アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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木田 元 『最終講義』 アリアドネ・アーカイブスより

木田 元 『最終講義』
2012-05-17 23:12:45
テーマ:文学と思想

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 難解なハイデガーの哲学を、解りやすく解説するだけでなく、戦後幅広くヨーロッパにおける先駆的な思想状況を紹介したことでも有名である。この本には、最終講義「ハイデガーを読む」と最終講演「哲学と文学――エルンスト・マッハをめぐって」の二つからなっている。
 前者は、既に木田によって論じられたハイデガーの『存在と時間』論であり、未完に終わったこの大著を巡って、発評された部分は本来の主旨からすれば、二義的な、予備的な序論に当たるものであり、書かれざる部分に本質があったと云う、ミステリアスな『存在と時間』の解明である。
 『哲学と文学』は、副題にもあるように、マッハの業績をたたえた講演である。従来、日本ではあまり紹介されてこなかったこの19世紀に偉大な科学者にして哲学者の業績がかなり大きなものであると云う事が、木田のこの講演を読んで分かった。
 マッハの業績がこれだけ哲学の思潮から埋没していたと云う事は、その先見性や与件性、関心の範囲の広範さをも含めて、何とも不思議である。結局マッハは有力な弟子たちを持たなかったせいなのだろうか。それとも純粋に知的な関心で完結したマニア、名誉心や欲心と無縁な人柄であったのだろうか。しかしながら読み終えて、マッハの偉大さを認識するにつけて、後世の、少なくともマッハに言及した人たちによる紹介が、公平性を欠くものであったと思わずにはおれない。
 
 最終講義と云うものは、主として自分の業績と経歴を語るものだが、木田の場合は、最終講義に加えて最終講演と云うものが組まれていて、そこで自分以外の対象、学会と云う世界を一区切りするに当たって、日が当らないこれからの課題として、前世紀の偉大なる思想家エルンスト・マッハを取り上げた事の意味は、今後に残された課題の提起として大変に意義深い。