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カント"永遠平和のために”について・Ⅰ――批判後期における他者性の思想、公共性から実存へ アリアドネ・アーカイブス

カント"永遠平和のために”について・Ⅰ――批判後期における他者性の思想、公共性から実存
2010-10-10 22:43:56
テーマ:文学と思想

 カント"永遠平和のために”について
――批判後期における他者性の思想、公共性から実存へ――

1.概要:
 予備条項では平和を確保するための諸条件が6つ挙げられる。
①将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならい。
②独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない)も、継承、交換、買収、または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できるということがあってはならない。なぜなら、それは根源的契約の理念に矛盾する。如何なる国家も「もの」として扱ってはならない。
常備軍は、時とともに全廃されなければならない。常備軍は平和を危険に晒す阻害要因に他ならない。また人を手段として雇うことは人格における人間性の権利とも調和しない。④国家の対外紛争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない。借款制度は、国家権力がたがいに競い合うための道具としてはてしなく増大し、戦争遂行を是認する。また国家の破産は他国も巻き添えにする。
⑤いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。
⑥いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。たとえば、暗殺者や毒殺者を雇ったり、降伏条約を破ったり、敵国内で裏切りをそそのかしたりすることが、これに当たる。なぜならそれ自体が卑劣な手段はそれが用いられると、もはや戦争の継続期間内に限定されず、平和状態のうちにも持ちこされ、その結果平和実現の意図をまったく破壊するからである。

 確定事項では、①「各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。」 共和的な体制とは、(1)自由、(2)唯一共同の立法に対する従属、(3)平等、という三つに基づいて設立された体制である。これは、根源的な契約の理念から生ずる唯一の体制である。共和的体制の下では、戦争をすべきか否かを決めるのは国民であり、国民は自然と戦争に対して慎重になるはずである。
国際法は、自由な諸国の連合制度に基礎をおくべきである。諸国家が戦争しかない無法な状態から脱するには、公的な強制法に順応し、国家連合を形成するべきである。世界共和国という積極的理念が非現実的であることからくる消極的な代替物である。
世界市民法並びに歓待、相互的な他国を自由に訪問する権利である。「世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。」誰も地表のある場所にいることに関して、他人以上の権利を持たない。したがって、人間は世界市民として訪問権(どの国でも訪れることができ、どの住民とも交際を試みることができる権利)を有する。しかし世界市民法はこの権利を保障する範囲に限られるため、厚遇されたいと思えば住民の判断を尊重しなければならない。

 第1追加条項において永遠平和に保証を与えるのは、人類を将来の永遠平和に向かわせる「偉大な技巧家」としての自然である。自然には人間の不和を通して、人間の意志に逆らってでもその融和を回復させる合目的性が現れている。また近代の商業精神も戦争とは両立せず、永遠平和への道を保証するものである。
第2追加条項においては許される永遠平和のための秘密条項が語られる。国家が哲学者に戦争や平和の問題に関して自由に議論させ助言を求めるべきである。しかし国王が哲学者となったり哲学者が王となるのは好ましくない。

 付録1は、道徳と政治の関係について語る。永遠平和という見地から見た道徳と政治の不一致について政治は道徳と合致すべきである。
 付録2は、公法の先験的概念による政治と道徳の一致と公開性の原則について語っている。どのような法的要求でも、それが公表される可能性をみずからのうちに含んでいる。それを欠くといかなる正義も存在しない。したがって正義によってのみ認可される法もまた存在しない(公表性の原理)。公表を憚られる意図は、あらゆる場合不正である。


2.カントの政治論を読むことの意義
 ”永遠平和のために”は小冊子であるにも係わらず、問題点は多義で全容を論述することには困難を感じる。この困難さの理由の一つは話題の平板さがある。最晩年のカントのが目指したものが読み取りにくいのである。文意の読み取りにくさは二つの翻訳書を参照しても変わらなかった。
 それでアーレントの”カントの政治哲学講義”などのカント理解を援用して”公共性”と”美学”という補助線を引いてみた。その結果カントの目指した未踏の地がおぼろげながらでも理解できるような気がした。

2-1.
 カントは第1補説において、自然の役割について語っている。
 最晩年のカントは人間存在の主観的なあり方に振れすぎた従来の己の哲学的布陣を、あたかも外的世界への無関心を補償するかのように、他者と政治それから自然の役割の解明に向かうかのようである。以下はひと夏に経験した学習の途中経過の記録である。

2-1-1
 かって哲学のコペルニクス的転換として語った理性批判前期時代のカントにすれば、一旦切り離した対象的世界を叡智的”自然”としてあるかのように語る、再生としての試みとも読み取ることが出来る。そこで用いられるのが合目的性という概念である。

2-1-2
 合目的性とは、対象的自然が一方では主体として目的を自主的に定立すると言う意味ではなく、自然が展開する様々な配慮があたかも人間にとって恩恵であるかのように現れる現象を合目的性と捉えている。これは宗教で言う恩寵とでも言うべき事態に近い。

2-1-3
 カントは人間の善性についての信頼を失うことはなかったが、個的な人間の全てに、道徳的な成果を期待するのは無理であり、人類としての”類”という次元でなら進歩や永遠平和論も可能である、と考えた。
 自然は、人間の戦争や利己心をそのまま組み込みながら、人間存在という最高存在を自らの目的として生み出すと言うのである。人類の進歩や自然の成果と、人のこの世における生存の時間の短さの非対称性に、歴史的成果を自らの目で確証できない人間の虚無を、それを自然の”恩寵”的な”配慮する自然”で包み込むという壮大な物語、怜悧な自然の巧まざる意図の自然史をカントは構想した。

2-2
 カントの倫理思想としては、①汝の内なる格率を普遍的な法則であるように行為せよという定言命法と、②自然の最高存在である人間は目的としてのみ扱われるべきで、如何なる場合も手段として扱われてはならない、さらに③自分自身を普遍立法的と見做しうる格律のみに従えという自律の思想が有名である。カントの政治学とは彼の道徳ならびに倫理学において主張されたことを、政治の世界に向けて拡張することだと考えてよい。
 カントの批判前期の理論哲学では希薄な他者性の問題を、どのように考えるか、と言う観点から少し感想を述べることとしたい。

2-2-1 永遠平和のための政治的統治の形態について
 カントは確定事項の①において”根源的契約”について語った。根源的な契約とは、人間が人間としての自由、共同の立法、共同体成員の平等に基づく共同体への志向である。
 ここから、永遠平和を導く政治体制としては共和制が最適であるとされる。しかし現下の段階的な政治過程としてはこれのみが唯一の体制であるわけではない。カントの政治論は意外と柔軟であり、貴族制や立憲君主制をも排除するものではない。
 ここから政治体制を支配と統治の形式による分類と解説がなされる。

2-2-2
・支配の形態:君主制、貴族性、民主性、である。
・統治の形態:共和性、専制、とである。
 つまり組み合わせれば6つの政治形態に整理される。カントの考え方の面白さは、この中から最悪の選択肢として、民主性―専制的の組み合わせを選んだことであろう。

2-2-3
 共和制と専制の違いは、立法権から統治権を分離しているか否かの統治形式の違いにある。専制とは理性の”私的使用”に分類されるものであるから、支配する側の人数が少なければ少ないほど弊害は少ないという、カントらしい皮肉とも形式論理ともとれる理屈によって、民主性―専制の組み合わせが最悪のパターンということになる。ついで貴族性―専制、そして一番”ましな”のが君主制専制の政治体制ということになる。勿論、当時の開明的な君主・フリードリッヒ大王に対する戦略的な配慮を差し引いて評価しなければならないだろう。

2-2-4
 しかしシステムの内部に立法権と統治の間に差異を持たない体制は、外部と言う他者性の概念を喪失し、多数派専制衆愚政治と少数派専制全体主義に至ると言うのである。これは20世紀の全体主義を経験しているわれわれには重たい予言とみることができる。

2-2-5
 システム内部の差異に基づく他者性の考え方は、続く諸国家の連合制度にも踏襲される。        
 諸国家の自然状態を脱した法治状態としての世界国家のようなものが考えられるが、現実的には独立した諸国家の国際連合という”消極的代替物”が、平和維持の手段としては望ましいとされる。ここでも外部性としての他者に引き継がれ、純粋理性批判における”物自体”の考え方との一脈通じる考え方を示している。