アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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東洋の論理、西洋の論理――西田幾多郎と森有正の場合 アリアドネ・アーカイブスより

東洋の論理、西洋の論理――西田幾多郎森有正の場合
2012-05-01 11:12:10
テーマ:文学と思想

・ 西田幾多郎等と云えば、決まって禅とか東洋に固有の思想、 などと言われる。ここで云われる東洋にも西洋の思想にも、ましてや禅等について知らないので何事も云えないわけであるが、とはいえ、われわれ日本人は東西の比較論に安易に安住しているところはないのだろうか。

 例えば、近年の事で云えば森有正などは欧化主義――と云うよりも、徹底的に西洋的なものの考え方を研究した人間であった。ただ彼の場合、余り言及されていないのだが、ヨーロッパに学ぶと云う姿勢の根底には「世界性としてのヨーロッパの思想」、と云う観点があって、単に東西の文明や思想の相対性を云々することでは済まないこと、世界史の趨勢を客観的に評価した場合、西洋中心主義の論理ゆえではなく、好む好まざるにかかわらず諸文明を先進国と後進国の二つにヒエラルキー的に分類し、かつ産業資本の論理が産業経済の現象面だけでなく、内面的にも国民の個々の諸活動を実存の最下部において規定しているという現状においては、神風連風の発想の時代錯誤性を認識し、西洋の論理に対抗するためには一旦は徹底的に西洋の論理を学んでこれに対抗するしか効果が無いと云う、目には目を歯には歯を、根には極めて戦略的でもあれば国粋的な意志が、ある種の強度をもって秘匿されていたことであろう。森有正をして国粋主義者だと定義するとすれば何を云うかと言われそうだが、この観点を欠くならば、思想家としての森有正の生涯史において、結局、何処に向かって森有正は帰って行ったのか、と云う大事な点が理解できなくなってしまうのではないかと思う。

 これは余り云われていないのだが、森有正とかの西田幾多郎には、その根本に於いて驚くほど似た文章が残されている。

「経験と云うものが、一人の個人を定義する」(森有正

「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである」(西田幾多郎

 つまり、個人と云うものがあって、そこから無前提に始めてはならない、ということである。なぜなら、普段我々が無意識に前提している「個人」とか「私」と云うようなものは、当たり前のものではなく、既に常に、何ほどか社会や歴史と云うものに媒介されたものだからである。最近の言葉で云えばパラダイムと云う言葉が相当すると思うが、そこでは語る「私」、具体的な自分自身と思えるものも半ばは社会性を帯びた仮面が語っているのである。人は鏡に映すよりほかは自分自身の表情と対面できないゆえに、その事に気づかず、自分のあり方に疑問を感ずることもなく、ああだこうだと批評して倦むことが無いのである。

 たまたま読んでいた上田閑照の『西田幾多郎 人間の生涯ということ』を読んでいたら、二人に言及する場面があった。長いが、そこのところを引いておく。

” 森有正の文章に、西田ならばまさに純粋経験の叙述を見出しましたので参考のために引用してみます。「この間、支笏湖へ数日行って、殆どスイスの湖水を思わせるその美しさに驚いた。ホテルの窓からは、嵐を含む暗い好天の下に、斜めに夕陽をうけて白銀のように輝きながら波立つ湖が山に囲まれて拡がっていた。・・・・・こういう自然を前にして、・・・・・私は幸福であった。人間が作った名前と命題とに邪魔されずに、自然そのものが裸で感覚の中に入ってくるよろこび、いなそれは「よろこび」以前の純粋状態だ。あとになってから、私はこの状態に「よろこび」という名をつけるのだ。人間がつくった名前や命題は、それがどんなに立派なものであっても、それ自体で自分の感覚に一つの状態を惹き起こしてしまう。それは実物が私の前に現れた時の感覚を変容させずには措かない。・・・・・支笏湖の原生林が高緯度の冷たい夏の太陽の光を浴びて燦めく中を歩きながら、私は幸福であった。顧みて私はそれを自分の経験として完全に肯定することができる、というよりもむしろ、この純一な経験によって自分を知る。あるいは自分が生まれさへもするのを感ずるのである。これは凡ゆる理屈をこえた事実である。そこで私は、こういう感覚に即して、自分に直截触れる。それは、一つのパトスの極限態であり、自分というもの、さらにそれを通して人間、を定義する要素となるものである。
 自分がまず在ってそれが何かを感覚するのだ、という事態から抜け出さなければならない。充実した感覚こそ、自我というものが析出されて出てくる根源ではないのだろうか。・・・・・この状態を感覚の純粋状態と呼んだが、私はそれを「感覚」と呼ぶ以外に何と呼んだらよいのか判らない。それは感覚を定義するものである」(森有正『木々は光を浴びて』) そして森有正は「経験の質の問題」と言い、「感覚の純粋性を恢復する」と言います。”(p130-132 )

凡そ学や言説が成り立つ以前の、感覚、そして経験の質が語られており、何事にせよ物事を原理的に考える場合にその出発点において見出すものは、西田のように意識的に東洋の論理に拘った場合においても、また森有正のように食生活そのものから生活環境にいたるまで欧州の風習にならい、更に日本から隔絶したパリという場所で、言語も何もかも、一時はフランス人の奥さんと結婚するという徹底性の果てにヨーロッパの論理を内側からも外側からも原理的に再現する、という方法をとった場合においてすらも、上田閑照が指摘するような、東西思想の同一な「場」に辿りつくのである。
 つまり、東西の思想は実存としての経験の場としては一致する。

「自分がまず在ってそれが何かを感覚するのだ、という事態から抜け出さなければならない」(上田・前掲書 最後から6五行目)

 まず自分があって、そこから感覚的な所与を受けとるという発想は、主観と客観を前提し、既に常に反省的に顧みたれた目に見えぬ概念装置を前提した判断であることを理解せねばならない、と西田なら言うであろう。

 アカデミズムでは諸文明間の理解などと云う場合に、言語間の断絶や障害ということを喧しく云う。厳密な科学としての学的態度において、史料批判のレベルに於いてはそうであろう。しかし諸国民の文化受容と経験という点においては、喜怒哀楽の感情ほどにも言語には普遍的な機能がある。学として、あるいは科学的な手法以前の実存の基底にあるものの考え方、というレベルでは、安易に東西の比較論に安住するという姿勢を自らに許してはならないのではなかろうか。
 
≪付記≫
 西田幾多郎純粋経験の思想と森有正の経験の類同性について言及されたことが無いと書いたが、藤田正勝の『西田幾多郎』に記載があるのを見つけたので引用しておく。

上田閑照西田幾多郎――人間の生涯ということ』(1995)でも言及されている森有正の文章である。森は長くパリに滞在し、フランス文学や哲学の研究に携わった人で、『経験と思想』(1997)などの著作で知られる。この表題からも知られるが、「経験」は森が生涯を通じて追及したテーマの一つであった。『木々は光を浴びて』というエッセー集の中で、森は経験とは何かを語りつつ、北海道の支笏湖を訪れ、湖畔の原生林を歩いた際に抱いた印象について記している。

 人間がつくった名前と命題とに邪魔されずに、自然そのものが裸で感覚の中に入ってくるよろこび、いなそれは「よろこび」以前の純粋状態だ。あとになってから、私のこの状態に「よろこび」という名をつけるのだ。

 『経験と思想』のなかでは森は「経験」を自己と他者との関わりの問題と結び付けて論じているが、ここでは、言語が介入する以前のどこまでも純粋な感覚状態が「経験」という言葉のもとに理解されている。自然が名前をもたず、裸のままで私を満たした状態こそ森の言う「経験」である。この森の理解が、西田の「純粋経験」を理解するための一つのよすがになるであろう。(同書p38-39)