アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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有島武郎 『一ふさのぶどう』 アリアドネ・アーカイブスより

有島武郎 『一ふさのぶどう』
2012-05-29 08:32:49
テーマ:文学と思想

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・ 『一ふさのぶどう』は有島武郎の童話である。ここから二つの事が云えるように思う。一つは一房の葡萄を分けて与える寓意である。粉をふいた新鮮な葡萄が二つに切られて白い女の先生の手の平に支えられた美しさは無垢なものの象徴であろう。エゴイズムや道徳的な反省が語られるよりも先生の悲しみが白い手の平の表現を通じて、二度繰り返されている。
 最初の方は、こうである。

 ”先生は少しの間なんとも言わずに、ぼくのほうも向かずに、自分の手のつめ(爪)をみつめていましたが、・・・・”(p15)

 敬愛する女の先生が受けた無限の悲しみを甘受すると云うことに於いて、悲しみが白い掌や指先の爪と云う美的な表象と統一された形で幼き少年の目に生じた経緯を語っている。
 もう一つの、最後の、題名の由来となったクライマックスも引いておきましょう。

 ” そういって、先生はまっ白なリンネルの着物につつまれたからだを窓からのびださせて、ぶどうのひとふさをもぎ取って、まっ白い左の手の上に粉のふいたむらさき色のふさをのせて、細長い銀色のはさみでまんなかからぷっつりと二つに切って、ジムとぼくとにくださいました。まっ白いてのひらにむらさき色のぶどうのつぶが重なってのっていた美しさを、ぼくはいまでもはっきりと思いだすことができます”(p28)

 この悲しみの根源である一房の葡萄とは何だろうか。なぜそれが林檎や柿であってはならないのだろうか。横浜の商社やホテルが立ち並ぶ異国的な通りとその一角にあるインターナショナルスクール。クレヨンが欲しくて盗んでしまう相手の背の高い少年はジムと云う外国の少年で、敬愛する女の先生は「男のように首のところでぷっつりと切った髪の毛を右の手でなであげながら・・・」(本文)少年たちと向き合う。少年を畏怖させたものは何だろうか。あるいは畏怖の根源にある罪深い魅惑とは何なのだろうか。作者である有島は語っていない。

 以上の心理的経緯は『おぼれかけた兄妹』においても繰り返される。波が荒れた海岸に遊びに行った兄妹とその友達。寄せては返す波の繰り返しに誘われるように気が付いたら足の立たない沖合へと流されて行く妹とそれを救い得ない兄の良心の呵責、結末は勇敢な青年の登場で解決するのだが、人間の意思を越えた運命の推進力、と云うものの魅惑に強く惹きこまれていく。それは『一ふさのぶどう』にも共通する、どこか罪の匂いがする畏怖感を交えた魅惑なのである。ここでは子供たちの絶対的な非力と対比させる形で自然力の威力と云う形で表現されているが、この経緯は実は『一ふさのぶどう』においても、罪に誘われる甘酸っぱい魅惑の経緯とよく似ているのではないのか。罪の匂いが一房の葡萄の甘酸っぱさとして表現されたことは理由があったのではないのか、そんなことを感じた。

 『一ふさのぶどう』も『おぼれかかった兄妹』も子供の利己心を童話制作の動意としている。しかし文章家有島武郎が結果的に描いたのは、少年の絶対的な非力さの前の圧倒的な力、人間の意思とは隔絶した自然の持つ圧倒的な力と、今一つは文明と云うものの恐るべき威圧力なのである。繰り返し少年の眼前に現れる欲しくてならないクレヨンの幻想は、絶対的に手の届かない憧憬性を越えて罪の魅惑ささへ感じさせる一種恐怖感と云っても良い畏怖性なのであった。

「私たちは成長するに従って、子供の心から次第に遠ざかって行く・・・」と有島は『子供の世界』と云うエッセイに書いているそうである。利己心の克服などと簡単に言っても、再び絶対的な非力さの前に置かれたとき同一の出来事が繰り返されないとは限らないのである。有島武郎の童話は、子供の絶対的な非力と云う観点を借りて文明との出会いを描いたもののように思われる。

 この童話集で納められている他の作品では『がいせん』(凱旋)と『親子』がとても良い。『がいせん』は帰郷を急ぐ老将軍と若い馬車使いの物語である。あるいは馬車使いにこき使われる「凱旋」と呼ばれる老馬の半日を描いたものである。停車場へ向かうデコボコの坂道を追い立てられる老馬の運命がそのまま有島の目には日本の民衆の姿と重なっているかのようである。「凱旋」と綽名されているほどであるからかっては戦場で手柄を立てたこともあったのであろう。しかし今は、列車の時間に間に合わせるために情け容赦なく若者の鞭を浴び全身に疲労の汗が滲み出ている。幸いに老将軍は帰省に間に合う列車に乗ることが出来るのだが、彼の本心は過酷な馬の運命を見ていることが出来なくて内心は列車に乗り遅れても良いと思っている。若い御者を批判するというよりも、その原因が自分自身の郷里にある孫に会うと云う自分自身の動機にあると云う点が彼のヒューマニズムを煮え切らないものにしている。本命を明かせば畏敬の前に全員が挙手をしてもおかしくないほどのある種の有名人であるにも関わらず列車に乗り込むまでは明らかにされない。つまり何ゆえか彼の名声と云う神通力を使うことを躊躇わせるアンビバレンスと云うものが彼にはあるのである。
 乗合馬車のシートに横たわりながら自分には尻を向けて一審に走る老馬を後ろから眺めながら感じるのは、戦火の砲弾飛び交う中での風景の一齣である。

 ”三百メートルの余にもわたって放列した戦陣の後方のくぼ地に、いくかたまりかにかたまって、かみなりのような砲声にもとんちゃくなく、つかれきって首をたれたまま、目を細めてむらがったいく十頭の輓馬(ばんば)のすがたがはっきりと目の前にうかび出たからだ”(p102-103)

 戦地の非情の中にある、一見長閑な風景、それがいま将軍の目には乗合馬車を挽く老馬の姿に重なると云うのである。彼が将軍と云う武人の誉れに輝いていたにもかかわらず、こうした場面で感受性が鋭く働くのは、親を亡くした孫たちに合うと云う彼の境遇の変化も関係しているであろう。彼が無常な御者を非難できないのも、それが近代化日本の中で彼が果たした役割の象徴であっあたからでもあろう。将軍の意をくんで代弁する村の書記にいちいち反論する御者の弁舌がそのままかっての彼の姿なのである。
 幕切れは、無事乗合馬車は帰省を急ぐ有名人の将軍を停車場まで送り届けることに成功した。書記は初めて鬱憤を晴らすかのように若い御者に将軍の正体を明かす。若い御者は予想通り驚嘆するが、それも長続きせず、折角馬のご褒美として戴いたご褒美の一円札を料理屋の酌婦の前でひらひらさせている間に、老馬に水をやることもまぐさを与えることも忘れてしまう、一方老馬は蠅や蚊のたかる馬小屋で目を悲しげに瞬かせながら空腹と疲労の中で眠りに落ちて行く、と云う何か救いのないお話しである。

 『親子』は北海道にある農場の午後から夜半に至る出来事である。晩年の有島の心境をそのまま描いたものだと云ってもいいだろう。親子、すなわち有島を彷彿とさせる「彼」とその父親、父親に使える農場の監督と開墾業者の四人の立場が過不足なく描かれている。
 社会思想家としての有島の心境の深まりは父親との違いが臨界点に達していることを自覚されざるを得ない。何時かはやってくると思っていた日が今日この日なのである。父親もまた悪徳地主、解らず屋の頑固親爺とだけは描かれてはいない。開墾業者は度重なる執拗な地主の猜疑と追及に堪えられず、自分にも商人道と云うものがあるのだと啖呵を切って席を立つ。
人格を傷つけることすらも商売の手段としては利用せざるを得ない不合理を息子は親に進言するが、根っからの商売人ではない没落士族のような親父に言わせれば、食うか食われるかの世界ではそんな悠長なことも云っておられないと言うのである。監督は、開墾御者に使えこれからは地主の仕事をすることになる経済的依存の二重性のゆえに終始曖昧であるほかはない。貧困にあえぐ小作人にしてからが、わざと彼と知って聴こえるように言うぼそぼその話声が余計に彼を不愉快にするのであった。
 伝記が記すところでは、この後有島は自分の農場を開放することになるのだろう。そしてその後かれは波多野秋子と理由のない自殺を遂げる。これだけ明瞭にものごとが見えているのに自殺と云う動意を留めることが出来なかったということはこの本を読んだだけでは解らない。