アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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森有正への追憶・2――経験と実存 アリアドネ・アーカイブスより

森有正への追憶・2――経験と実存
2012-02-18 12:40:02
テーマ:文学と思想

 森有正の留学経験に関して、幾度も語られた有名な言葉がある。

”パリに行って自分のためになるように学べることは全部日本で学ぶことが出来る”

 これは洋行すれば一人前とみなしてくれる、我が国の越し方百年に対する大いなる皮肉であろう。最近でも、映画や音楽に於いて海外での受賞経験の方が先行しているし、こと言葉に対する敏感さが競われる文学に於いてすら海外の評価に盲従する、と云う傾向は少しも変わらない。海外の評価に頼らずに評価するシステムが整備されていないことも問題であろうが、こと文学に関しては母国語できちんと評価すると云う姿勢が失われたことにこそ、本当の問題はあるのだろう。言葉に対する白々しさや軽蔑は、文学的な世界だけではなくて、3・11以降の報道をも含めて、日本人自身の感性に対する問題を突きつけていると思うのだが、その点に気が付いている気配はない。森が生きていたらどんな感慨を持っただろうか。

 日本人は、一方では”言霊” 等と云いながら、言葉に対する経験を、かっても今も学習したことのない民族なのである。森有正が云おうとしたのは文化や文明を学理の対象としてなら、高度な研究やが学的理解も日本人でも可能である。何が欠けているかと云えば、その壮大な言語の構造物を支えている ”経験” が欠けているのである。その ”経験” は学ぶことも研究することも出来ない目指さるべき対象的知ではない。言語の構造が不可避的に持つ、歴史的現実との間にとり交された厳密な照応関係、言葉や名辞が厳密に ”もの” と対応していること、言語を媒介に一方では、言葉を介在させない ”ものそのもの” としての世界の発見があり、他方では ”もの”の世界に対応するものとしての ”個人” の発見がある。この、”もの” と ”個人” が厳密な対応関係にあるフランス語を、我々は学ぶことが出来ない、と森は云う。フランス語として、文法として、言語学の対象としてフランス学としてなら学ぶことは出来るが、”経験” としては学ぶことが出来ない、森が言おうとしているのはこのことである。

 ついでながら云うならば、60年代の学園紛争の中で提起された問題もこの問題を廻る問いであった。つまり文明や文化を学ぶべき対象として考える限り、わたしたちは進歩主義者にも反動主義者にもなることが ”任意に” 可能である。問題なのは国民的な経験の洗礼を受けていない日本語と云う言語の構造であり、その言語が日本的現実の何と対応しているかを厳密に問うことなのである。言語の前提を問わずして、その言語を使用して、例え如何様の進歩的な言説を語ったとしたところで、それが何だろう、学生たちが問い掛けたのはかかる設問であった。文化も文明も科学も対象知としては学ぶことも語ることもできる。しかしその語られる言語や言説が現実の構造とどのような関係にあるかを問わない限り、それが民主義的とも人民の側に立つとは言えないはずである。単に、研究室や教室を出て街頭に繰り出すことが進歩的であるはずがない、そう学生たちは問い掛けていたと思うのである。自己否定とは、単なる自分を否定することでは一度もなかった。
 実は、森有正がパリで独自の経験思想を深めつつあるとき、日本の学生運動の水準が思っていたよりは近かったことに対して語られた言説なり報道は意外と少ないのである。あの当時、森有正の著作を絶賛していた心酔者たちは、あの日あの時、何を何処でどうしていたのだろうか、彼らは正しく森有正を読んでいたのか、かく意地の悪い設問さへ起こりかねない感慨と憤慨を、老人としての私は持つ。

 もし森の云う経験と云う言葉に対応する日本語を探そうとすると、それだけの深度と広域をカバーするものは、”実存” という言語しかないだろう。実存を、個人のかけがえのない個の経験、と云う風に理解すると、森有正の経験-思想の半分が脱落してしまう。日本流の実存概念の理解では、人間が経験を定義しかねないからである。経験は人間に先立ち人間を定義する。それは言語の構造が人間が編み出した単なる記号や符号ではなく、現実と個人との交差点にあるからだ。この三項関係の先-後関係を云うことは難しく、発生論的には同時である。ものを考える場合は、個人や主体や主観から出発してはならない、これは森が繰り返し語ったことである。

 それでは森有正は ”経験” と ”実存” の関係をどのように考えたのだろうか。
 まず第一に、先-言語的覚知なり認知作用として ”もの” の発見がある。”もの” の発見は ”言語” を介して ”個人” 概念の発生を促す。この一連の過程を ”内的促し” あるいは ”感覚” の発見、と云う。感覚の熟成されていく過程が ”経験” である。経験は人間を定義する、と森が主張する場合はこの段階である。それゆえ人間と言語の発生は同時的である。ハイデガーが言語は人間の住まいである、と云った所以である。これが第二段階である。
 言語が自覚的過程を経て反省化されたものが ”精神” であり ”思想” と呼ばれるものである。この段階で ”実存” は初めて学びうるものとなる。学びうる対象的知識となる。これが第三段階である。
 現在と過去を反省的に総括しそれを時間軸の反対側へと投影させたものが ”実存” である。ハイデガーサルトルが実存を未来への ”企投” として語るのは、このゆえである。これが第四段階である。

 この第四段階を経て森が目指したものは何だったのだろうか。それはバッハの音楽を通じて目指した ”神” であるようにも見える。私には、若き森が、かって西新宿にあったと云う自宅の二階から西方を望んで、何時か此処に帰ってくるよと囁いたように、日本人として帰ってくることを目指したのだと思いたい。そう考えるならば、パリで客死した森の無念さがよけい心に沁みるのである。
 云いかえれば、経験が人間を定義すると云われる場合、経験と云う全体性概念の過去よりを、その熟成の過程を ”経験”、それが変貌し未来へと開いていく過程を ”実存”、と云う風に理解できるだろう。