”ガルシア・ロルカの世界”――生誕百年記念(1998年) アリアドネの部屋アーカイブスより(2011/8)
”ガルシア・ロルカの世界”――生誕百年記念(1998年) アリアドネの部屋アー(2011/8)
2019-08-23 23:15:01
テーマ:アリアドネアーカイブス
原文:
https://ameblo.jp/03200516-0813/entry-12505536111.html
”ガルシア・ロルカの世界”――生誕百年記念(1998年)――(2011・8・17)
2011-08-17 11:07:59
テーマ: 文学と思想
ガルシア・ロルカに関する本を初めて読んだ。
この本は、ロルカの生誕百年を記念する、わが国の様々な分野を代表する一人者の追悼アルバムのようでもある。ここに、様々な・・・と書いたのは、ロルカ自身が詩人としての評価のほかに、音楽や絵画、演劇やフラメンコ等様々の民族芸能に携わっていたためであるらしい。活動の多彩さゆえに三十八歳で夭折したという事態が余計に儚く感じれるのだ。
入門書としては、もっと評伝の類や、実際の詩作品等について解釈をの述べる概説書のほうが良かったのだが、それでも様々な分野の人々が、各自の思い出を籠めて固有に語る語り口が、なんとも懐かしい優しさの回顧の響きを湛えていて、思い出を語る語りそのものが、ロルカの詩法へのオマージュであるかのようだった。
それぞれの人間が、それぞれの内に秘められた詩法において対象を語ることなしには、およそ詩について語るなどということは起こりえない。
それにしても、ロルカの詩は分かりやすい。
僕が死んだら
僕のギターとともに埋めて!
砂の下に
僕が死んだら
オレンジの木とハッカ草の中へ
僕が死んだら
もし君たちが望むなら
ひとつの風見の上に
僕が死んだら!
この文集にはロルカの幾何学的なミクロコスモスを論じた近藤豊の”血の婚礼論”から、渡辺万理の”食卓越のロルカ”まで、実に多彩にして多様であり、これは日本のロルカ受容の幅と底の深さを思わせるのだが、その中で個人的には平井うららの”メメント”が印象的だった。
それはロルカその人よりも彼と近しい親交関係あったダリ兄妹の、とりわけ妹のアナ・マリアの”その後”の時間軸における戦後的時間の地層的堆積を、たとえ無言のうちにではあろうとも思い描く想像の形を借りてではあれ、遥かに沈黙のうちに過ぎた時間の経過というものを髣髴とさせる、哀切極まりない思い出の記である。
"また会いましょう”
単に儀礼的に交わされる日常的時間のひとこまひとこまが、――”また会いましょう!”という一句の中が言葉に籠められた以上の意味と内容を持ちうるのは、そのさりげない日常の繰り返し行為が、何時かは終わりを迎えるという厳然たる事実、再び繰り返されること無き何時かは到来するであろう死と別れという、地上の定め地上の理を前提としている。
留学時に持参した本が手引きした偶然から、人を介してアナ・マリアに紹介された著者は、生前二度会っただけだった。それにしても、二度目の別れのあとにこの単なる儀礼句が、お互いの口吻のまわりに無言の形象を漂わせたあの日・あの時の未来への追悼への、一期一会とでも云うべき心の高鳴りのなかで言葉は繰り替えされたのだが、アナ・マリアの瞳の奥に”きりっとした、覚悟”のようなものを受け取っていたことを著者は後に思い出す。
何か、真剣勝負に似た鮮やかな瞬間が過ぎ去ったのだった。
時がひとりでに流れてひとづてに、アナ・マリアの死を遠く伝え聴いて程なく、差出人不明の封書がある日著者に届く。封書の中には未発送の葉書が二通、それは二回目に同行した著者の母親と本人に宛てたものであった。生前に周到にも用意しておいたものであろう。
アナ・マリアの絶唱とは次のごとくである。
時は
瞬間を言い止める詩の世界に生きるものには
永遠に輝く火
言葉がなんでありえたかの、ひとりの人間にとっての記憶といっても良いだろう。言葉は、ひとりの人間の記憶を通して死に抗うほども、強いものであった。
最後に、捨てがたいロルカの詩を、もうひとつ
わたしが死んだら、
露台(バルコン)を開けたままにしておいて。
子供がオレンジの身を食べる。
(露台から、わたしはそれを見るのです。)
刈り取り人が小麦を刈る。
(露台から、わたしはその音を聞くのです。)
わたしが死んだら、
露台を開けたままにしておいて!
アナ・マリアの心の底に熾き火のように秘められた火のような闘志と、これはまた、性差を逆転したかのようなロルカならではの、優しさの対比!