アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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マルセル・プルースト、書かれざるもうひとつの予感の書(1)――プルースト断章・Ⅲ アリアドネ・アーカイブス

マルセル・プルースト、書かれざるもうひとつの予感の書(1)――プルースト断章・Ⅲ
2010-09-28 12:18:37
テーマ:文学と思想

プルーストは様々なメタファーで思いを述べた。その中でもプチット・マドレーヌと紅茶の挿話は秀逸で、”失われた時”といえば決まってこの場面が語られる。なぜこの挿話がこれほどまでに好まれるのであろうか。そのほかにもマルタンヴィルの三つの鐘楼の場面や三本の木がもたらす無言の呼び声、ゲルマント大公玄関での舗石についての挙動とヴェネチアでの同様の体験の時を隔てた共振、さらにはバントウイユのソナタや画家エスチールに関する芸術理論の開陳などプルーストは多様に語りえているのだが、プチットマドレーヌの優位は動かない。

私は意志的回想に対する無意識的回想の優位という説明に常々不満を感じてきた。この責任は哲学的考察を含んだ批評的な作品でもあるといわれる”失われた時を求めて”を書いたプルーストの方法的な意識的態度にも原因があると思うのだが、”失われた時”開幕早々”見出された時”として経験されるプチット・マドレーヌの挿話が大団円の作品に着手すろ時としてのマルセルの芸術家の誕生に上手く繋がらないのである。

意志的回想に対する無意識的記憶の優位とは、”見出された時”が時を超えるということである。時を越えるとは超時間的なイデーであるからこの世の具体性を帯びた現実は瞬時に末期的な症状を帯びた白蝋化した物質へと変化する。この人生の悲喜劇を同時に時の中に位置を占める巨人族への挽歌として、英雄の物語として伝えることがマルセルの使命として自覚されるのだが、この時の建造物という古代の廃墟にも似た記念碑を支えるものとは、あのスワンが遠慮ながらに押す裏木戸の呼び鈴の余韻に他ならなかった、というのである。

この世的な地上的な世界の巨大な建造物と英雄たちの叙事詩を、儚い一杯のお茶の温もが支えるという、インドの神秘主義にも似た不思議な形而上学的な構造が”失われた時を求めて”にはある。余韻嫋嫋とした不思議で儚い読後感をこの物語は与える。

一杯のお茶がもたらしたこの世ならぬ快楽とは、無意識的記憶や時の超越性というプルーストが与えた言説で十分説明できるのだろうか。
この世的な性格を脱した超越的真理が世俗性を相対化することぐらいソクラテスプラトンの時代から解りきったことである。哲学史の主題とは事実このテーマについて二千五百年にわたって語られてきた。プルーストのプチット・マドレーヌの比喩が優れているのは、一杯のお茶の背後に秘められたものそれが不死の記憶にも匹敵するほどの至福感を与える歓びの根源であるからなのだ。これについてのみ語り、語りえぬことを多様な隠喩をもって語った”失われた時”の一万枚を超える記述の果てに、この歓びの根源は語られたのか。”失われた時を求めて”は語られうる芸術家の使命を自覚するところで筆が置かれているので、結局書かれざる予感の書として暗示されるほかはなかったのである。

思えばプルーストの愛の論理学とは不在の心理学であった。”失われた時を求めて”の中核に”スワンの恋”が鎮座し、かつ根源にはおやすみの就寝劇があった。人生とは終わってみればスワンの慨嘆のように偉大な真理も哲学的な発見も無かったのである。人生の終わりにスノッブとしての自らの生き方が白日の下に晒され、時の巨大な構造物が死相を帯びた硬直化と化石化を帯び始め、貴族社会がもう随分昔から死臭が漂っていたことに気付いたとしても、儚い夢の建造物を支えたのが一杯のお茶の温もりに過ぎないとしても、一個の人間の実存としては遠慮がちに押されるスワンの呼び鈴の音であるとか、深夜に足を忍ばせて登ってくる階段の壁を鈍く照らし出した蝋燭の揺らぎに過ぎなかったとしても、人がひとであることの根拠とはそういうものでしかないのだし、それを超えた超越的な価値と引き換えにすることなど、考えることもできはしなかったのである。

マルセル・プルーストの生涯は不在の心理学、無いものを狂おしく求めずにはおれないスノビズムの論理学であり、それは遠い過去のスワンが晩餐に呼ばれて母がおやすみの接吻を受けることが疑わしくなったあの晩に震源を発していた。この夜の父親の気まぐれと母の妥協劇の中で何ものかが死んだ。”失われた時を求めて”は母への愛と悔恨に奉げられた、時の中に場所を占める巨人族を語る雄渾な叙事詩であると同時に、語られざる不在の書、私秘的な決して見出せることがなかった愛の予感の書なのである。