アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

純愛小説としての”失われた時を求めて”その読み方(その2)―― プルースト断章・Ⅵ アリアドネ・アーカイブス

純愛小説としての”失われた時を求めて”その読み方(その2)―― プルースト断章・Ⅵ
2010-10-01 14:40:46
テーマ:文学と思想

プルーストといえば紅茶に浸したプチットマドレーヌの背後に潜む深遠な哲理と詩学を語った意識の流れ系の作家としてイメージされることが多い。しかし作家としてのプルーストが”失われた時を求めて”の末尾で書こうとした物語とは、バルザックからゾラに至るフランス客観小説の伝統を踏まえた社会小説であった。ここでは写実主義の例え矮小な市民社会の群像が、一方では”時という場所に位置を占める巨人族”の雄渾な叙事詩としてかかれるはずであった。”失われた時”とは物象化された現実なのである。それは少なくとも求められなければならないものではなかった。時の変容の凄まじさ、プルーストの破壊の力学を意味しているのであるからこれは結論として得られるようなものではない。しかもプルーストは膨大な時の群像を描くのにスノビズムという形式を与えた。スノビズムとはプルーストの場合社交性の概念ではなく、歴史的叙事詩としての実存の形式なのである。

失われた時を求めて”を読む場合重要なのは、”失われた時”すなわち物象化の現実つまり現実と非現実の逆転現象が現れるとき、それに先立ってサン=ルー嬢の登場による時の円環と美しいトリアーデ構造の幻視と、鳴り止まぬ呼び鈴の音と連動して現れていることである。つまり時は”見出される”必要はなく、通奏低音のようにか細く常に鳴り響いていたのである。話者マルセルがそれを聴くのに相応しくなるまでそれは待機されていたに過ぎない。本文の譬えを借りれば種々の生活音に遮られていた音域がある段階を境に聴こえてくる、ミレーの”晩鐘”の祈りのように。或いは祈りの形式でしか聴こえて来ない音域という非物質的な領域というものが存在するのか。無意識的記憶によって過去が保存されているといかいないとかの議論ではないのである。

失われた時を求めて”で話者マルセルが書こうとした小説が現行の小説である、とする理解は論議される必要はないのであろうか。私がこの自明視された過去の言説に疑問を感じたのは、有名なプチット・マドレーヌの挿話と小説末尾のマルセルの決意が上手く繋がらない様に感じられたからである。現行の”失われた時”プルーストが語っているのは自らの自伝史を同時に時の場所に占める巨人族叙事詩として語るということであったはずである。この雄渾な旧約詩篇的史観は時のトリアーデと鳴り止まぬ鈴の音によって出現した。同じことであるがこの巨大な物語的空間は一杯のお茶の香りに支えられて出現したのである。ちょうどアラジンのランプから巨像が出現するように。しかし一杯のお茶がもたらした歓びをプルーストは一万枚を超える叙述の持ってしても十分に語りえているとはわたしには思えないのである。

プルーストが語りえているのは時に抗う巨人族の物語についてである。バルザック以降のフランスの社会小説の伝統を踏まえてこれについては十二分に語ったと思う。しかし歓びの根源については語りつくされてはいない。話者マルセルが予感した物語は、プルーストが語ろうとしている物語ほどは自明ではない。マドレーヌの挿話が意味していることは一杯のお茶がもたらすような日常の些細な”生きている”という実感こそが、不易の哲理や時間を越えた永遠性の真理にも増して人がひとでありうることの根拠になっている、ということなのではなかろうか。一杯のお茶がその背後に偉大な哲理や真理を潜ませているわけではなく、一杯のお茶がもたらす感激はそのままで人がひとであることの根拠を支えているということなのである。それが巨人族叙事詩的空間の出現に先立って鳴り止まぬ呼び鈴の音やプチットマドレーヌの挿話が時を隔てて呼応して再現した由縁である。

失われた時を求めて”の物語空間を支える構造が見えにくいのは構造を形作るコンパスの距離が通常より巨大であるからだ、とプルーストは自ら説明を加えている。メゼグリーズ(私の教会という意味らしい)とゲルマントの方というプルースト未明の揺籃から発する二本の散歩道はさながら虚空に聳える巨大な聖堂の鐘楼のようでもあり、星型の合流点とは正面の薔薇窓あるいは祭壇から仰ぎ見るステンドグラスのようでもある。これが小説では永遠の青年サン=ルーと初恋のひとジルベルトの間に出来たサン=ルー嬢として象徴されている。つまり書かれざる予感の書としての”失われた時を求めて”とは至純の愛の書、純愛の書として予感されていたはずなのである。しかし不在の愛を語ることの達人であるプルーストには狂おしくも追い求めながら満たされることのない、許されざるシジフォス的幻影のようなものであった。プルーストはある意味で落魄したシャリユスであった。一方物語的話者としてのマルセルは作者のプルーストよりは遥かに純情のひとであるかのように造形されている。彼はサン=ルー嬢に時のトリアーデをみて”私の青春ににていた”、と書いて時の蘇りを体現する。あたかも光学器械のレンズのように対象化されたものの本質を透視する作者プルーストと、愛するとは自らの涙のレンズによって曇らされてしまう純情のひと「話者」との違いは明らかであろう。書かれざる予感の書としてのもうひとつの”失われた時を求めて”とは愛の予感の書として構想されざるを得ないのであり、プルースト的時間の円環構造の外部、不在としての愛の存在論の外部にあった。

一杯のお茶がもたらしたある日ある時のの至福感、その語るに足らない瑣末な日常の、しかし人としての在り方の核心に迫るカントが言う主観的でも客観的でもなく、それでいて揺ぎ無く存在の根底を支えているもの、それは個人の好き嫌いという人に言いがたい私秘的なものでありながら、ギリシャ以来の存在に纏わる秘儀を開示する儀式だったのである。翻って反省してみればプチット・マドレーヌと一杯の紅茶がもたらした至福感、主観的でも客観的でもなくそれでいて揺ぎ無い確信の到来として感受されるもの、それは愛、とりわけ古来恋いと呼ばれたものの到来を予感する心的能力、感受性に近かったのである。

プルーストにとっての書かれざる予感の書としての”失われた時を求めて”とは、あのプルーストにしてと思えるほどの、ある意味で純愛の書だったのである。”失われた時を求めて”には美しい場面が幾つかあるが、メゼグリーズとさんざしの話はその中でも屈指の場面の一つであろう。

”この年、両親は例年よりいくぶん早めにパリに帰ることに決めてしまったが、いざ出発となったその日の朝、写真を撮るために髪の毛を縮らされ、一度もかぶったことのない帽子を慎重にかぶらされ、ビロードのキリティングのコートを着せられた私のことを、母はあちこちと探しまわった末に、タンソンヴィルにつづく小さな坂で涙でくしゃくしゃになっているところを見つけた。私は棘のある枝を腕にかき抱いてサンザシに別れを告げている最中で、また―ー役にもたたない身の飾りがのしかかる悲劇の女王のように、一面カールの結び目をこしらえた髪を苦心して額の上に集めようとしたしつこい手に対する恩を忘れて――リボン・カールの紙を引き抜き、新しい帽子とともにふみつけていたのだった。母は、私の涙を見ても心を動かさなかったが、帽子がつぶされ、コートも台無しになっているのを見て、思わず叫び声をあげた。私にはその声も耳に入らなかった。「可哀そうに、ぼくのちいさなサンザシたち」と私はなきながらつぶやいていた、「お前たちでじゃない、ぼくを苦しめたり、ぼくをここから発たせようとしているのは。お前たちはただの一度もぼくに苦痛を与えはしなかった!だからぼくはいつまでもお前たちのことを愛しつづけるだろう」そして涙をぬぐいながら、私はサンザシに約束した、大きくなっても、他の大人たちはばかげた暮らしぶりなどけっして真似しない。パリにいても、春になったら、知人を訪ねてくだらない話に耳を傾けるのではなく、最初に花開いたサンザシを見に田園に出かけてゆくだろう、と。”(同書P86)
#小説