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社会小説としての”失われた時を求めて”、私の読み方(その1)――プルースト断章・Ⅴ アリアドネ・アーカイブス

社会小説としての”失われた時を求めて”、私の読み方(その1)――プルースト断章・Ⅴ
2010-10-01 12:32:58
テーマ:文学と思想

思えばプルーストとは長い付き合いになる。1964年頃、当時井上究一郎他の複数者訳で当時新潮社の出ていた七巻全十五冊を全巻そろえて高校二年生の夏休みに少し気合を入れて読んだことを憶えている。プチット・マドレーヌのハーブ茶の挿話の他は例のうねうねとしたプルーストの長大な独特の文体にあてられて曖昧模糊とした印象とともに、当時の暑い夏の深夜の床を転げまわって読んだ記憶ばかりが残っている。

プルーストの名前を始めて聞いたのはフランソワーズ・サガンを通じてであった。とりわけ”ある微笑”や”一年の後”にはその遥かな木霊が感じられるが、当時ヨーロッパ時代精神の神のような位置にあるとともにアイドルのようでもあったサルトルやその周辺の知識人と呼ばれる人たちの口から代わる代わるにプルーストの名前を聞いて、これは自分も”洗礼”を受けておかなければならないと思った。それに当時はなんと言ってもヌーヴォー・ロマンの作家たちが活躍した全盛時代であった。今から思うと16歳の文学青年のこの位置は当時文化的社会的格差のあった日本の中心から離れた地方都市と、戦後のアメリカナイズされた文化への反発いうことが関係していたのかもしれない。かかる心情の二極性は当時の地方の文学青年の実存の条件であったのかもしれない。

プルーストの基底的なテーマは、不在の心理学であり、これは生半可な感性では太刀打ちできない。文学的感受性における先天性というのはあるのだろうけれども、哲学的論理性と冷徹な批評性、豊かな階級的ヒエラルキー観察に裏打ちされ人生経験に支えられたプルーストの見識と釣合うためには私の場合、エドワード・サイードのいう所謂”晩年性”の時期を待たなければならなかった。このへんが感性によって自然に読めた十代のサガンサルトルと、主として難解な翻訳を相手に”知的に”読み解かなければならなかった日本の読者との違いだろうか。ところがプルーストこそ”知的な”理解には限界があるということを繰り返し一万ページに及ぶ雄編の中で述べていたのである。

プルーストはその後話題の中で拾い読みすることはあったが通読することは絶えてなかった。プルーストと再会するきっかけになったのはそれから凡そ半世紀後、ドイツの哲学者インマヌエル・カントの政治論と美学を主としてハンナ・アーレントの仲介を手引きに読んでいたときであった。カントの趣味性論!主観的であって同時に客観的であるもの、あるいは主観的でも客観的でもないもの、これがどうやら人間の実存の冥界に潜む根拠を解く秘儀の一つではないかと思うようになった。プルーストの表現を借りれば何百と在る開かづの扉をたたいていまそれにちょうど突き当たった感じである。従来プルースト詩学において誰もが疑わなかった無意識的記憶の意志的な記憶に対する優位という言説は正確ではないのではないのか、誤っているというのではなく少し割り引いて評価する必要があるのではないのか、そのように思った。

その後ある偶然の事情により私の膨大な書庫は失われていた。僅かに残った現在の本棚の中に鈴木道彦編訳の上下二巻に分かれた縮刷本があり、それでとりあえず感触を確かめてみた。この編訳は”失われた時を求めて”の五分の一縮刷版であり、筋書きのない物語を要約しても限界があるのでエッセンスを踏まえたアンソロジーのような構成になっており、各プルーストの切り抜き帳の間を鈴木の簡略な粗筋がが支えているという不思議な構成である。また偶然高遠訳の”スワンの家のほうへ・Ⅰ”が刊行され始めたばかりであったのでこれも併読してみた。その結果解ったのは以下の点である。

失われた時を求めて”を一個のテクストとして読んだ場合、作者の命名であるにも係わらずこの名高い表題は作品の意図を正しく反映していないのではないのか。つまり”失われた時”とは最終巻”見出された時”の最終的な大団円の場面で明らかにされるのだが、時の変容を意味している。つまりプルーストの光学で見たとき今まで現実と思われていたものが死臭を帯び、芸術的感性が復活を遂げる。この有名なゲルマント大公の舞踏会で明らかにされるのはそれが死の晩餐会であったことである。時が人々に与えた刻印とは、あるものは生きた絶え、例え世紀末の惨禍と時の経緯を生き延びたものにとっても石膏のペルソナを掲げて踊る死の舞踏会に他ならないのであった。当時実用化され始めたばかりのレントゲンにも例えられるプルースト光学の破壊力は凄まじい。現実と非現実の逆転現象、これを契機にプルーストは実人生に対する芸術の優位を確信するのである。

”失われた時”とは時の物象化現象に他ならなかった。物象化とはそれが単に否定的対象であるのではなく、”時という場所に位置を占める巨人族の物語”としてプルーストの生涯の全事象を語ることであった。プルーストの51年間の人とひととの出会いと別れを繰り返す人間の物語と、世紀末から20世紀初頭に及ぶ近代から現代に至る転換期における実在の歴史的時間を同時に、プルースト的とも言えるメタファーの時間の中においてみるとき、物理的時間は神話的時間へと、つまり巨人族への物語へと変容するのであり、シャリユスやオデット、スワンやゲルマント公爵夫人のような大物は別としても、つまり端役であるに過ぎないルグランタンやコタールのようなプチブルめいた人物すらもがここでは、”時という場所に占める巨人族”の雄渾な叙事詩的英雄として再登場をするのであり、ソドムとゴモラと第一次戦下のパリ戦時下の描写は明らかに旧約的詩篇との照合関係を示し、英雄的叙事詩であるとともに罪業の物語でもあることも示している。

作家の自覚とは、失われた時の彼方に埋没しつつある事象を語るプルーストの位置の確認に他ならなかった。プルーストが最終的にたどり着いた境位においてみるとき、彼の俗事と俗臭にまみれた貴族社会やブルジョワ階級のサロンや、作家としての無能を託つ無為徒食の生活ですらもが英雄の物語として幻視されたというのである。”失われた時を求めて”が単なる回顧録や大河小説と異なっているのは、時の刻印を額に受けたものとしての多元的な人物造形にある。つまり登場人物の一人一人は世紀末のパリを生きた市民であると同時に階級性を帯びた最後の巨人族の末裔なのであり、多元的広がりは時間軸の方にも広がって遠く中世のフランク王国の時代から旧約的な時代にまで遡る多層性を示すという意味で、もうひとつの記念碑的な大作ジェイムズ・ジョイスの””ユリシーズ”と類似した構造を備えているのは偶然だろうか。

失われた時を求めて”は小説的技法への反省と時間の現象学の哲理を説いた詩学であるだけではなく、18世紀以降のフランス市民社会の伝統を踏まえた客観小説としての巨大な文学史を総括する位置に自らを見出すkとにおいて、完結している。話者プルーストはがこれから作品を書こうとするところでこの長大な物語は終わりを迎えるのだが、それで読者としてはその実現態が現行の”失われた時を求めて”であると思うわけである。果たしてそうか。