アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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栃折久美子 ”モロッコ革の本” アリアドネ・アーカイブス

栃折久美子 ”モロッコ革の本”
2012-01-23 23:46:31
テーマ:文学と思想

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 ”モロッコ革の本” 本場のヨーロッパに於いてすら忘れ去られかかった古い製本技術に関わる物語である。製本技術が単なる技術としてあるのではなく、書物に対する並々ならぬ愛情が栃折さんを支えた、と云う意味である。ベルギーに短期留学し、東京のカルチャースクールのようなところで、何の当てもなく高邁な意志だけをたよりに、無我夢中で長い道程を走りはじめようとする走りはじめようとする前の、スタート台に立つまでの物語である。成功体験記ではなく、海のものとも山のものとも知れぬ対象的世界に、夢と予感とだけが先走りした、そんな端緒の心の高揚と出会った人たち、慈しんでくれた他国の人たちの物語なのである。如何なる打算もない純粋さがいまでも心を打つ、そんな本である。

 ただ、これを一冊の随筆として読むにしては、最後から三番目の章、”ある週末” が複雑な感慨にさそう。例えば、森有正と云う思想家について知らない、製本技術のみの関心で読む読者はこの章を、どのように読むのだろうか。当時パリにいた当の森はこの書を送られて、余すところのない間断なき記述、と云うような最大級の評価をしている。栃折の師匠に当たる臼井吉見なども評価は高く、このような地味な本が意外にも注目されたと云うことが当時の話題になった様子がうかがわれる。そしていまも、この書は愛好家の間で綿綿と読み継がれ、二種類の文庫本に新装で納められているほどである。

 私の評価は一般とは逆で、あの多少偽悪的な本音が揶揄されたり、あるいはあからさまな悪意の表明としか思えない書評すら散見する三十数年後の ”森有正先生のこと” の方が純粋なのである。がむしゃらに生きた若いころの純粋な生き方よりも、70歳を過ぎて老齢――失礼!――になった頃の回想の方が、60年代のあの日あの時の細々とした手で触れることができるような時間の刻みの陰影を伝えていて、感動的なのである。ひとは歳を重ねるほどに純粋になると云う事例にたまに遭遇するけれども、時の練磨の過程のなかで、ダイヤモンドや金はいよいよ磨きがかかり、メッキは剥げたなりに風格と味わいを持ってきて、貴金属でも敵わないこの世にたった一つの固有な手造りの美を表現しえているからだろうか。
 いずれにせよ、三十数年間にわたって温められ、時の練磨に耐えた ”経験”――森有正が好きだった言葉――に対しては、凡人の小賢しい奥念などは無用なのである。栃折さんが本のなかで語っている、一冊の本を仕上げ画龍う点睛とも云うべき金字の刻印を前にした、”厳かな気持ち”、と、表現しているが、それに類似する敬意と云うものを感じさせるのだ。

 私は天の邪鬼なのだろうか。いつも私の書評は大向うとは反対の結論になるので、時々自分の感性に疑問を持つこともあるのです。