アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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☆有島武郎 『カインの末裔』と『小さき者へ』と『生まれ出づる悩み』と――旧約聖書的人間の生き方 アリアドネ・アーカイブスより

有島武郎 『カインの末裔』と『小さき者へ』と『生まれ出づる悩み』と――旧約聖書的人間の生き方
2012-05-30 15:16:59
テーマ:文学と思想

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・ かく疑問に誘われるままに有島の代表作と思しきものを三つほど読んでみたのだが、一作ごとに味わいも文体も異なりながら、実に多様な書き手であると云うのが第一に受けた印象であった。

 『カインの末裔』は、北海道の自然を背景に旧約的な物語が展開する。日本であると云うよりは、どこかロシアのインテリゲンツリアが書いたようなもののような気がする。日本人離れした人物の造形性は、有島の海外経験のしからしむるところだろうか。旧約かイングマール・ベルイマンのモノクロ映像を思わせるような、ぬかるんだ大地に食い込む轍の跡や、尽きることのない灰色の天地の中に消えていく人馬を典型とした風景は何事も語らず何事も与えず、却って全てを奪い尽くしてしまう。
 こうしたリアリズムとしては非日本的であるにも関わらず、人物造形は類似のものが辺りに見出せないほど重い。何かレンブラントの絵画を見ているような感じなのだ。
 読み終って、これは悪夢だったのかも知れないと思う。本作が描くところの主人公である仁右衛門は歴史や文化以前の血の匂いがする原始的始原性、血と暴力の神話性の名残りを感じさせる。
 有島が描こうとしたのは運命を甘受する生き方ではない。思想や倫理道徳と云うものを歯牙にもかけぬ自然人のあり方である。表現が卓越しているのは、例えば隣家の佐藤の妻と会う約束をしていたところに、笠井と云う関係のない人がんが現れ問答しているうちに経つ時間の苛立たしさが、その後であった二人の野良猫の痴態もどきの暴力的な加虐被虐の構造である。この場面が生々しさを感じさせないのは有島が暗示的に書いていることもあるが、神話的表現に達しているからである。

 有島の中では人生上の不幸が運命の歯車のように隔絶された表現として自覚されたことがあったのだろうか。『カインの末裔』の救いのなさは『生まれ出ずる悩み』の青年の苦闘の歴史でもある。旧約的人間とは運命の閉塞と囲繞感が、人知を超えた運命としてあるいは神話として感じられることではなかろうか。磁石が常に北を示すように、物事が決まって同一の形式同一の様相を帯びるのだ。『カインの末裔』の仁右衛門には自意識はなかったが、『生まれ出ずる悩み』の青年には、「カインの末裔」を反省的な意識に於いて見たときに生じる近代人の感性がある。ここでも超越性(神)と現実性(生活の必要)の間にあってがんじがらめにされた、人間存在の二元性から来る不幸が描き出される。こうした人間なら誰にでもありえる二元性をそのまま、自己の存在の不可能性や無根拠性と結び付ける感性がどのようにして有島に巣食ったかを明らかにし得ない。独断を承知で云うならば、『一房の葡萄』の罪の概念が持つ媚惑さの正体と云うものを生涯に於いて十分に対象化しえなかった点にあるのではなかろうか。

 『小さき者へ』は、内観としてのモノローグのような一人称における語りの形式に於いて、不幸だった自らの家庭生活が子育ての現実ともに語られる。『カインの末裔』では純客観的な写実主義のスタイルが、『生まれ出ずる悩み』においては、類例の少ない変形ニ人称の語りと云う形式に於いて、有島は近づいてくる自らの死を眼前に置いて、自らの終末を多様な語りに於いて成就するかにみえる。この書で語られるのは、自らの悲運を甘受しながら首を垂れることなく進むヒューマニズムであり、自分の死後多難な生の只中を生きていくことになる子供たちに向けられた餞の献辞であり、小さき者への生への鼓舞を通して、その反動を利用するかのようにして死の世界に向かって跳躍しようとした有島武郎のこの世への惜別、残された小さき者への遺書なのである。

 私は実は今回初めて有島武郎の文学世界の一端に触れて、文章家としての彼の上手さと云うものに感心したのであった。『カインの末裔』や『親子』のような作品を書けるものにとって、主観的な陶酔の極に死を選びとると云うような耽美主義はなかったに違いない。『生まれ出ずる悩み』や『小さき者へ』のように周囲に行きとどいた配慮を感じさせる人格の持ち主に、ものがよく見えていない筈はないと思うのである。幼い子供たちを三人も残してどうするのかと思う反面、『小さき者へ』の中で追憶の中に描かれた亡き妻の厳かさの中に、もしかして生きることも死ぬことも根本から疑わせるような体験があったのではないか、とふと考えるのである。
 亡き妻・安子は闘病と諦観の中に死んだのではない。肺病であることは長らく本人には伏せられていたが、それを初めて病室で告げられた時の絶望と哀憐、そしてこの世への執着に引き裂かれる、まるで菩薩が般若の面にでも変容するかのような、畏怖とも云うべき恐ろしさの情念を有島は伝えている。
 有島は、この出来事から立ち直れなかったのではなかったろうか。この世にあることの煩悶と居場所の無さは『生まれ出ずる悩み』に於いて、地球の片隅における小さなものの悩みと云う形で表現されているのだが、その絶望感と云うよりは、生きることの根拠のなさは、無責任とも云える子供たちをこの世の荒野に放置すると云う抑止力を上回るほどの、生命力の減退として現れていたのではなかったか。
 自意識の人としての有島は、仁右衛門のようにあるいはシジフォスのようには生き得なかった。自らの妻の内に見た絶望はかくも深いものだったのである。

 有島の心中事件が、大方の予想を裏切って共感を呼ばなかったのはなぜだろうか。それは有島の生まれ育った境遇が普通の庶民とは掛け離れたせいもあったのかもしれない。それ以上に言えるのは、有島の家族観であり人間観である。他の文学者の誰が有島のように、わが妻を、そして幼き子供たちの巣立ちを育みの眼で見たであろうか。有島の家族愛は、あの時代にあっては余りに進み過ぎていたのである。社会的責任を果たさなかったと言ってはならない。作家的な成熟とは縁が無かったのだと言ってはならない。それらの想いを越えて彼の絶望は深かったのである。

 ”正月早々悲劇の絶頂が到来した。お前たちの母上は自分の病気の真相を明されねばならぬ羽目になった。そのむずかしい役目を勤めてくれた医師が帰って後の、お前たちの母上の顔を見た私の記憶は生涯私を駆り立てるだろう。真蒼な清々しい顔をして枕についたまま母上は冷たい覚悟を微笑に云わして静かに私を見た。そこには死に対するResignaationと共にお前たちに対する根強い執着がまざまざと刻まれていた。それはもの凄くさへあった。私は凄惨な感じに打たれて思わず眼を伏せてしまった”(「小さき者へ」本文より)