アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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小林敏明 『廣松渉――近代の超克』 アリアドネ・アーカイブスより

小林敏明 『廣松渉――近代の超克』
2012-04-02 13:08:32
テーマ:文学と思想

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 廣松渉については主著『存在と意味』も読んでいないし、学生時代に新宿の紀伊国屋で購入した『世界の共同主観的存在構造』は装丁が立派だと思った以外に思い出が無い。それで今回たまたまの偶然からこの本を読んで見ることにした。
 この本の特徴は、廣松渉の概説書であるはずなのに、全体の三分の一を費やして、所謂近代主義と云うものを論じる場合の諸前提――市民社会とネイション、近代合理主義とそのパラダイムとしての哲学思想の背景、主観と客観の二元論と、アトミスム等の解説から入っている。今日では、それだけ廣松が格闘した当の相手である近代主義と云うものが分かり難くなっていると云うこともあろう。それから難解な漢語を頻出させる独特の文体についても異例の解説を重ねている。つまり辺境者としての位相が廣松の文体にそのまま現れていると云うのである。
 廣松の出自は山口だが物心ついた幼年時代から多感な青年時代にかけて過ごしたのは九州は福岡県の柳川近郊の船小屋、蒲池であったと云う。西洋に対する東日本、東京に対する九州、九州の中でも筑後の一寒村と云うところに、後年の廣松のマージナルとしての世界観的な構造、つまり特殊を通じての普遍と云う壮大な哲学的な構図の起源が認められるのであると云う。それはその通りであるにしても、廣松のように言語の自律性の名に於いて著作したものに対して伝記的事実を過大に評価してはなるまい。
 この本が私にとって示唆的だったのは、『近代の超克』でみせた所謂京都学派との対立点と類似点であった。小林が云うように廣松が死んでしまったあとでは、むしろ類似点の方が眼に付いてくると云うことなのだろう。廣松と京都学派に共通するものは、近代は規範として崇められるべき対象でもなければ、それを克服する原理として東洋の精神主義を対置すれば済む様な問題でもなかった。前者がいわゆる戦後派民主主義であり、後者が戦時の近代の超克派なのだが、それら両者、と云うか戦後思潮の露骨な二元論的パラダイムと廣松とを分つものは、近代主義の問題はあくまで近代の問題を突き抜けていく過程の中にしか存在しない、と云う無言の了解事項のごときものであった。思い出すのは森有正も同様のことを言っていた。西洋的価値観に反発する余り、諸文化・諸国の文明論的多元性対置し相対化することで問題が終わりなのではなく、不可避的に西洋的価値観に巻き込まれていく世界史の趨勢の中で有効な解決策があるとするならば、それは西洋の課題を自らの課題として定位させ、内側から内在的論理性として食い破って外に出る他に、近代の超克などあり得ないのである。そうして、ここからが大事なことなのだが、戦前の京都学派、つまり悪名高い「近代の超克」論者とは、この点廣松と問題意識を共有しており、華々しい戦後民主主義諸流派の大合唱よりも今日から見れば興味深く、かつ批判にこと借りて廣松が密かに京都学派の再評価をやったらしい、と云う点である。
 京都学派と云えば、先日も熊野純彦の『和辻哲郎』を読んで教えられるものがあった。その熊野が廣松の代表的な弟子であることも小林の解説によって初めて知った。まあ、色んな処で因果は繋がるものである。京都学派については、一度時期を決めて、本腰で向き合ってみなければならないと思っていたところが、戦後の代表的なマルクス主義者。廣松渉が京都学派と血縁的に繋がっている、と云う知見には少なからず知見が広がる思いがした。

 さて、廣松渉の四肢構造のおさらいである。――例えば認知の第一歩として主観に何かが見える場合、それを伝統哲学では「所与」と云う。所与は無前提のものと考えるのが西洋哲学の基本だが、最近はゲシュタルトの考え方を使って原理的に無前提の所与などはあり得ないことが明らかにされている。こうして素朴な実在論は乗り越えられたのである。廣松が特に四肢構造と云う場合はゲシュタルトを念頭に於いて、意味するものと意味されるものの二義性を主観と客観、主体と客体の双方向に定立することによって、硬直した二元論や素朴な唯物論実在論を乗り越えようとした点にあった。主観と客観と云う二元論を否定しようとするのではない。廣松の用語を使えばフェノメノン(現相)という場を境に主観と客観が出てくるのであって、その逆ではない、主観と客観から出発してはならないのである。この点も名辞や命題から出発してはならないと云っていた森有正を思い出させる。廣松の「自己疎外」と「物象化」の違いもなにやら森の「経験」と「体験」の違いを思わせて、二人ともまごうことなき同時代人なのである。気がついてみれば、誰もかれもが鬼籍にいっているのである。


ご冥福おお祈りします。


1933年8月11日 - 1994年5月22日