アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

終戦の日に読んだヴィットリーニ”シチリアでの会話”  アリアドネ・アーカイブス

終戦の日に読んだヴィットリーニシチリアでの会話”
2011-08-16 13:38:39
テーマ:文学と思想




昨夜、読み終わってから、終戦記念日にこの本を読んだことに改めて気がついた。原爆や戦災にまみれた戦死者への慰霊、今年は福島の事故の後だけに特別の思いがあったと思うが、さて我が家においても、意識が低調だというか、家族で交わしたのは何故この国では”敗戦”を””終戦”と言い換えているのか、という程度だった。

 例年の靖国参拝も二三の事例を除いて話題にならなかった。問題は、靖国に行くにせよ行かないにせよ、死者への畏敬をどの程度持ち合わせているかということである。靖国に行くというのであれば自らが弔う者として相応しいか問うてみるが良い。行かないのであれば同様の問いを自らに問うてみれれば良い。政争の具にしようということであれば自らの内面の鏡に自らの感性を照らし合わせて、”赤面する心の持ち主?”のみが意外なことに、鎮魂の喪主たるに相応しいのである。こういうことは、議論すべきことではないのだ。各自の矜持と感性のあり方なのだ。

 靖国問題の難しさは、実は天皇の戦争責任に淵源する。先日、シェイクスピアの”テンペスト”を見ながら、自在に魔術を駆使する万能の魔法使いが苦渋の果てに最後に不自由な人間的ナなあり方を選ぶという物語のありようが、物言わぬ戦後の昭和天皇の姿と重なって仕方がなかった。靖国天皇の戦争責任の問題の難しさは、自らを被害者であると同時に加害者でもありえた自らの真の姿を、内面の鏡に照らして”赤面する?”感受性のありかにある。

 それはこの本ーー”シチリアでの会話”の中で、作者エーリオ・ヴィットリーニが投げかけた、”自分自身のための問題”と”傷つけられた世界のための問題”との間に交わされた”会話”でもあった。

 さて、肝心の”シチリアでの対話”のほうであるが、レジスタンス運動やネオレアリスモ、更には広義のファシズム体制下の文学という項目を取り払ってしまうと、この象徴性に満ちた文学はカフカの”城”やヘルマン・ブロッホの”誘惑者”を思い出させた。もちろん、大古典・ダンテの神曲が想定されるのだが、それを語る資格は私には無い。

 主人公である語り手は、連絡船による渡海を挟んで長い列車と乗合自動車の旅の果てに、シチリア島の最奥部にある雪も降るようなクーポラ(聖堂)のある高地の寒村に辿りつく。また、この村は語り手が十五年前に十五年間生活した村であり、今では母親がひとり過ごしている。

 物語は、前半が旅の途中で出会った人生の縮図の如き人々と母親に案内されて経巡る山間部の最下層の人々の暮らし、後半は、様々な隠喩を秘めた刃物の研ぎ屋、錐屋、布地屋という、異界めいた人物との出会いが語られ、三日三晩の最後の夜はスペイン戦争で戦死したらしい弟の幻の会話を語るところで終っている。クライマックスは語られざる封印された言葉なのである。それは一様に戦死した母親に奉げられた美称――”御幸運なお母様!”というものである。地母神としての彼女にはこの意味がどうしても理解できないのであった。

 前記のブロッホトーマス・マンの文学ほど近代主義的な屈折した陰影が無いのは、文学であるよりも作者の微妙な呼吸や心臓の鼓動ですらも政局に影響を与えかねなかった戦時下における、”いま・この時”におけるレジスタンス文学であったためだろう。またわが国の天皇の戦争責任の問題ほど晦渋性を帯びないのは、大戦後期におけるイタリアの抵抗運動がドイツや日本とは比較できないほど正々堂々としたものであったからだろう。”シチリアでの会話”は、わが国では異質な宮沢賢治を何故か思い出させる。

 戦時下において、巧妙な象徴と隠喩に閉ざされているとはいえ、これだけの文学作品を書きえたということが、何か途方も無いことのように思われるのだ。日本人は何時になったらかかる抵抗文学の水準を生みえるのか。これは作家の資質という問題ではない。これだけの隠喩的な象徴的な言語が戦時下においてある種の機能を持ちえたということは、日本人が想像もできない長い時間の蓄積による言語への信頼があったに違いない。

 この小説で一番記憶の残るのは色鮮やかな原色のようなシチリアの女性の典型のような母親像であろう。訳者である鷲平京子はこの翻訳のために120ページに及ぶ解読文を用意していて、並々ならぬ意欲を見せている。一つにはこの書物が戦後60年も過ぎて理解が難しくなっていることへの懸念もあるだろうが、もう一つは翻訳者が研究者として同時に社会から評価されるようになったことの証拠として慶びたい。

 個人的に云えば語り手の母親からぼろ糞に言われる父親に興味を持った。近代主義の官僚制下層の象徴のような元鉄道員のこの男は、密かにシェイクスピア役者として世の中に出ることを夢見ていた。そしてこの物語の始まる直前においてその夢を実現するべくシチリアを旅立ちベネツィアで新しい愛人との生活をスタートさせるのである。

 父親の愛人とは、訳者に依ればヒトラーの隠喩であるようでもある。なぜなら二人が意気投合したのはヴェネツィアにおいてであった。その頃ムッソリーニは相手を御しやすいミュンヘンの田舎者と見做していて、相手の服装を見てファッションのセンスをアドヴァイスした由である。夢が醒めてみればムッソリーニのやや子供じみたローマ風の野望と、ヒトラーの中に実現された人類がかって見た事も聞いたことも無いような歴史的な”実験”とは比較する術もないものだった。

 マクベスを演じるとともにハムレット役者である父親、母なる国民性と結んで野望と犯罪に手を貸すこの男は、同時に暗い情念に誘われて復讐に邁進する孤独な男でもある。マンマに頭があらず、あらゆる女と見ると言い寄ることを礼儀とわきまえ、かと思えば頭脳戦によって復讐を成就するまでの冷徹な計算もできる二面性こそ、イタリア国民性のカリカチュアとも見える。

 又この男は、星なしの軍服に身を装って高地の母親を訪れる無頼の放浪者でもある。自らの夫と瓜二つの無名の復員兵に密かに身を任せるというのも不思議な関係である。二人の関係を山の高地に語る時間は神話的とも言える至福性に輝いており、この物語の中でも際立って人間的な時間を超越している。この世の約束事や決まりや慣習ごとが無意味と化すかのような至福観は、いっそ宗教とも言っていい。聖書の中の寓話を思い出させるような、もし根源的な渇きというものがあるとするならば、それを神慮として受容するあり方も”キリストのまねび”なのである。

 ”シチリアでの会話”の偉大さは、抵抗文学であることを超えて、人間の根源的な渇きについて語ったことである。大地の自然の恵みも、大地に根ざしたカソリックの教義も、そして政治体制の如何に関わらず根源的な人間の乾きについて語ることにおいて。

 象徴的登場人物の一人であるポルフィーリオはい云う。

”そうではない、友人達よ、包丁ではない、鋏ではない、そういうものは何一ついらない。むしろ生ける水が・・・・・”

 生ける水を、葡萄酒と読み違えることにおいて偽予言者であらねばならなかったもののイロニーがここにはある。

 結果的には理想の恋人である理念に誑かされて、確たる物的証拠もなしに殺人行為を積み重ねる罪の人であると同時に、近代的確信犯の嚆矢でもあるハムレットの隠喩でもあることも読み取るならば、自らの父親像に仮託された揺れ動くイタリア国民の自画像でもあった。