アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ヴァージニア・ウルフの”幕間”――白鳥の歌? アリアドネ・アーカイブス

ヴァージニア・ウルフの”幕間”――白鳥の歌
2010-02-17 00:36:42
テーマ:文学と思想

”幕間”はヴァージニア・ウルフの最後の作品になる。1941年2月26日にこの作品を完成させ、1ヶ月後に亡くなった。この多様なイメージと象徴の連合を白鳥の歌といっていいか迷う。なぜならこの小説の最後のピリオドは、”彼らは語った”であるからだ。夜が語る、とでもいうのだろうか。

登場人物はポインツ屋敷の若夫婦ジャイルズとその妻アイサ、その舅のオリヴァとその妹のスウィズィン夫人、ポインツ家の使用人と野外劇を演じ集う村の住人、素人劇作者ラ・ツロウブ、不意の来客マンレイサ夫人と奇妙な青年ウィリアム・ドッジ、それから一度も登場しない灰色の服を着た男ルーバト・へインズの”影”である。

登場人物の設定が普通ではない。主人公と思われるアイサは終始韻文的叙述が流れ、それが彼女と世俗的な世界の間に透明な膜で隔てる。彼女の夫であるジャイルズはその透明な膜の向こう側の住民である。指に幾つものダイヤを嵌めたマンレイサ夫人は凡そ気兼ねを知らない自由人だが、その同伴客であるドッジは、アイサとの間に一期の内に万語を交換し合う、彼らはまるで双生児のようなのである、しかし彼らの間にドラマが生じることは無い、なぜなら余りにも似すぎているから。

ウィリアム・ドッジはスウィズィン夫人にこのように自分を紹介する。
”学校で私は汚水バケツの中に頭を突っ込まれました。スウィズィン夫人。私が目を上げた時、世の中は汚れていました。スウィズィン夫人。それで私は結婚しました。しかし私の子は私の子ではありませんでした。スウィズィン夫人。私は半人間です。スウィズィン夫人。草の中でチラチラする、心の分裂した、くだらない蛇です”しかしスウィズィン夫人は聴いていただろうか。

スウィズィン夫人とは、晩年のウルフの中で回復しつつあった自然の含意なのだが、この意味が私には良く分からない。太古以来のイギリスを三度の幕間を交えて演じられる野外劇の最後に、観客は舞台の上に翳された各々が持つ鏡に照らし出された自分たちの像の皮肉な結末に思いを馳せながら、その意味を語り合うのだが、彼女と不意の来客ウィリアム・ドッジの別れはこの世のものとは思われないほどに美しい。

”「私はウィリアムです」と彼は言った。それを聞いて彼女は生き返った。バラの間に、白い服を着て、庭にいる少女、彼を迎えに走ってくる少女――いまだ演じていない役――のように。”

”「そこで私はあなたに感謝を述べます」と彼は言った。彼は彼女の手をとって、それを握りしめた。あれこれ考え合わせれば、彼らが再び会うことは無さそうであった。”

そうして私たちもまた彼女に会うことは無かったのである。――ヴァージニア・ウルフと。


”幕間” ヴァージニア・ウルフ著作集6 外山弥生訳 1977年8月発行 蠅澆垢砂駛