アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

映画 Once ダブリンの街角で について アリアドネ・アーカイブス

映画 Once ダブリンの街角で について
2014-12-04 13:13:10
テーマ:映画と演劇



http://ts1.mm.bing.net/th?&id=HN.608037425263411622&w=300&h=300&c=0&pid=1.9&rs=0&p=0



本物の歌手をつかって、ハンドカメラで撮った、
ドキュメント風の映画、
音楽好きの、年齢差の異なった男女の、
音楽への愛と人間への愛!
愛の終わりを演じて、余韻嫋嫋の映画!

ストリートミュージシャンの男に近づく女、
男は勘違いして、ある日女をベッドに誘う、
そんな女じゃないわ!

仲直りして、お互いの経歴や過去が明らかになる。

貧しさゆえにか東欧に置いてきた夫
彼との間には娘が一人いる、
その娘と、子守をする母親と入れて三人で
ダブリンに移り住んでいる

男はかって自分を捨てた女と、
再起の足掛かりを求めて
ロンドンへ行くことを求めている。

デビユーの足掛かりとなる音楽録音を
スタジオでとり終えて
音楽の確認がそのまま愛の確認であることを
了解したとき
二人にはそれぞれの選択の時が訪れる。

子持ちの、若い母親の、花売り娘の、
貧しいしがない移民の現実を
映画は過剰には描かない

愛はときに夢を語る
幾重にも幾重にもそれが可能であるかのように
ふたりで新しい生活にスタート出来たら
どんなによいだろう

女はたまりかねて、嘘を言う、
ロンドンに行ってもいいと

別れの日、男は娘を虚しくダブリンの町中を探す
喧騒と人と人との波また波
男は一瞬花売る声を聴いたようにも思うのだが

実家を訪れると、母親は夕方まで帰らないと云う
幼い娘が二人の前で駄々をこねて激しく泣き出す
二人の破局を暗示するような場面である

映画は男の、成功物語を最後までは描かない
共通な音楽への愛ゆえに
二人が描いた世界は本物であったし
真実を生きた二人の数か月の時間も真実であった

そして音楽人生とは異なった、生活者としての
二人の、それぞれの世俗の重い時間もまた
かけがえのないものであった

旅立つ男は、女にチェコ製のピアノを
プレゼントする
空港のロビーを足早に歩く旅姿の男と
東欧から合流した夫と娘のいる居間でピアノを弾く
平凡な家族風景の映像が重なる

映画はここで終わる

素晴らしいと云うよりも、音楽と映像が一体になった
一篇の詩ともいえる作品への驚き!

近年でもこれほど驚いた映画は
なかった、一時間半ほどの映画
€130000ほどの低予算の映画

ポピュラーミュージックの世界を知らないので
これはどういうジャンルの音楽なのか

カントリー風でもあるし、
単純な音階が刻む旋律が
なぜこれほどまでに美しく響くのか
単純な四つの音、四つの音の繰り返し
繰り返しとヴァリエーションによる
トレモロと弾き語りの世界

どこかケルト音楽を思わせる
素朴さ、単調さ
しかし、民族の哀歓を伝えるだけではなくて
ひとは自分であること
一人孤独であることを理解するときこそ
かけがえのない個であることを
固有なひとつの内面であることを
つまり自由であることを理解する

これらの歌が素晴らしいのは
自由がどういうものであったかを
しがないストリートミュージシャン
貧しいその日暮らしの花売り娘の姿をとおして描き
そして、語っているからだろう。