アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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シェイクスピア 「間違いの喜劇」 アリアドネ・アーカイブスより

シェイクスピア 「間違いの喜劇」
2012-03-08 21:55:35
テーマ:文学と思想

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ウィリアム・シェイクスピアの最も短い戯曲だと云われている。
 しかし、物語の筋の展開は複雑で、奇想天外で、波乱に満ちている。二組の双子が、それぞれに相手を勘違いした場合の組み合わせと、彼らを取り巻く人間たちの勘違いが齎す波乱万丈の物語、最初は冗談で済んでいたものが、だんだん深刻になり、最後は暴力や法の裁きも出てくるやと思われたところで、最後は一転した幸運の女神に見取られるかの如く、二組の双子は遠い昔に離れ離れになった兄弟であり、しかも偶然は重なるもので、凡そ30年前海難事故で離れ離れになっていた父と母もまた、固有なこの場所で、この日このとき、つまり物語の始まりが朝であり、保釈金が払えなければ国法により午後5時に死刑が執行される予定であるから、その直前に悲劇は喜劇に転換することを観客は予感として願っているわけであるから、その予想通りに完結する、まる一日のドラマなのである。

 話の筋の荒唐無稽さや、ありそうもない架空性のゆえに、シェイクスピアの練習作ではないかとまで疑いがかけられたこともあったそうだが、なかなかどうして、狂詩曲にも見まがうテンポの速さと、次々と展開する局面の新鮮さは、まるで宝石のように透明な簡素さを備えた喜劇の秀作ではないかと思う。

 しかも、離れ離れになった親子が最後に運命のお導きで一堂に会すると云うストーリーは、後に『十ニ夜』や『冬物語』で十分に展開されるところのものである。途上人物の造形性や彫拓において深みこそそれらの喜劇の名作群に劣るとしても、過度の感情移入や大げさな人情表現を排した構成は、簡素な中にも上品であり、まるで白木のままの素材を生かしたクリアーな完成美を思わせる。
 まるで宝石のような仕上がりなのである。

 この戯曲は言い伝えによると、ページェントや催し物の余興として演じられた歴史があると云う。あえて過度の自己主張を抑制したこの作品の慎ましさはそうしたこの戯曲の誕生に係る事情も関係しているのだろう。それを勘違いして演劇研究史に於いては、いまだシェイクスピアらしさが出ていない処女作だと云う意見もあると聞く。

 本当にシェイクスピアと云う人は、研究者泣かせの、どの作をとっても不可解な人である。