アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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井上靖 『姨捨』と『夏草冬濤』アリアドネ・アーカイブスより

井上靖 『姨捨』と『夏草冬濤』
2012-05-25 15:57:32
テーマ:文学と思想

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映画『わが母の記』が「傑作」であるのは、――これは嫌味でも皮肉でもなく言うことだが、作家の自画像と思しき主人公を、日本のお父さんとして描いたていた点である。母性愛とか母恋と云うものを、根源的に人間に備わっているものとして、疑うことべからざるものとして描いている点にあるが、原作の方は何れとも断定していない。むしろ、初期の『姨捨』の延長線にあるものとして描いている。

 『姨捨』は、随筆とも心境小説とも云える、一族代々の、氏族の荒野、とでもよいものを描いている。少年期以来の紆余曲折に満ちた井上が一応功なり名を遂げて、『しろばんば』などに描かれた出来ごとはおくびにも出さずに、信州に伝わる姨捨の故事について語る。古来姨捨山が月の名所であることも手伝って、「老人はそこに捨てられても、案外悦んでいたかもしれませんよ」などと母は言う。
 姨捨の想いでは、幼少期の頃の絵本でこの説話を初めて読んだ頃の悲しい思い出に主人公を誘う。身内の中で大事な母親を七十歳になったら山に捨てなければならないと云う話と、現在の心境が繋がるようで繋がらない、何とももどかしい思いが、この小説の底にある。
 話は母から一旦はなれ、一族や父親や弟、妹の、少し尋常とは異なった人生の処し方にも示唆を促す。父親は定年後の栄誉を捨てて郷里に帰り自給自足の清貧の中に生涯を終える。弟は順調であった記者生活をある日付き合いが億劫になったとして地味な仕事と取り代える。末の次女は二人の子までなした生活と決別していまは九州の産炭地の近くにある米軍キャンプの美容室に流れ藻のような生活を送る。理屈を越えた寂寥への傾斜と云うものが延々と世代を貫いて井上家にはあるのを、私たちは井上のそのほかの小説を読んで知っている。『姨捨』は必ずしも自伝的ではないが、この作品に描かれないことも含めて井上家の家系的な寂寥を、「姨捨」に読みこむと云う点に於いて成立している。ほの白くて照らされた月下の道や雪原の風景は、そのまま二十年後の『わが母の記』に繋がっている。

 『わが母の記』は痴呆症になった母の現実を、記憶の喪失として、人格の崩壊として描いている。ひとの一生がどの程度のものでありえたかの愛別離苦が単なる香典返しとなる無機質の時間について語られる。母は子を思い子もまた母を思うと云う神話ですら洗い流す純粋性の果てに見出すものは、二十年前に井上が『姨捨』で予感した荒涼とした月下に照らされた風景なのである。骨と白い灰だけになった母親を焼場で拾いながら主人公が思う事は、亡き母親への感傷であるよりは、「長く烈しい闘いが終わった」後の、母親への同志的な愛情、人生的同志的への敬意なのであった。
 原作では井上靖は、日本の普通のお父さんではないのである。作家であることを止められない職業人としての井上靖なのである。作家としての井上があえて描けなかったことを、原田監督は井上文学へのオマージュとしてあえて映画に於いて描いていたように思う。その証拠に原田監督は、作家井上靖と人としての井上そのもののアンビバレンスを描き分け、その嫌らしさも無邪気さも尊大さも含めてその全体像を温かく描いていたようである。

 『夏草冬濤』は井上少年の沼津時代を描いている。読みどころは幾つかあるが、井上は様々な少年たちとその家族背景と出会うことによって、世の中の広さと云うものに目覚めて行く。他家の家族観察は井上に於いてはしばしば羨望や負け惜しみの形を取ったが、この作品ではそれが大きく背景の中に退いていく。少年は人生のキラキラしたものに目覚めるところでこの長大な自伝小説の中間報告とでも形容すべきものは終わっている。
 井上文学の宿命とも云うべき心の屈折から解放した「きらきらするもの」こそ、あえて書かれてはいないが文学と云うものなのであった。文学が如何なるものをも差別しない闊達な自由であることを井上少年は青年となって学んでいくことであろう。

 ”洪作は空を仰いだ。なるほど、綿でもちぎったような白い雲が浮かんでいる。・・・(中略)・・・洪作は構わず大きく見開いた眼を、白い雲の浮かんでいる青い空に向け続けていた。海と対かいあってもう一枚の海がある。波のぶつかり合っている海と、白い雲の浮かんでいる海に挟まれて、俺はいま横たわっている。そんな感慨が洪作を襲っていた。
 波が波止場につくと、少年たちは船から細い木製の桟橋の上に次々と飛び移った。洪作は一番あとから波に包まれた土肥と云う未知の部落へ入っていった。何かきらきらしたものを採取にでも来た探検隊の一員のような、そんな気持ちであり、そんな足取りでもあった。(下巻p371)


 『夏草冬涛』は、沼津中学における三年間を描いている。井上は一年次を初めて父母の元に過ごし、台湾への転勤によってまたもや一家団欒の生活は中断され、井上のみ三島の伯母の家から沼津の中学校に通うという変則的な生活にまた逆戻りすることになる。
 ここでは二様の友情の様が描き分けられている。同じく三島から徒歩で沼津に通う中学生低学年同士の、受験生らしい生真面目な友情。そして後半は、世の中に文学と云うものがありそれに関わる自由な生き方への開眼である。
 友情にも色々あろうけれども、ここでは文学と云う事が重要なファクターとなっている。単に他と異なった個を提起するだけでなく、普遍性と云う、もっと世の中そのものをも相手にし得るほどの広さを本来文学とか芸術と云うものは持っている。この小説ではまだその文学が出てこない。文学の一歩手前のところで、それを「きらきらしたもの」と表現したところにこの小説の初々しさがある。文学こそ、井上少年にとって母なるものなのであった。『しろばんば』の青白いほの暗く照らされた細き道こそ文学へと繋がっていく道なのであった。