アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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井上靖 『わが母の記』とその映像作品化 アリアドネ・アーカイブスより

井上靖 『わが母の記』とその映像作品化
2012-05-22 21:21:26
テーマ:文学と思想

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 最近とみに感じることであるが、文芸作品と呼ばれるものの映画化という作業についてである。映画化とは、内容を縮刷したダイジェスト版ではない。また、単なる映像化と云うこととも違う。かといって、原作を出汁にした灰汁の強い「映像作家」の作品と云う訳でもない。ここで云えることは、文芸作品を映像化しようとした場合の映画監督や脚本家と呼ばれた人たちの感性の高さである。随分昔の話だが、市川昆の『細雪』は、原作とは異なった完璧な映像作品となっていた。それは市川が谷崎を自己流に変容させたと云う意味ではなく、谷崎らしさを映画の限られた時間枠の中でかく考えたならより谷崎的になるのではないか、と云う原作への敬意と別物ではなかったのである。そして今回もまた、井上靖原作の同書を映画化するに当たって、原作以上に井上靖的な作品に纏めあげられていたのである。この点は、原作を読むに及んで一層はっきりするだろう。

 原作は、エッセーとも小説とも云えない自伝風の書きものだが、井上靖の自伝的事象を丹念に追ったものと恐らくは想像される。つまり事実離れはないとみて良い。と云うのも、歴史小説を書くようになってからの井上は事実尊重の立場に回帰していったからである。映画の中で最大の焦点になる、認知症が進んだ母親に見られる夜中の彷徨についても、原作ではそれが母親を探す子供の姿であるのか、反対に子供を探す母親の姿であるのかについて、結論を出してはいない。前者であれば哀憐さが極まった物語になるであろうし、後者であればいっそ凄絶ささへ感じさせる夢幻能の趣すら誘わせるのだが、さて、井上たち四人の兄弟(男二人女二人)たちは、せめて可憐であって欲しいと、親を思う子の立場としては後者であることは忍びない、せめて前者であって欲しいと願うのである。血のつながりのない、井上の妹婿のみが後者かもしれないと、ひとり想像する。

 映画では、後半の場面で認知症の母親と主人公洪作が書斎で対面する場面で、幼年期の頃洪作が書いたとされる「世界の何処にもないけれど、母親と二人して渡る小さな海峡」と云う詩の朗読と云うおまけが付く。つまり認知症の母親が一部屋一部屋探していたのは、赤ん坊であった洪作自身であったとされて、母親との距離がぐんと近まって、最後は沼津の母親をおぶって波打ち際を歩く一篇の絵画のような場面をサービスしている。つまり数十年に渡る母親の子供に対する秘められた思いを確認することで、捨てられたと思っていた子供は初めて母親を許す、という話に纏めあげられている。

 真実はそうではなかろう。井上の母親と言う人は幼少の頃養女として貰われて来た人である。養父と呼ばれた人から溺愛はされたが、それは肉親間の遠慮のない愛とは違っているかもしれない。幼時経験として、普通に考えた場合の愛が生涯の経験として育っていない可能性もある。当然親は子供を可愛がるであろうと云う「普遍的な経験」?が育っていないか、育っていても履歴は違っていたものになっていたかもしれない。もちろん、個々の個人的な経験を越えて、人類ポモサピエンスとしての親は子供を思い子供は親を思うと云う原型的愛と云うものが果たして存在するかどうか、と云う点なのであるが、これは井上文学の範囲を越える問題である。映画の主人子である洪作はそう信じることによって救われたと信じるのであるが・・・。
 子を思う親の愛とは、個的な経験と履歴を越えた普遍性を持ったものであるのかどうか、今日から見ると井上文学はそう言う難しい問題を間接的に提起している、とも云える。

 原作の方は、そこまでは書いていない。そうあれかしと作家井上靖は望んだのかも知れないが、作家魂と史料批判の姿勢がそれを許さなかった。あくまで考えられ得る、あり得て欲しい可能性の一つとして提案されているにすぎない。歴史小説作家としての井上の成熟は、資料や事実の尊重の精神がかかるロマンティシズムを許容しえなかったのである。

 認知症の患者が直面する現実は、映画のように安易なものではなかったであろう。感情移入を排した精神病理の無機性を、原作では「状況感覚」と云う乾いた新造語をもって井上は表現している。「状況感覚」とは、端的に言えば言語に絶する、と云う意味である。原作の中で何度も語られているように、壊れた精神、壊れた人格、消去されて行く無機的な時間の喪失と云う事態は、感傷の涙に浸るようなものではないことを、少なくとも事実尊重の作家としての井上は理解していた。

 映画監督の原田真人およびその息子の遊人が映画解釈に於いて優れているのは、作家としての井上靖と人間その人としての井上を描き分けていたことである。作家としての井上靖は、とうの昔に母親を許していた。それは職業作家として母を描くことに於いて十分に社会的・経済的恩恵を母から受け取っていたからである。映画ではその辺の作家井上のプラグマティックな嫌らしさを宮崎あおい演じる末娘の告発、と云う形で実に丁寧に描き出しでいる。井上文学を余程読み込まないとかかる描写は不可能だろう。功なり名を遂げた「大作家」が示すステイタスの嫌らしさについても、冷酷ではないけれども両義性を帯びたものとして原田監督父子は、昭和の風俗とともに温かく描いている。その種の場面の白眉としては南伊豆のリゾートホテルで演じられた楽団付きの誕生パーティーの場面であろう。贅を尽くすと云うか、戦後安定期の流行作家とはどんなものであったかを如何なく表現していて、そのやや皮肉なパロディとともに一見の資料価値すらあると云える。
 しかし、作家としての許しても人の子としての井上は釈然としていないのである。心の底では、母親を許してはいないのである。俳優役所宏司は、その辺の真理のアンビバレンスを実に上手く演じていた。

 それでは原作とは全く異なった映像作品を造ってしまった映画『わが母の記』がつまらないかと云うと、そうではない。井上靖は既に亡くなった人なのである。死者に弔辞を読むとは、必ずしも事実尊重の姿勢ではあり得ないであろう。映画化とは原作のいち解釈であり、その解釈がここでは、文学者井上靖の偉大な業績への敬意に基づいた弔辞と云う形式を選択しているだけなのである。このような場に於いて誰が事実の客観主義化と云うことを望むであろうか。古来より、弔辞とは偉大なる文学の形式であった。弔辞とは他者のみが餞として造り贈れる別れの文学形式なのであった。

 古(いにしえ)の飛鳥人はそれを挽歌と呼んだ。