アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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☆井上靖の詩情 『しろばんば 前篇』を読む アリアドネ・アーカイブスより

井上靖の詩情 『しろばんば 前篇』を読む
2012-05-19 13:11:55
テーマ:文学と思想

 


・ 『しろばんば』は作家・井上靖の自伝的な小説であると云う。本書の前篇は、家族の転勤に伴って移動した井上氏の幼年期の中から、湯ヶ島に暮らした数年間を描いている。その数年間とは、ほぼ小学校の在学期間に該当する。
 一見してのこの小説には、冒頭の夕闇に舞う「しろばんば」の、青みがかった乱舞する風景から、末尾の峠の尾根を飾る白雲まで、美しい自然との交感作用、美しい南伊豆の自然描写にある。自然との交感は時に度を越えて、神隠しまがいの出来事を纏綿させて綴るのだが、その美しさは詩人としての感性の豊かさのためばかりとは思われない。
 そうしたことを今回は書いてみよと思うのだが、さしあたり、選んだテクストは児童文学書から選び出してきた。児童文学書も高学年になると、例えば見開いてみると、下記のような体裁になる。

 

 
 ・ 随分昔の本だから、児童文学書と云っても、今日のものに比べれば時にかなり難しい漢字も使用されている。それに一々ルビが振られ、行間に朱で簡単な辞書的な説明がつく。上段には理解を助けるために、一般の挿画とは別に、色づきの説明図がある。それらは大抵、いまは言葉では説明しようが無い、昔の風俗や民具類であることが多い。
 『しろばんば』のような本は、きちんとした全集よりも、こうした体裁でこそ読んでいて、更にさらに、相応しいと云う気がする。

 『しろばんば』は一読して、間断することなき詩情の極まりである。この詩情が何処からくるのか、何ゆえであるのかが私には判然とは解らない。勿論、南伊豆の豊かな詩情あふれる自然描写の巧みさにあると一応は云えよう。いまはひたすら回顧の対象となった幼年時代へのノスタルジアのしからしみるところでもあろう。二度と回帰することのない、子供時代と云う至福の時間を描いた、と云うことでもあろう。しかし、それだけではあるまい。

 読者は井上靖の文体と叙述の力に騙されてはならない。自然と自己が、村の年中行事と慣習からなる風俗と、井上と云う一個の個人の間にありえた、隔たりのない神話的時間、人生の黄金期を描いた、回顧的対象としての絵巻物的物語とのみ読んではならない。翻って考えてみれば、これは大人たちの世界と云う、子供には理解できない、その世界の前ではひたすら受身の仕方でしかあり得ない子供の、徹底的に受動に徹するよりほかになかった、大人たちの個人的な事情に振り廻された、物言わぬ子供の物語なのである。

 大正期の、文明の恩恵が直截的には及んでいるとも思えない僻村の、旧家の三代にわたるややこしい家庭の事情、その詳細は本を読んでもらうとして、お爺さんの代のお妾さんと旧家の蔵の中で二人暮らす少年の姿は、一言で言って異常である。この異常さを、異常なるものとして描かないことに於いて、この小説の詩情は成立する。井上靖の叙述の卓越において生じている。そうした異常な環境を異常とは受け止めることのできない子供に固有のの感受性、という視点に於いて読むと、冒頭のしろばんばの舞う夕闇せまる風景から、沼津や豊橋と云った異郷への小旅行、村の日常の細々に至るまで、実は小説的詩情のよってくる由縁が、異常な物語を、異常とは感受することなく綴ると云う井上の作家的姿勢に於いて生じていることが理解できるのである。異常なる出来事を異常ならずるものとして語り口が、詩情と云うものを生む。この場合詩情とは非情と云うことでもある。非情を非情と観ぜない少年のあり方が、詩情を生む。
 
 余談だが、湯ヶ島を描いたものに『伊豆の踊子』がある。異常と云うよりも稀有の出来事を稀有なるままに神話的に語ったことに於いて名作『伊豆の踊子』の由縁があった。
 『伊豆の踊子』には、さり気なく「・・・旅情が身についてきた・・」と云う作者の述懐があるが、それは「旅情」と云う、非日常的な空間に於いて、つまり日常的事象の断念においてこの物語が生じたことを言外に語っている。
 井上の詩情は「旅情」ではない。それは外部から観察する「非情の眼」(川端文学の典型的形容)ではない。非情なことを非情なことと感じないことこそ子供の眼なのである。子供に内在した固有の見方なのである。川端の詩情は所詮旅情であるのに留まるのに対して、旅情と云う外部の眼に尽きない意味があるのは、井上の、実存主義的な用語を用いれば子供に内在した世界内存在の構造に於いて描き得た点にある。
 今日両書を読み比べて受ける印象の差異は明らかであろう。

 話を元に戻す。――

 この小説には、行くたびか死と別れの場面が描かれる。幼くして井上が身に付けた死と云うものへの親近性は、個人的な資質や感受性の特異さによるものだけではないだろう。子供は環境を選ぶことが出来ない。子供は、異常な事態の只中に置かれても、それを何故?と問う事は許されない。そうした子供に固有でもあれば絶対的に受動的なあり方が、つまりは死の形式に似ているのである。井上の幼年期が死に取り囲まれていたと云うのではない。かかる幼年期固有の、徹底的に受動的なあり方が、死と云うものに似ているのである。死と云うものが人間存在の前に立ち現れるあり方に酷似しているのである。死とは、井上にとって自分の周囲に散見される外部的環境ではなく、幼年期の自己の生存のあり方、ぴったりと身に就いたあり方、すなわち実存の形式だったのである。

 なにゆえ『しろばんば』であるのか。しろばんばとは、夕暮れになると空中に浮遊し乱舞する微小昆虫のことであるらしい。それが夕暮れの帳が深くなると、白い綿毛状の羽虫の乱舞と思われていたものが、微かに青みを帯びて来るのだと云う。つまり遊び仲間がみな帰路を急いで、広場に取り残された一日の名残りが最後の少年だけに見せる特異な風景なのである。つまり、通常の家庭であったならばありえたであろう、夕餉を知らせる家族のものの催促の呼び声のない、あるいは届かない特異な少年の物語であることが、冒頭の数行に於いて既にしめされているのである。

 この一日の名残りが見せたパーソナルな風景は、『しろばんば』と云う所説のエピソードの中に潜み幾重にも潜って、最後の、峠をわたる白雲の場面に於いて象徴的に生かされることになる。このことは改めて論じよう。

 『しろばんば』の最終場面では、主人公がもはや、蔵の小窓から覗き見た世間、四角に枠取りされた風景、見方によっては末広がりに菱形に展開する風景、と云う姿勢をとらない。ここでは子供たちのグループを率いて、先頭に立って峠を目指すと云う象徴的な場面に切り替わっていることを読者は知るだろう。将に青雲と云う言葉が相応しい、峠の青空に聳える雲とは、生きるべき時が来たこと、つまり幼年時代と死の時代への別れ、つまりは歌の訳れと云う普遍的形式に己の実存を語った物語だったのである。

 それにしても、この小説の中で主人公に大きな感化を及ぼす、母の妹「さき子姉さん」は、母なるものを越えた女性的なるものの根源として度々登場するのだが、そんな主人公の幼年時代を見守ってくれた女神の死によってこの小説も実は幕を閉じる。
 この小説に優れた場面は幾つかあるが、白眉とも云える場面は、病室になっている母屋の二階を主人公が訪ねて行く場面だろう。肺病であるらしいので近づくことは強く戒められている。にもかかわらず、その禁忌を侵して少年は一目会いに行く。叔母は少年に会うことをがんじえずに、襖越しに会話を交あわす。そして最後に少し開けた襖の隙間から瞬間、白い腕(かいな)を出して無言のものを云う。その場面である――

 次の瞬間はっと細めに唐紙が開いたかと思うと、さき子の白い腕が一本飛び出してきて、洪作の頭をぽんと軽く叩くと、直ぐまた引っ込んで、唐紙は再び閉められてしまった。洪作は四枚の唐紙のうちの、どれかを開けようと思ったが、内側でどのような抑え方をしているのか、こんどはどこもかたとも動かなかった。(p332)

 一本の白い腕が示す所作が、言葉ほどにも、あるいは言葉以上にものを云う場面である。
 この場面の比類なき美しさは、単に死別の哀切にあるのではない。主人公を励まし続けた女神は、ここでは死を自らの身に引き受けることに於いて、少年の背中を「ぽんと」背中を押して、この世へと押し出すのである。生と死の鮮やかに交叉し、逆転が描かれる神話的とも云える場面である。女神は死の女神となることによって、主人公を生の世界へとそっと押しやるのである。無言の所作は、少年から死の呪縛を解除する。
 おそらくこの場面に於いて、『しろばんば』は単なる自伝的小説であることはできない。おそらくこの小説は事実そのままではなく、芸術的彫拓が施されていると考えて良い。平凡な自伝と云う感興からはこのような超越は生じる筈はないのである。わたしは『しろばんば』の幾つかの場面は、造られていると思う。それはこの小説の場合、決して不名誉なことではない。

 子どもと云う存在は、自我もなく経験も未熟でその内容も限られたものであるがゆえに、理解と云うものには限りがある。しかし大人でも理解できない、死や死が持つ受容性と云うものを理解するのは、理知や想像力のゆえにではなく、自らの生存のあり方ゆえにである。死は対象的な知として理解されるのではなく、自らの生存の形式が死と形式的同一性の典型を見せるかぎりにおいて経験される。幼年時代とは何とも不思議な時代で、死と最も隔絶された環境に於いてありながら、何ゆえにか死が親和的に理解されうるかの秘密がここにある。

 この小説は死に類似した実存の形式としての幼年時代の終わりと、人生と云う新たな時代の船出を描いた、死と実存の物語なのである。少年時代に対する自伝的な回顧や、また単なる美学的な象徴的隠喩を読みとるだけに終わらせてはならない。語りの姿勢は平凡ながら、尋常ならざることを尋常なこととして語ると云う語りの形式ゆえに、この小説を卓越したものとしているのである。

 もうひと場面引いておこう。これは「さき子姉さん」の死と云う事実を受け入れる場面である。

「洪ちゃ、姉ちゃんが好き」
洪作はまた同じことを言った。そして、それでも言い足りない気持ちがして、
「洪ちゃ、さき子姉ちゃんが一番好き」
と言った。
「そりゃそうずら。上の家では他に洪ちゃの好きになりそうな気の利いたのはおらんがの」
おぬい婆さんは言った。
「洪ちゃ、姉ちゃんが好き」
「判っとる、判っとる」
「洪ちゃ、おばあちゃんよりも好きや」
「だれが」
「姉ちゃ」
「ばかたれ」
おぬい婆さんは真剣な顔で口を尖らせた。

 こう云う場面を読むと、愛はつくづく宗教的な信条告白に似ているなと思う。つまり子供のたどたどしい言語は、生みの親よりも育ての親よりも赤の他人――実際にはさき子は母の妹、伯母で赤の他人ではない。幼年期の井上を囲む環境の特殊性がそう思わせるものがある、とだけ述べておこう――の方が好きだ、と言っているのである。それは何ゆえに於いてであるか。幸薄き少年にとって、さき姉さんのみが、子供を対象として扱わなかったからである。子供を対象として扱わなかったからこそ、死と云う「事実」ではなく、死と云うものが持つ実存の形式を受け入れ、自らが生から死の女神として転生することに於いて死を自らのものとして引き受け、少年を生の世界へとそっと押出すことが出来たのである。生から死の女神への転生は、死者の委託のようなものとしてあるいは遺言として其処に、眼前にあった。峠を渡る青雲とは雲の墓標のごときものでもあった。

 洪作は行く手の天城の稜線にかかる白い夏雲を見ながら歩いた。
・・・(中略)・・・
「頑張れ!」
と、そんなことを(洪作は)背後に向かって怒鳴った。初めて天城の斜面に初秋の風が渡る日であった。雑木の葉裏が時折銀色に輝いて、それによって、風の通る道が判った。(P396)

 頑張れ!とは、まるで自らを叱咤激励する、若き日の井上の声のようにも感じられるのであった。