アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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国民国家と反ユダヤ主義・2――アーレントの場合 アリアドネ・アーカイブス

国民国家反ユダヤ主義・2――アーレントの場合
2011-08-19 10:38:32
テーマ:文学と思想

 18世紀末のフランス革命による市民社会の成立から、国民国家の変質と崩壊を通じて全体主義に至るアーレントの記述を要約するのは容易くは無い。全体主義の成立をめぐる流れは複雑で交錯しており、19世紀における主としてフランス社会における叙述を通じて最終的に明らかにされるのは、いわゆる反ユダヤ主義全体主義の違いである。言い換えれば政治的概念と社会的な概念の違いということになるだろうか。

 アーレントに一貫してみられるのは、ジャコバン的共和制に対する評価である。フランス革命とパリコミューンにおける挫折を通じて失ったものは多かった。市民社会革命の挫折を通じて、国家機構と諸階級の間の間隙をぬって成長してくるのが19世紀のユダヤ人社会であった。しかしながら、単に国家と諸階級との補間機能ということであれば、ヨーロッパ社会の成立後一貫してユダヤ人が得意としていたものであったはずだ。17世紀以降の啓蒙期における例外的ユダヤ人としての宮廷ユダヤ人は自らの特権性を自らの人種的特性からではなく、結果として当然受けるべく自らの裁量として受け止めていた。

 19世紀の例外的ユダヤ人がこれと異なるのは、自らが非ユダヤの社会における人種的、生物学的な特異性を標榜しつつ与えられた活動性がもたらした効果の評価に目覚めてからであった。

 市民社会とは、法の前の平等、同種の国民の均一性を前提するものであるがために当初より不安的であった。なぜなら市民社会が当初歴史的前提としては国民国家の形を取らざるをえなかったがゆえに、国民国家がもつ領域的行政的な範囲という条件を有する限り、平等概念は永遠に達成しえない建前に終わらざるをえなかったからである。こうして市民社会は内部に苛烈な階級闘争を孕まなければならなかったのである。ある意味で国民国家とは、市民社会の諸改革の挫折から生まれた過渡的な産物であったといえる。ユダヤ人は、諸階級から相対的に独立した国家の補間機能として、財務の顧問官としての役割を見出す。しかしこのことは、過渡的な国民国家の命運とユダヤ民族の命運がともに運命を同じくすることを意味していた。商業や財務に己の能力を特化して生きてきたユダヤ民族の脱政治性は、20世紀に生じるであろう人類の全く異なった経験と実験を予見することができなかった。

 アーレントは20世紀の未曾有のユダヤ人が被った人類の経験を説明するために19世紀の主要な反ユダヤ主義を検討しその違いを明らかにしている。キリスト教とりわけカソリック勢力と軍部である。もちろんイエズス会の規律や組織論の分析を通じて、これが軍政に影響を与え、遠くのナチズムの遠因になったことを洞察するのだが、軍部とキリスト教反ユダヤ主義は政治的なものに留まった、とアーレントは云う。政治的な反ユダヤ主義は例え激越な場合であっても、せいぜいユダヤ人追放やポグロムを導き出すだけだ、民族の絶滅という発想はここにはなかった、と彼女は言う。

 アーレントは、20世紀の全体主義を通常の反ユダヤ的な政治主義や、表面に現れた限りでの歴史的文献を通じての証明は難しいと考える。こうして彼女は、第一にイギリスにおけるディズレリーのユダヤ人としての成功の事例を通して、人種概念とサロン社会の意義について論じる。さらにマルセル・プルーストの”失われた時を求めて”における同化ユダヤ人の問題と、ホモセクショナリズムと貴族性の相似的並行性を論じている。

 世紀末から20世紀初頭に華やかに花開いたパリのサロン社会とは、犯罪が背徳へと変化する歴史の実験場の如きものであった。犯罪と背徳の違いは次のごとくである。犯罪は自立した個人の善悪の判断を基本とし、背徳は価値判断を保留した大衆社会の固有の現象であり、生物学的に生得的に本人に備わったものである。後者の人種的理解は、多くの非ユダヤ人社会のに対して抱いていたイメージとぴったり一致するものがあった。大多数の人間達が持つイメージが幻想であるかどうかは、政治の力学が支配する現実の世界においては副次的な役割にとどまるのである。

 国民国家内部におけるユダヤ人の寄生性が、国家と同一視され、国家的な不満が増大するところでは何処でも反ユダヤ主義の烽火は広がった、ということは前に書いた。また国家と癒着したユダヤ人財閥の秘密性もまた国家との同一視を生んだ。とりわけスエズ運河を巡る債権の無価値化はユダヤ人の命運に二つの異なった歴史的変化を明瞭に語った。一つは、国民国家が経済や利益社会と一体化することによって帝国主義への道を歩き始めたということであり、これは体制の補間機能であったユダヤ系銀行財閥の相対的な力関係を大幅に変更するものであり、もう一つは債権に関わった五十万人とも言われる当時のフランス社会における小市民階級の没落を通じて、階級脱落者ゆわゆる”モップ”の大量生産の端緒を生んだということである。ここに国家への怨嗟は広範な、大衆的規模による反ユダヤ主義の土壌を生み出したのである。

 20世紀におけるユダヤ人をめぐる人類未曾有の体験は、これのみに限定することは困難であるにしても、社会的要因としてはモップの誕生と、国民国家の崩壊がもたらした財務顧問官としての役割の相対的低下、ユダヤ人の階級的無能性と非対称な豊富なユダヤ資産への市民の怨嗟とが複雑に結びつき、これにフランス世紀末サロンにおける背徳の概念との統一がもたらした人類史のあまりに奇形な無機性を帯びた異物、紛れも無い人類の”成果?”だったのである。

 シェイクスピアベニスの商人のむかしより、国民国家の寄生性としてのユダヤ人のイメージには罪の概念がダブルイメージとして重なった。これには新約聖書の記述が果たした役割は無視しえないものであろう。しかしこれだけのことであれば、反ユダヤ主義とは今まで幾度も繰りかえされたポグロムやデャアスポラを導いただけであろう。
 世紀末のフランス市民社会とサロンにおいては、新奇である事が尊ばれたという。ユダヤ人が何ゆえサロン社会で重宝されたかは観賞する側の一義的な犯罪性との同一視による。こうして奇形であることがもてはやされるようになる。この奇形性の中には、当然、従来まではタブー視されたホモセクシャリズムも含まれる。同様にサロンに集った貴族達もこの中に”卓越性”として含まれていたのであり、文化人や天才達も含まれていたのである。こうして爛熟したブルジョワ文化の広範なお墨付きのもとに、犯罪は背徳へと変質し、背徳を観賞することだけには留まらずに、それを自ら演出したいあるいは演じてみたいという悪意の国民的な経験が大衆的な規模において生じることになった、とアーレントは云うのである。

 20世紀は、階級社会を超えるということが左右を問わずスローガンになった。階級を超えるということにおいて、ここから生物学的な人種や血の概念が生まれてきた。後にナチズムによって大々的に採用される理論は、既に19世紀にユダヤ社会が家族と門閥支配のよって実現してきたものである。皮肉なことにナチは、ユダヤ人社会の発明を当の発明者に向かって大規模に応用し、とことん冷徹に利用したのである。

"犯罪と背徳の間には根本的相違がある。犯罪を行うものは、その悪事について責任を問われうる自由な人間である。背徳には人間は生まれつきの素質によって引きこまれるのである”(p164 同書 )

”ユアや人に関する限り、社交界ユダヤ人であるという「犯罪」を、ユダヤ人らしいという社交界に受け入れられる背徳に転化してくれたことは、極めて危険なことだった。ユダヤ人は社会から逃れることは出来ても、ユダヤ性から逃れることは出来なかった。犯罪には刑罰が加えられるだけだが、背徳というものを抑えようとすると絶滅が必要となってくる。”(p170同書 )