き方にある。小説だから理想化して描いてあるのだよなどという御忠告はそもそも小説と云うものが分かっていないものの言い分なのである。世の中には虚構でしか伝えられない真実と云うものがあり、小説的な時空の自律性と云うものがあり、芸術・文化の発生の起源と云うものがある。

三番目の特徴は、ちょうどメビウスの輪のように入り組んで循環する時間と空間の小説的構造である。主人公は二十歳前後の青年、青山半蔵である。味噌納戸の座敷牢で牢死する老年までなぜか永遠の青年のような面持ちで描かれることになる。永遠の青年であるということにおいて、幼年期と成人期あるいは円熟期との中間にあって、曖昧さを持った永遠にさまよう姿をもって、移ろいゆく、いずれにも属さない不安定さと中間性を象徴している。つまり時代が若かったころの象徴なのである。

次に徳川幕藩体制から明治の近代国家への移行期と云う、日本史上の劇的な転換期を正面から描いたことにおいても、歴史上の中間的な位置を示している。単なる回顧でもなく、単なる結果を是認し賛美する既成性とは無縁である。この辺りが司馬遼太郎江藤淳などの国粋史観とは異なる点である。

極めつけは、中山道の木曽宿という、京都と江戸をつな地理的に中間的な位置、さらに本陣・問屋・庄屋階級と云う、支配階級と被支配階級の中間的な社会構造上の特異な位置に主人公を立たしめていることであろう。

このことによって、例えば小説的にどのようなことが生じるか。――つまり木曽の山里と云う江戸からも京からも最も僻遠の地にありながら、東西両極の情報をリアルタイムに一番始めに知りうるという、情報上の逆転が生じるのである。例えば安政の改革の立役者でありながら八面六臂の活躍の果てに矢折れ刃つきて、一人木曽のは旂籠の一室で懊悩する老中主座・阿部正弘の等身大の像を描き出しているが、これなどは歴史家にはできない芸当である。また東西を総覧する時間軸・空間軸における地理的卓越性は、天狗党の竹田耕雲斉一党の顛末を描いた、雄渾な臨場性あふれる歴史的叙述に明らかである。

しかも革命期の優柔不断な青白きインテリゲンツィアの内的独白を描いているのではなく、本陣の後継ぎとして権力体制の一端に繋がり体制を担うものとしての己の立場、あるいは問屋の元締めとして社会流通機構の全体に繋がり徳川幕藩体制を支えるものとしての政治社会的な位置、そして庄屋としては搾取・搾取される側の階級的悲哀両面を理解しうる社会の要の位置にある自らの像を見出すわけであるから、個人史がそのまま歴史社会の全体史ともなりえているのである。つまり滅びようとしている一時代が滅びの前に己を強く意識するかのように時将に、祖国防衛のための芸術的抵抗の戦列と布陣とを敷き、ここに近代日本文学は途方もない全体小説を生みだしたのである。