アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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回想の谷崎潤一郎の”細雪” アリアドネ・アーカイブス

回想の谷崎潤一郎の”細雪
2011-03-02 11:55:03
テーマ:文学と思想

文化や芸能という範疇を超えて、月並みと平凡さについて、それを一個の伝統的な美学として語ったのが谷崎である。谷崎の伝統主義を近世文学や平安朝の継承として語っても良いが、それは語られた事どもの事象にあるのではない。関西は芦屋の有産階級の優雅な伝統行事と四季折々の風景を語ったと云うことだけなら彼を伝統的な作家ということは出来ない。むしろ谷崎は中期の陰影の美学という日本古来の美意識の在り方に加えて和様折衷の典型とも言える港神戸のオリエンタルホテルやモロゾフの味覚をも同時に”月並み”さにおいて語ったのである。

細雪”には18世紀以降世界を席巻しつつある西洋文明へのリアクションがあったのだと思う。何を持って美とするかと云うことについても、18世紀以降の市民社会における芸術概念――それはテスト氏やドストイエフスキーの単独者において頂点を築くことになる思想や芸術が個別化と自律への道を歩むことになる概念的自己純粋化への道のりなのであるが、そうした世界史的な世界観への大きな反措定があると云ったら大仰になるのだろうか。

有名な細雪の四姉妹が京都の大沢の池の畔で優雅な観花の宴を展開していたころ、日本の未来は不可避の暗雲に閉ざされつつあった。滅びようとする文明が自己の生存の証として永遠の相の基に観じた美とは何であったかが語られているのである。

そうした”末期の眼”なくしては、あの四姉妹の月並みな行動や思想をかけがえの無い美として、一期一会として観じることは不可能だったと思う。滅びの意識ゆえにさりげない日常生活の細々とした事象どももがかけがえの無いものと思わせ、それが世界文学史上屈指の名作を生みだしたのである。


映画『細雪』について
市川昆による映画化を観るたびに名作の映画化というものの可能性というものを考えさせる。日本の代表的な四人の女優を駆使して描かれた絢爛とした絵巻物的な世界は映画と云う芸術にささげられた20世紀後半のオマージュであるとしか思えない。それほどまでにこの映画はあえかにまたそして美しい。谷崎文学のエッセンスを、それ以上の純度をもって描いたと云うことにおいて、『山猫』における原作者ランべドゥーサとヴィスコンティの関係を思わせるものがある。映画が監督の個性などと云う代物に災いされることなく、それでいて原作の持つ純度を極度に高めながら映像化された”作品”と云う意味で、これもまた映画史上の記念碑的な作品であると云うことができる。