アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

ヴァージニア・ウルフ”ジェイコブの部屋” アリアドネ・アーカイブス

ヴァージニア・ウルフ”ジェイコブの部屋”
2010-02-20 12:21:10
テーマ:文学と思想

この小説はジェイコブの部屋と名づけられているが、ジェイコブ自身は明瞭な目鼻立ちを欠き、最後はあっけなく亡くなった様子が友人の眼を通して語れれて幕となる。第一次大戦で戦死たらしいことを語るのが批評の常套らしいのだが、小説自体がそのことを語るわけではない。ジェイコブの”部屋”とは、ジェイコブ自身ではなく、かれを取り巻く”雰囲気”、実際に小説の中では”意図的に”、ジェイコブの窓の外を通り過ぎる、無数といっても良い雑多な人々の描写があって、なぜ”・・・部屋”なのかが了解される仕組みになっている。

小説に筋らしいし立てがなく作者の意図が突出してこないというのも従来のウルフの小説らしいのだが、ジェイコブと呼ばれる少年の海岸で無心に遊ぶ姿から、26歳の主を失ったジェイコブの部屋を淡々と描くまでの叙述の方法は意図的に平板である。劇的とは言えなかったかもしれないがそれなりの彼と彼の家族をめぐる生の奇跡にそれなりのドラマはあったかも知れないのだが、それらも断片として語られる以上の意味を持たない。

この小説は後の映画におけるモンタージュやフラッシュバックという手法を思い出させる。時に作者が全能性を放棄するように、疑問形や推測形で叙述する時、例えばマルグリット・デュラスの小説などを思い出した。叙述は語り、説明するためにあるのではなく、推測、推量、謎を深めるためにある。小説の初めの部分で少年が海岸から拾い上げる洗い晒した牛の頭がい骨は、ジェイコブの26歳の死まで尾を引くのだが、それにしてもドライでありウルフの死は乾燥して微塵の感傷性もない。

明瞭な人物像の描写を欠くとはいえ、幾人かの魅力的な人物が登場する。この小説のハイライトとも言えるギリシャ旅行でであったウェントワース・ウィリアムス夫人サンドラである。私たち東洋人がヴィクトリア朝時代の貴婦人にかくあれかしと抱くイメージにそっくりなのだが、一方でウルフは容赦ない。彼女の”小作人”を想う窓辺の”憂愁”を描きながらそのあとにこう書く――

”しかし、彼女自身の声で呪縛がとけた。彼女は小作人たちのことを忘れた。だた自分は美貌の持ち主だという感覚だけが残り、さいわい目の前に鏡があった。”

イギリス上流階級の貴婦人の偽善性をここまで描かなくとも良いと思われるのだが、これはウルフにとってはほんの親切なのである。ウルフが言おうとしているのは、想念はある対象性を目指す時に真実を裏切る、ということなのである。例えば、ウルフはサンドラの小作人を思いやる感傷の底に存在する偽善に目を開け、といっているわけではない。このへんが当時イギリスに庇護を求めたフロイトや彼に追従する深層心理学と本質的に違う点なのである。

ウルフは”ダロウェイ夫人”や”灯台へ”においても、イギリス上流階級の偽善性を描いたわけではない。人はそれぞれの階級や背景を持って人生という名の”劇場”に登場するのであり、その愚かさも含めて人生とは良いものだと、彼女は言っているのである。彼女は”観念”を、ではなく、人間そのものを人間的な時間の中で描こうとしているのである。

作者が、登場人物の方を向いて定義するとき、失われる何ものかがある。それは多分、時間の質、リアリティだろう。彼女の叙述が通常の対象指示的・対象定義的言語を解体して、言語以前の暗示的な象徴、イメージに”退行”するのは、通常の言語による表出法では失われるリアリティの質を救い出そうとする彼女なりの意図があったと考えてよい。それを意識の流れとか内的独白とか言うのだが、そこには通常の言語への痛切な反省がある。読者は”ダロウェイ夫人”においてセプティスマを死に追いやる精神科医サーなにがしを、”定義”の精神として、――通常の日常的な時間を取り仕切る”時制の司祭”として――冷静なウルフにしては珍しく、憎悪の精神で描写されていたことを思い出されると良い。

親友ティミーの妹クララもほんの少しの描写だが、忘れがたい印象を残す。美と、儚さと、清純さの象徴として。彼女にしても”街の女”プロリンダにしても、”すれ違う”ウルフの描写法ゆえに、美しい。

最後に、ジェイコブの母親、ベティ・フランダース。この小説の真の意味での主人公であるのかもしれない人物。――この物語は海岸でジェイコブの名前を呼ぶ彼女の描写から、彼女の人生までも犠牲にして悔いることのなかった彼女の思いを延々と300ページにわたる意識の波間に伝えて、儚い26年間の時間の虚しき経過を伝えて、終わる。ヴァージニア・ウルフ時に40歳、彼女の前に洋々たる物語的世界が開けつつあった。


”ジェイコブの部屋”ヴァージニア・ウルフ著作集2 出淵敬子訳 1977年5月 第一刷 蠅澆垢砂駛
#小説