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☆近代との遭遇――その比類なき輝しき痕跡――漱石の ”三四郎”  アリアドネ・アーカイブス

☆近代との遭遇――その比類なき輝しき痕跡――漱石の ”三四郎
2011-12-29 09:46:41
テーマ:文学と思想

 夏目漱石の本は学生時代にその主要なものは殆ど呼んだが、”三四郎”とあと一つ二つを読み残していた。中期の二つの三部作の一つに位置づけられながら、このあとに続く、”それから”・”門”とは繋がりにくいようだし、”彼岸過ぎまで”・”行人”・”こころ”の三部作とは違っていることが読まずとも分かるのである。実を言うと二十歳前後で読んだ漱石では ”道草” が一番良かった。下町の溝の淀んだような沈鬱さが漱石後期の諦観の果ての視点で淡々と描かれる。若い頃は小説の完成度を求めていたのだ。”こころ” を含む三部作は苦手だった。初期の ”草枕”から ”虞美人草” 等の徘徊趣味や戯作文学の尾びれも苦手であった。”吾輩は猫である”の哄笑とユーモアの背後にある悲しみのようなものに気づくのも三十を過ぎてからであった。夏目漱石の不思議さは、彼自身は学界と文学界という二つの世界の成功者でありながら近代化の歪みの中に飲み込まれていく敗者の気持ちを最後まで代弁し続けた作家であったことだ。その偉大なる負のエネルギーが国民的な大作家として今日まで読み継がれてきた理由の一つとも云えるであろう。幼少の頃の養子縁組にまつわる自伝的ないきさつもまた彼の華やかな履歴に陰影を与え、生涯を通じて通奏低音のように低く響いていたというのもその通りだろう。その問題は別の機会に考えるとして、ともかく、思いもかけず抜けていたのが青春小説としての ”三四郎” との出会いであった。残りものに福あり、といった感じですね!

 三四郎の設定は、これから人生のキャンバスに何ものかを描くための白い空白のように、誰もに好かれそうな地方から上京してくる青年として車中の風景を通して紹介される。
 通常云われるのは、未成年三四郎の前に立ちはだかる世界は三つである。一つは、郷里を後にした世界にのこる故郷の人々である。二つ目は、lこれから全力で泳ぎきって行かなければならない男たちの世界である。漱石は単なる立身出世の対象としてではなく、世俗的成功よりも自立的学問の世界に拠り所を見出す野々宮と云う人と、成功でも失敗者でもないどこか達観したところがある広田という高校の教師を紹介している。絵に描いたような立身出世型の人間は登場しない。”坊っちゃん” や ”吾輩は猫である” のような権力に金権に対するあからさまな反感も描かれてはいない。近代と出会う以前の純朴な田舎の青年の都会廻りの話であるのだから、”それから” 以降の屈折した精神性や内向性とも無縁である。

 そして三番目が、美禰子に代表される都会の進歩的な女性の肖像である。この女性のタイプは既に ”草枕” 等にも登場しているが、漱石の筆致は近代との出会いを描いて比類ない。私はこの小説を読みながらしばしばモネの ”日傘を持つ夫人” を思い出した。初夏の日差しを浴びて、眩しいような空を背景に見上げるような構図から夫人の表情を日傘を通してくる光線の中に顔の陰影を捉えている。将に、人生の真昼時とも云うべき描写である。
 ”三四郎” の中では、美禰子との出会いが ”扇子を持った女” のイメージとしてこの小説の中では効果的に繰り返し反復されている。そして小説の終わりは彼女を描いた少しは彼らの属する階層で話題になっている美禰子の肖像画三四郎がとある画廊見にいくところで終わっている。美禰子は、一度も小説の中に姿を現さない人物と結婚することになり、さんざん気を揉まされた挙句、結果的には三四郎は失恋する、と云う次第である。三四郎は彼女の本心を明かさない擬態に悩み怪しみ翻弄されるのだが、彼自身の一人相撲と云う観が深い。美禰子は、時代を予告する ”迷える羊” という謎めいた標語を残し、かつ別れにさいしては聖書の言葉を引いて一応のお詫びのようなことを云う、そんな物語である。立派な女性だと思う。

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 この小説の魅力は、明治の青年たちが出会った近代と云うものの輝きである。いわゆる夏目漱石の中期以降の文学は ”それから” 以降始まると考えて良く、これを三部作の一つに加えるのは不整合のような気がする。”三四郎” と ”それから” の間には断絶が感じられる。それは ”それから” の代助以降の登場人物が近代人であるのに対して、”三四郎” は近代との遭遇、近代の一歩手前を描いたものであるからだ。しかも、曇りなき陰りなき輝かしき青雲の近代を!

 読み終えた本を置いてしみじみとした思いに耽ったのは、”三四郎” の小説としての完成度の高さであった。 ”三四郎” を漱石の諸作群の中に置いてみたときの光彩陸離の印象はただ事ではない。美禰子が比類なく魅力的に感じられるのは新しい女性のタイプを描いたからでもなく、時代のエキセントリックな個性というものを描かれたからでもない。時代の先端を行く進んだ知性の持ち主がいざ結婚となると、周囲が妥当と思える結婚に迷うことなく従うことを、如何なる心理的な葛藤もなしに受け入れる、という明治中期の知的水準のイロニーである。ここでこましゃくれた高熱くさい理屈を披露してひと波乱を起こすとお話としてはイプセンの翻訳劇ようで面白かったのかもしれないが、漱石はそのようには描かなかったのである。そうした目で美禰子を見ると、彼女が三四郎に示した行為と好意?の意味がよく解るのである。擬態や偽善と云うようなものではない。日本の近代と云う閉ざされ限られたある固有の時期のある固有の領域に生かされた束の間の儚い理念が、大きく羽ばたく暇も許されず慣習と折あって生きていかなければならないある種の矛盾と断念とが、新しい時代における ”三四郎” に代表される明治の若き汚れなき精神に対して高貴な激励の挨拶を送っている、と云おうようにも読めるのである。

 三四郎を廻る脇役陣の人物像形もまた素晴らしい。誰もが美禰子と結婚するかもしれないと思っていた野々宮の飄々とした恋愛には無関心な学究人らしい孤独な夢に殉じる態度、過去に大きな傷痕を持っていることを三四郎だけにはおとぎ話のように暗示して見せる明治の大なる社会人広田。彼の既に近代を見据えた態度には遥かに漱石の面影を懐かしく感じる。また、三四郎にしつこく纏いついて何かと兄貴分のようなお節介を焼く行動的な佐々木、静的な三四郎像に対して動的行動性を発揮して未青年の主人公に社会の様々な世界を紹介する狂言回しと云う役割なのだが、漱石は必ずしもそれだけのもの、つまり三四郎の対抗人物としては描いていない。この行動的な男が色恋に関する領域だけには決して近づこうとはしないのである。その理由は想像するほかないのだが――”Pity's akin to love "の解釈をめぐる洒脱な会話に漱石は重要な暗示を与えているのだが、三四郎を取り巻く脇役たちが単なる類型としてではなく、読み終えた後も実在を確定せず、まるで人生の人物そのままに。小説の枠踏みに留まることなく、彼らの過去や今後をあれこれと読者の恣意に任せる、というのもこの小説の付きせぬ魅力なのである。

 漱石は書いていないのだが、この小説においては、三四郎以外の主要な人物は、皆過去のドラマなりトラウマを持っているかのように読める。美禰子の ”迷える羊” とは、近代と云う時代の食を食んだものの消すことのできない ”聖なる傷痕” のごときものであったのかもしれない。いまだ近代の手前で大きく夢を含まらせる三四郎には意識することも想像することもできない、しかしやがて確実にやってくるであろう日本の近代いという通過儀礼の如きものなのであった。
 ”それから” 以降の漱石の長い苦渋に満ちた闘いは今まさに始まろうとしていた。


追記:辻邦夫の夫人である辻佐保子の死を27日の朝日新聞が伝えている。同日の午後表記の本を読み終えていたので思えば不思議な因縁である。
 また、今朝の読売新聞だったか、一面の一言覧が ”三四郎の” の ”Pity's akin to love " をどう訳するかについて論議している場面を紹介している。何時もはひょうきんな佐々木青年がこれを ”可哀だとは惚れたと云うことだ” と 訳して皆を少し感心させる場面である。注目するのは途中から会話に入ってきた美禰子さんが会話を引き取って佐々木との間に二三会話を成立させる。小説 ”三四郎” の中で白眉とも云える場面の中心にこの二人がいたと云うことが、流石は漱石と思わせるものがあって感慨ひとしおでした。ここにも、比類なき近代の輝かしき聖なる痕跡がある。