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時の記憶――言葉の端緒に佇立して アリアドネ・アーカイブス

時の記憶――言葉の端緒に佇立して
2010-10-10 22:12:50
テーマ:文学と思想

トーク:【哲学漫談】

時の記憶――言葉の端緒に佇立して”


 プラトンの対話篇などをよむと、しばしば”見ること”という行為に立脚した言葉が出てまいります。見ることに準拠する、究極のイデア論が語られます。イデア論は当時より評判が悪く、彼の弟子に当たるアリストテレスイデア論批判は古来より有名です。たとえばここに一本の木があって、様々に存在するこの世の現象的形態としての樹木一般、木のイデアは存在するのか、さらに木がそれで有らしめるところの木の本質と言うものがあって、それをしもイデアとも本質とでも名づけるにしても、それと一本の木が持つ、個物としてのかけがえのない個性との関係はどのようになるのか。つまりここには古来幾度となく問われ、問い続けられた本質と実存の関係があるです。

 この問題をより典型的に、というか鮮やかに、しかもスキャンダラスに提出して見せたのは、ロシアの作家・ドストイエフスキーの”カラマーゾフの兄弟”でしょう。イワン・カラマーゾフの問題提起を、たとえば次のように言い換えてみましょう。――雪の降りしきる夜、つかの間の暖房と、希望のともし火を見るためにマッチ箱を使い果たした幼い少女の死と神の関係について。たとえ全人類の救済が得られるにしても、この一個の少女の実存が贖われる日は来るのか、と。

 本来この問題はドストイエフスキーが考える方向とは別様にも考えられていたのではないでしょうか。

アリストテレスイデア論批判は、単に普遍か個物か、本質か実存かということではなくて、ソクラテスの時代に鮮やかに見てとられる思考の変質、認識の対象を自然や宇宙と言う外部の対象から人間の内面や主観性と呼ばれる領域への転換、つまり見ること、差異化してとらえることの思考の本質、のちに物象化と呼ばれることになる人間の対象化作業一般に伴う、局限化への警告ではなかったのではないでしょうか。

 アリストテレスの形相と質料の関係は、後に典型化するインマヌエル・カントの形式と内容、変奏としての主観と客観と同じものではありませんでした。カントが有名なコペルニクス的転換と言う言葉で西洋文明の行く末を要約したとき、初めてそこには、たとえば現象学フッサールが言う意味での近代的物質概念が出現しました。物質と質料の関係は同じものではありまえんでした。アリストテレス時代の自然や質料は人間の恣意とは独立したそれ自身の内在的論理を持っていました。近代的知性の典型であるサルトルなどによれば、自然は変化はするけれども価値判断を含んだ変貌はしない、ということになります。
 
 つまりデカルト的理性の立場では人間の価値判断に先立つ自然や物質概念が前提され、価値判断という分野が成立するのは人間という概念――のちにマルティン・ハイデガーの”現存在”という概念の出現を待ってはじめて成立する事象であると定義されます。ハイデガーの”世界-内-存在”や”現存在”、つまり”場”において初めて成立する人間と言う個別者の概念もまた、より徹底した一変様態として考えることができるです。

 わたしは最近思うのですが、プラトンソクラテスを主人公とする初期の諸篇は、ソクラテスプラトンというふうに読んではいけないのではないでしょうか。プラトンの対話篇に現れるソクラテスは、文学的表現の精化の極限を目指すべく典型性において描かれています。言い換えれば表現が完璧すぎるのです。完璧さや典型性が度をすぎたものとなると、わたしたちはここにどうしてもカリカチュアライズされたものを読み込まざるを得ないのですね。

 私たちはギリシア時代というと、確かに哲学や文学の分野で高度の成果を挙げた文明であるという認識は持っていますけれども、なにぶん二千数百年前のことではあり、初期のイオニア派の自然哲学者と呼ばれた人たちにおいては、宇宙や自然の本質を火であるとか水であるとか、はたまた心であるとか定義し、あの明晰なアリストテレスですら自然学において、火や水や土、もうひとつは空気と言う具合に四つの元素で説明できると思っていますので、近代人の知見からすればその説明原理としては幼稚なものだと思うわけです。

 しかしソクラテスが生きた時代とは、民主主義が高度に成熟し、それがデマゴーグの政治へ、つまり衆愚政治へと頽落する、ある意味では21世紀の先進国と呼ばれる諸国の政治形態を先取りした形で実現している社会なのです。ここでは些細な理由と言いがかりからソクラテスのような高徳でもあれば有意な人間を死へと追い詰める社会があります。しかも彼を迫害した30人委員会の寡頭派テロリズムにしても、500人の陪審委員によって死刑判決を下す民主派にしても、いずれもソクラテス個人から直接、間接に薫陶をうけたソクラテス時代の子供たちが含まれていたのです。”ソクラテスの子供たち”は、思想を極限化させれば親たちを死に追い詰めるような論理構造を内在させていたのでしょうか。プラトンが見たのはこのようなアテネ民主制下の現実であした。

プラトン晩年の無防備なシケリア内政への干渉も、こうした政治的な背景を考えないと理解できないでしょう。若き日にあれほど明晰でもあれば慎重でもありえた柔軟性に富む思考と行動の持ち主でもあるプラトンが、かくも安々と、政治的成功と効果が疑わしいシケリア内政とディオンという一個の人格に賭けてみるとは。少なくとも最晩年の妄執は異様です。

アリストテレスプラトンが、”完璧な”ソクラテスの思想と行動の前に言語化しえないものを遺言として受け継いだのだと思います。個別か普遍かなどと言う哲学的な議論ではなく、一般的に人間的な思考と言うものが、主観や恣意的な感性の方向に引きずられたときどのような事態が生じるのかを、熟慮しつつ彼は差し戻し判決を下したのだと思います。後に20世紀になって、いまは忘れ去られたハンガリーの思想家ゲオルグルカーチが物象化一般と定義することになるあの西欧マルクシズムを代表する概念です。

 しかしヘレニズムの強烈な波の流れが彼をリュケイオンからアテネを遠く離れた離島への押し流してしまうのでした。失意のアリストテレスは程なく亡くなったと伝えられています。世界思潮の流れはこの後、アリストテレスの願いも虚しく希望や願望をも乗り越えて、プラトン哲学の中にありえたもうひとつの可能性、ソクラテシズムとも言うべき方向へと伝承されるのですが、伝えられたソクラテス像はキリスト像の中に奇妙でもあれば不吉な一致を見ることになるのです。

  なにゆえ西洋においてのみ近代文明は成立したのか、その問いに答えるのは確かに容易ではないでしょう。ただひとついえるのは、ソクラテスからプラトンを経てアリストテレスにいたる時代に大きな世界思潮上の大きな論争と政治上の出来事があったこと、世界思潮の流れはソクラテスプラトンアリストテレスの営為にも関わらず、キリスト教と言う名の一種の新プラトニズムに補強された奇妙なイデア論に伝承されたこと、その後普遍論争としてキリスト教社会の内部でも幾度となく問われ問い続けられ、アベラールとエロイーズの愛の思想の中で完璧な表現を見出すのですが、最終的にはインマヌエル・カントの形式と内容の峻別の中に、アリストテレスギリシア的自然観は、近代の死せる物質概念に席を譲ることになるのです。

  かりに西欧哲学史の過程を物象化とそれに抗うものとしての歴史として記述したらどうなるでしょうか。通常の哲学史の理解とは逆に、客観主義ものそのものの記述方式から主観性への哲学的思考上のソクラテス的展開をイデア的な方向として定義し、その定義の彼方にキリスト教を位置づけることができるのではないかと考えるのです。つまりギリシア思想からキリスト教への方向転換は理性が沈黙し宗教的ドグマが人間性を阻んだのではなく、神による宇宙の創造と言う恣意的主観性のより徹底した歴史と見るわけです。そして主観の恣意性による万能観は、聖書をほかならぬ個人的な視線で読むという、神の前の個の厳然たるプロテスタンティズムを産むことになるのです。プロテスタンティズムと資本主義のかかわりについてはすでに有名なマックス・ウェーバーによる論考がありますが、これとは別様の説明の仕方として、深淵を境に対峙しあう神と人間の相互の自己疎外、つまり物象化の自己展開的歴史的段階の成就を見るわけです。この相互自己疎外態の中から近代的物質概念が生じてくるのは当然であったと思います。こうして近代的物質概念はもうひとつの反ギリシャ的思想、デモクリトスエピクロスのアトミズム、さらにはもう一人の強大な思想化ピタゴラスの数理思想の亡霊と、デカルト的思想の中で奇妙にして不吉な野合的な合流を遂げたのではないかと想像するのです。

 近代主義の黎明が中世の夜と闇の終わりを意味したなどとは単純には言えないようです。物事を単純化して語ることが許されるのであれば、見ることと言葉(ロゴス)に準拠したギリシアの思想は神と人間の間の疎外を生みました。その二元的世界の軋みと超克への志向こそがイエス・キリストによる受難と告知を、つまり思想の受肉化の思想を生んだのです。しかし神の子たるイエス・キリストはこの困難な課題に十分に応えることが出来たのでしょうか。神の子が父なる神の無限の沈黙の前に息絶えたとき、未来に託した聖霊の課題として、三位一体の受肉化の思想として引き続き語られ続けなければなりませんでした。

 このように功罪相半ばするキリスト教ではありますが、ルターに端を発し、カルヴァニズムの中で徹底していくプロテスタンティズムが、例えばマックス・ウェーバーが指摘したように、資本主義的な官僚制の死せるシステムを用意したと言うのは事実でしょう。その思想の背景には、宗教的あるいは社会的属性から自由になった数量化可能の物質概念と、それが人間社会に適応されたものとしての大衆概念がありました。自己以外のあらゆる超越的な価値も認めぬ大衆の専制主義化、ここに歴史は一巡してプラトンがその青年時代に経験した時代との酷似があります。

 しかし歴史の進行はプラトンの時代や、ウェーバーの不吉な予感をも乗り越えて人間を何百万と言う単位で処理する電子計算機と政治とが奇妙に一致する時代を生み出したのです。ロシア革命に端を発しスターリニズムのなかで”処分”された人間の数については未だに正確には知らされていません。ナチズムによる最終的解決は全貌の一部が明らかにされつつあり、これは過去の完結した出来事ではなく国家と民族浄化の問題として21世紀の課題になりつつあることは明らかです。これはプラトンアリストテレスも知らなかったことであり、ウェーバーについては幸いにも知らずに済んだことは彼のために喜ぶべきことでしょうか。
 
 20世紀も終わりその概観を考えるにつけ、余りにも不幸な歴史的事件の背後にはやはりギリシア時代以降の物象化の論理とその徹底化を感じるわけです。物象化はキリスト教の中である種の決定的な変容を遂げ、生み出された死せる自然概念は近代科学技術の死せる物質概念を生み出し、資本主義と科学イデオロギーは自己以外の超越的な価値を認めぬ専制として、極めてグロテスクに偽装された偽りの形而上学として現代に君臨していると思うのです。

 人類とキリスト教との出会いは果たして幸せだったろうか、人類と近代科学技術文明との出会いは必然的なものであったろうかと、ときおり疑念のままに自省することがあります。”仮に”という仮定法は学としての歴史学では許されないことなのですが、無前提の学としての哲学にはそれが憚ることなく可能なのです。むしろそのように問いうることこそ学としての哲学の固有な役目なのです。そしてそこにはいつの夜も変わらぬあの、ミネルヴァの梟としての哲学の使命と役割があると思うのです。
 ご清聴ありがとうございました。