アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ミシエル・ビュトール”心変わり” アリアドネ・アーカイブス

ミシエル・ビュトール”心変わり”
2010-09-28 14:34:52
テーマ:文学と思想

懐かしいヌーヴォー・ロマンの代表作である。ビュトールは”時間割”を読んだことがあるので、ほとんど半世紀ぶりの”再会?”となるのであろうか。今となってはマイナーな文学愛好家の関心を捉えるに過ぎない半世紀前の文学運動を記念する作品が岩波文庫に収められた事の意外さと、文献的価値を考えながら期待もせず読むことにした。

物語の語りは有名な二人称”きみ”による語りである。最初これに慣れなかったが読む進むうちに気にならなくなったのは、文体の平易さの故なのだろうか。この書もまたプルースト以来の伝統を踏まえて神話の都ローマを舞台とした、ベルニーニのバロック建築からピラネージの絵画まで、さらにはアエネーアスやユリアヌス帝等の書簡集を踏まえたラテン的古代世界の雰囲気を重層的に物語に籠めようとしているかに見える。

物語はパリのリヨン駅発の夜行列車がローマに着くまでの21時間ほどの車内の中での出来事、行きずりの乗客との無言の会話?取り留めのない愛の回想、――過去に年間ほどの主人公”きみ”とローマにいる恋人との雑多な回想とその愛の終焉の物語である。主人公のレオンはおよそ45歳、イタリア系のメーカーのパリ支店長の要職にある。恋人のセシルは推定三十歳前半、いわゆる過去を持つ女であり、パリとローマを往復する至上で偶然乗り合わせて互いに惹かれあう仲となった。

しかし実際には、彼レオンの根底に家庭生活の倦怠がある。かれはその満たされざる空白をローマの女によって埋めようとする。ローマにある本社への社用にかこつけたローマ観光のアプリケーションとも思え、読み進むに従って社会的には一応の成功を見たこのプチブル男の体臭的な嫌らしさが次第に明らかになる。

今度のローマ行きの旅が今までの出張旅行と違うのは、隠密のたびであるという点である。それを言うために執拗に社用であれば予約つきの一等車、今回の旅は指定席の予約が無い三等車であること、列車の予約等の段取りを部下に指示出来なかったこと、それから通常とは異なった時間帯の旅行に関する妻アンリエットの反応が繰り返し語られる。

今回のローマ行きが違うのはこの男がどうやら妻と別れ恋人をパリに迎え入れる段取りをし、それを告げるための一生一大の決意を秘めた旅行であるらしいことである。そういう意味ではローマとはエウリディーチェの住む冥界のようでもあり、オルフェウスの救出劇は結局成功しない。

雑事に取り囲まれたパリの現実生活から逃れるようにして何時しか神話的な輝きを帯び始めたローマとそこにすむセシルは一体であり、ローマを離れたとき彼女の後光も消え去る運命になるのであろう。知的には自分のことを少しは評価しているこの中年男は、セシルの上に妻アンリエットとの生活の繰り返しを見、旅の終わりに”心変わり”する。それだけの話なのである。

勝手に造り上げた人物像を前に、幻滅する前に手を引くというのは如何にもメーカーの支店長らしい現実的、打算的、手前勝手な行動である。この物語が作者ビュトールや翻訳者清水徹の理解を超えて素晴らしいのは結局蓬莱仙の果実は持ち帰ることが出来ないという崇高な世界共通の愛の神話を枠組みに使用しながら、愛を到底語るに値しない中年男の自己欺瞞を対位法のように描ききったことである。ジョイスの”ユリシーズ”を思わせる構成である、と一応はいえる。

このような意味では、レオンとはスワンでありレオポルド・ブルームである。物語の終わりもプルーストの”見出された時”のパロディになっていて、書かれざる未完の書を書くべく使命を予感する代わりに、よき読者でありたいと念ずるところでこの小説は終わる。失笑!

この物語のクライマックスは、離婚劇を前哨戦としてパリのアパルトマンで行われたアンリエットとセシルの出会いであろう。偶然ではなくこのお膳立ても離婚劇が容易になるようにとの男の、如何にも手前勝手な発想なのである。最初はボクシングの世界大会のようにテーブルを隔てて対峙した二人だが、この中年男の発想の中にある思想の余りの軽薄さゆえに、この二人の女の間には軍事同盟?、友情のようなものができあがってしまう。

当初オルフェウスの崇高な救出劇と思われた物語は、女たちの不思議な軽蔑感によって終わる。
この男が結局ローマの恋人をパリに迎え入れることが出来ないのは、一応社会で勝ち得た身分、外資系メーカーの支店長としての内外での外聞、それから二都市間を移動するビジネスマンの満たされぬ間隙をあわよくば都合よく、ローマの旅時間の空白を恋人の官能的時間とと美学的趣味によって共に満たそうとした利己心が、深い疑念と軽蔑を呼ぶという物語なのである。

しかし本を置いて読み終わるとしみじみとした哀歓が漂ってくる。それは裕福な中年男の気まぐれに付き合わされたセシルの夢見るような哀切な思いであると共に、当初憎らしき大年増として描かれていた妻アンリエットにもありえた青春の懐かしき風景なのである。

どのような平凡な人間にも、その底に潜む永遠なるものの形象を描いて、それゆえにこそ永遠の都であるローマを顕彰する書として、この本は繰り返し読むことに耐える一冊の本たりえているのである。
ヌーヴォー・ロマンの代表作としてではなく、ユーモア文学の傑作として!

ミシエル・ビュトール ”心変わり” 清水徹訳 岩波文庫 2005年11月 第一刷