アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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藤田正勝 『西田幾多郎――生きることと哲学』アリアドネ・アーカイブスより

藤田正勝 『西田幾多郎――生きることと哲学』
2012-05-03 16:15:32
テーマ:文学と思想

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・ この書は新書版と云うスタイルながら、いわゆる西田哲学と言われるものについての概念的な知識を与えるべく纏められている。本書と、例えば先回取り上げた上田閑照の『西田幾多郎――人間の生涯ということ』の二冊を読めば、彼の思想と人生、生き方との両面が一応分かる。
 
 西田哲学と云えば難解な用語が頻出するといわれる。純粋経験、自覚、場所の論理、行為的直観、そして絶対的矛盾的自己同一とかが代表的なものだろうか。あの明晰で知られる文芸批評家の小林秀雄が西田の文体を評して、日本語でも西洋語でもない不思議なシステムと評し、その由縁を西田の孤独さに求めたと云うが、西田の孤独さは普通の意味での孤独さではない。何となれば西田こそ先立つ師に恵まれ、同僚に恵まれ、弟子たちに囲まれて無言の影響と感化を与えたと云う意味では、通常の意味での「孤独」には該当しないからだ。彼の文体を決定しのはその歴史面と個人的な生涯における悲哀に満ちた紆余曲折にあり、その孤独が他者の容喙を許さなかったほどの隔絶されたものであったがゆえの孤独さだったのである。理解されても共感できても、誰しも他者の代わりに悩むことは出来ないがゆえに、孤独だったのである。

 西田の哲学的な文体の特色は主体の希薄、あるいは評価の相対軸における主体性濃度の低さである。よく知られる四校時代の確執や青春の疾風怒濤期の挫折感、たび重なる家庭の不幸に遭遇うされる度毎に、結局ギリギリのところで土俵に俵一枚踏みとどまるとはいえ、全面的に命運が改変される訳でもない、またぞろ類似のパターンが、それに輪をかけたような形で波状攻撃を仕掛けてくる、そうした精神病者の悪夢のような面が確かに西田にはある。この孤独さと運命に歯向かう非力さが受容としての、つまりパッションとしての西田の哲学を生んだのだろう。成すすべもなく打ち砕かれ悲哀を噛みしめるよりほかにない自らの境遇を思い定め思い諦めたとき、悲しみの悲哀の能力こそ、実はポジティヴの能力などよりも、より高度な感受性、あるいは創造性を秘めたものであることの直感を、居直るようにしてある日あるとき西田は身に付けたのではなかったのだろうか。運命を呪い、誰を恨む訳でもない、絶対的に非力な受動性、それをパッションとして自らを位置付けたときに、喜怒哀楽以前の不動な状態を主客未然の純粋経験として哲学的な文脈に読み込んだのではなかったか。

 西田哲学の非主体性の哲学としての側面は、西田の個人的な生涯面における打ち続く不幸さだけでなく、近代化日本百年の総計として自己崩壊に追い込まれて行く国際政治面における無力感と、知識人を始めととする一般庶民も含めた国民的な時代閉塞性が生んだ文体であるように思われる。
 西田の文体の難解さは、小林秀雄の云うように一般の読者からの孤立していたが故にではなく、戦前の時代閉塞の状況が生んだ説明しようがない不全感を表したものと考えるべきだろう。

 西田哲学を特色づける第二の特色は無の思想である。簡単に言えば、主客未然の純粋経験から、返って個物は「有」として現成してくる訳であるから、純粋経験とは「無」なのである。あるいは個物や事象がそこに於いて現成してくる「無」としての「場所」なのである。かかる「無」の「場」がら、主観と客観、自然と精神の二元論なども誕生してくる、つまり知や人間の起源を西田は論じているわけであるから、60年代構造主義フーコーなどの人間の死宣言などを先取りしていた、とも云えるのである。

 西田の論理発展史が、受動的受苦から出発したことは良く解る。受苦はアリストテレスの判断述定に伴う述語面の包摂作用に発展し、やがて絶対的無限定としての絶対無、に蓬着する。この「無」が所謂西洋的な「無」と違うのは、あらゆる価値源泉の「場」として捉えられているからである。西田は単に西洋の存在の思想に東洋的な禅の絶対無の思想を対置させたのではなく、あらゆる価値源泉の「場」としての「無の思想」を提起していることを見逃すべきではない。西田の「無」は生産的な場なのである。

 それゆえ無の生産面に着目すれば、無の思想が行為的直観として生まれ変わるのは実に自然なことなのである。人間が普遍的に持つ知覚や感情は知情意の総合的な作用であり、例えばプラトンに見られるよな西洋哲学の伝統、見ることすなわち観照的な態度を理想化しそこから認識論と存在論を帰結し降るようなものではなかった。西田の功績は、認識が既に行為的なのである。あるいは行為とは高次化されたん認識の事なのである。認識が無と言う場所に自らを反映させ、内なるものを外なるものへと反転させたとき、必然的にそれが表現となり制作行為となるのである。この全過程を西田は行為的直観と呼んだのだろうと思う。

 最後に、これは本書の書評の内容を超えることではあるが、西田哲学の問題点について語っておきたい。
 それは西田が認識論の根底からする批判の上に、純粋経験と云うことからスタートしたのは理解できるが、依然、実践や行為と云う概念を認識の自ずからなる発展形態としてとらえ、認識論の尾びれを払拭できていなかったのではないかと思われる節があるからだ。自覚などと云う言い方で、行為や実践行為を認識の高次化された内容で理解しているらしい痕跡もまたそう思わせるものがある。行為的直観などの造語は将に複雑な上記の経緯を彷彿とさせる。
 純粋経験を云うのは良い。主客未然の存在と感性の間に距離が無い状態を、最も根本的な意味での実在の在り方であるとする理解の仕方もそれでよい。しかし言葉が事物を歪曲する、あるいはそこまで言わないにしても言葉は事物を変容させると云う時、この言語観は余りに狭すぎはしないだろうか。いったい我々人間は言葉とともに生まれたて来た以上、言語によって変形する以前の未生状態、純粋経験などは存在するのか、存在するとしても概念的な抽象にすぎないのではないのか。

 むしろ言語以前の主客未分化の状態を想像すること自体もまた、有意味的な言語活動なのである。言語を超えて表象することは出来ない、単なる抽象的な哲学的な概念として以外では。つまり言語論的には、純粋経験とは哲学的な概念以上のものではないのである。知の具体性を標榜した西田の意図に反しているのである。
 
 西田が言うように、言葉は物象化現象として、既に常に物事を変容させるものである。しかし言葉は物象化としてしか自らを外化出来ないし、この世的な実在性を獲得できないのである。物象化現象とは実在が不可避的に纏う変形や変質なのではなく、唯一この世的なあり方に到達するための、実に存在が存在に要請する要請なのである。

 とはいえ、戦前の西田が小林秀雄などよりも優れていたのは、かかる行為的直観と云う形で、自らの個人的意思とは違った形で、哲学的な概念の自体的な推進力を利用して時局に関わっていった点であろう。それが間違った行為であり、徒労に終わったかどうかはまた別の問題なのである。小林秀雄などが果敢に状況に関われなかったのは、小林個人の文学的趣味や政治的好みと云う以前の、論理自身が自己展開する契機を欠いていただけの事なのである。何故この点を人はハッキリ言わないのだろうか。少なくとも西田がもう少し長生きして、戦後の思潮が西田幾多郎の水準からスタートできていれば、小林が一時期戦後思潮の寵児となることはなかったのである。

 西田の欠点は言語活動を否定性の面においてのみ捉える狭い言語観にあり、観念なりイデアが実在化する過程を評価出来ない点にあるのではなかろうか。言語と云うから誤解を招きやすい。意味文節作用と言い換えるべきなのである。発話言語に限らず、書記言語、口承言語に関わらずあらゆる言語活動に先立つと考えられる、単なる思惟性、無言・無形の凡表現形式すら広義の諸言語活動と考えられるのである。諸言語活動と云うよりも、広い意味での意味文節作業と云うほうが誤解を招きにくい。西田の純粋経験と云うことで言いたかった主客未分の、未だ実在や狭義の言語活動や論理が誕生する以前の場に於いて働いているのは、既に常に無形無言の、意味以前の意味文節作業なのである。西田なら、かかる根源的意味文節の前に根源的無がある、意味論的な終始の全体を理解したうえで絶対無を構想しているのだと云うのかも知れないが、存在と無がどちらが根源的か、これは決着のつかない問題であるのでこのへんで打ち切ることにする。

 とはいえ、我が語るのではなく「もの」が語る、と西田が言う場合、存在が語り、語りの根源性がやがて現象的世界の中に実在を、森羅万象を現象し、存在あらしめると云う、存在の論理もまた相応しいのである、無の論理を標榜する西田哲学においても、そう異質な接続、異質な帰結とは思えない。
 むしろかく考えることに於いて、根源的無から現象的実在に至る存在の全幅、全工程を理解することが可能になる。絶対無の立場に立脚する西田に於いては無の自己投影としての、一種の投企的な行為によって開示する、能動的主観、すなわち芸術の制作行為にモデル化した行為的直観の考え方によって乗り越えようとするが、古典古代ギリシアにおけるポイエシス、すなわち芸術家の創造性に範を仰ぐ制作行為と、近代社会の出来上がったものとしての商品経済社会、つまり物象化した社会が齎す反作用としての異質さ、無機質的なものの威力とは違っている。日本の将来を憂えるがゆえに軍部への協力要請をも断りきれずにずるずると参画体制に追い込まれ、こと志と異なり自らの抱く理想と乖離していく過程は、哲学者の弧高さの問題であるよりは、西田哲学が当初より物象化世界の意味と云うものを正確に捉えきっていないからである。主客の対立を超え、もの自身が思考し語る実在の論理を展開しえたにしても、物自体の論理が特殊、資本主義形態の中で取り得る恐るべき姿を、物象化された世界が人間世界に及ぼす恐るべき反作用がもつ、真に非人間的な無機質思想の威力について理解が届かないのである。あと数カ月生きていれば、広島と長崎の惨状を目にしたはずである。これが物象化的世界のある意味での必然化された20世紀の最終的帰結なのである。あるいはアウシュヴィッツの後で何を西田が語りえたか。国破れて山河ありと云う抒情的感慨以上の過酷な現実を見たとき、なおも絶対矛盾的自己同一と云えたかどうか。確かに、かかる状況に於いては小林秀雄風の負け犬的べらんめえ、の方が相応しかったのである。
 そのためには、西田は、例えばマックス・ウェーバーを読むべきであった、と思う。20世紀に至って人間社会が生み出したものは、確かに西田や京都学派の面々が考えるような、善良な身内社会を前提とする性善説、共同体の論理を超えるようなものがあったのである。