アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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☆森有正 ”生きることと考えること” アリアドネ・アーカイブス

森有正 ”生きることと考えること”
2012-01-16 18:08:13
テーマ:文学と思想

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 この本は、インタヴュアーが広範な読者を想定して、その人と思想を語ってもらうと云う主旨の本である。欧米では良く見る形式なのだが、日本ではそう数多くはないようである。日本には公衆が意見を求めたいと思える知識人がいない。それから、こう云う分野は本来はジャーナリズムの見識が問われる分野だが、日本ではなかなかそこまでの先駆的な知見を備えたジャーナリストがいない、と云う事情もあるのだろう。事実、この本の篇者である伊東勝彦さんは当時北大の助教授である。いまとなっては森有正を語る貴重な文献のひとつになっている。

 再読すると、このインタヴューがいつ行われたかが気になった。完結し出版されたのが1970年秋になっているから、丁度、札幌で森の体調に異変が現れた頃である。自分の一生を振り返ってみたいと思わせたのは、やはり彼自身の中でも予期するものがあったのだろうか。事実、この時期森は遺書をしたためたらしい。しかし前書きや後書きなどをみると微塵も本人にはその気配はなく、いっそうあわれな感じがする。この本を読むと、森有正と云う独立独歩の思想家が十分に延び切って、既に完成態において現れていたことがわかる。読み終えて時間を置くほどに、何か襟を正さしめるものが感じられるのだ。

 この書でも一番印象的に語られているのは、あの有名な ”経験” の思想である。フランスに入って言葉と事物が一対一の厳密な照応関係にあることを理解した、と云うようなことを彼は何げなく言う。難しいことだ。日本にいては理解しがたいと云うか、手の届かない思想である。この言語を中心に挟んだ梃子の原理から、一方では、森の云う ”もの” が出てくる。そして他方にはあの ”経験” という概念が出てくる、という論理構成である。
 あるいはこのように言い換えても良い。自らが生きる時間性を他と取り換えの利かないかけがえなき固有時として理解した時、森はそれを ”経験” と名付けた。”経験” と ”もの” の誕生は発生論的には同時であり、両者をつなぐものとして ”言葉” の存在論的起源はありえた。
 こうして両者を繋ぐ ”言葉” は限りなく固有のものでありながら、他方では他者の世界においても受け止められ、共有されるものとされないものを同時に含むものとして、つまり両義性として、尽きることのない普遍性の源泉となることが出来た。言語は、個と普遍を繋ぐ回廊のようなものとしてあり得た、ちょうど森の最後の十年間が薄明に消えゆくパリと東京を繋ぐ愛の、虹の浮橋であったかのように。

 森有正の思想の要締を、多少自分の言語で語ったことを許していただきたい。