アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『しろばんば』の人間群像 アリアドネ・アーカイブスより

しろばんば』の人間群像
2012-06-04 00:33:13
テーマ:文学と思想

 『しろばんば』の登場人物の中で印象的なのは、やはりおぬい婆さんと云うことになるのだろう。屋敷裏の蔵の二階に住んでいると云う場面設定が実にいい。この二階に通じる階段を、”どっこいしょ、どっこいしょ”と上がってくる、これがわれわれ読者が初めて目にするおぬい婆さんの姿なのである。実に印象的な登場の仕方であると言ってよい。この場面を読むだけで、如何にお婆さんが主人公である洪作にとって必要な存在であるか、大事な対象であるかと云う云事が分かる仕組みになっている。
 また屋敷裏の蔵の二階で過ごすと云う設定は、南北に穿たれた二つの鉄格子の小窓を通じて、外界が限られたものとして映じると云う、如何にも世間との繋がりと二人を繋ぐ関係の頼りなさや、二人の在り方の特殊性らくる儚さを、仄暗い空間に射しこんでくる二条の光と云う形で象徴的に表現している。しかもこの二つの小窓は、近づいてくるにつてれ限られていた視界も徐々に伸び縮みするように広がり、村落の全貌を見る角度によって明らかにする、棚田も川も山もそして空も、人の能動的な動きに応じて展開すると云う仕組みを内在させている、そいうい意味では不思議の国の意味空間なのである。
 またこの二つの小窓は、洪作少年が高学年になって机に向かうようになると、内在された時系列的な意味を開示するようになる。日当たりのよい南の小窓はおぬい婆さんと食事をする寛ぎの空間であるのに対して、北側は勉学に勤しむ間となり、おぬい婆さんからは独立した意味を担うようになる。そしてそれが最後にはこの物語が二人に別れの儀式として収斂することの予感として、何時の間にかしかるべき位置を占め、居座っていることに後から気づく、ということになる。洪作少年は中学生になったら約束に従って父母の元に戻る、それが洪作少年の両親とおぬい婆さんとの間に交された約束事であり、つまりは伊豆・湯ヶ島時代の終わり、幼年時代の終わり、おぬい婆さんとの別れなのであった。
 井上は、蔵の二階と云う四畳半二間程のほの暗い空間に、幼時期の胎内の揺籃性、始原的空間をも思わせる南北の小窓を通して射しこんでくる二条の光線が生みだす光と陰りをとおして、仕切られ限られたものとして覗き見られる外部性の描写と、部屋の内部配置から来る、時系列的湯ヶ島時代の終わりと始まりを実にうまく、土蔵のほの暗い微小な空間の中に象徴的に表現している。
 後年、井上は『幼き日のこと』の中で、自らの伊豆・湯ヶ島時代を回想して感謝の言葉を述べている。勿論、幼年時代とは誰にとっても二度と経験することを願えないがゆえに比較を絶するものであるのだが、とは言え、井上の云いたいことも解るような気がするのである。
 何度も繰り返すようだが、井上の少年時代とは尋常ではなかった。しかし特異な事例かと云うと、戦前と云う時代に於いては似たような話は誰しも来た経験があるものである。だから、ここで尋常ではないと云う意味は、事の多い少ないではない。いわば時代を越えた理念像と云うものがあって、かかる聖家族的な観点からすれば、尋常ならざるものがあった、と云う意味なのである。
 しかし井上が伊豆時代を偲んで持つ感慨には、別様の意味もありえた。つまり旧家の人間模様なのである。この小説を読めば解るように、洪作少年は普通の少年ではない。おぬい婆さんが言うように、あくまで”坊”であり”坊や”なのである。貴族とまでは言わないけれども、旧家の跡取り息子なのである。通常、地方の旧家に於いては、家族像も余程違ったものがあったに違いない。ヨーロッパの貴族社会では子供を育てるのは乳母の役割とされていたようだが、そこまで行かなくとも、通常の親子関係のようにねっとりしたものではなく、家門意識を押出した亭主と奥様と云う、半ば準公的な関係に近いものがあったのかもしれない。そうすると庶民はどうだったかと云うと、今日のように親は子供を可愛がるものであると云う理念は無かったかもしれないが、水入らずの親子関係はあったに違いない。狭い部屋に家族が同居する訳であるから、格式ばった親子関係は成立しなかったに違いない。庶民に於いては一見戦後の民主主義的な家族像とでも云えるものに類似した関係が成立していたに違いない。井上が、伊豆・湯ヶ島時代を回顧して、良かったと言っているのは、通常の旧家の家門意識の中では経験できない親子関係と云うものを、おぬい婆さんの下で経験できた、と云う感謝の気持ちであったに違いない。
 おぬい婆さんとは、実母の七重が決して与えることの出来ないような、庶民としての母性愛を与えることが出来た存在なのであった。こうした感受性のあり方がなぜ重要かと云うと、井上の感性の源流には二通りあって、一つはおぬい婆さんや村の子供たちによって創成された庶民の感性、そして今一つは井上家の旧家の血である。後者は、この後書くように石守家の伯父や井上家の家風に代表されるような郷士の武断的な心性、荒野を求める心である。『姨捨』などを読めば、井上の実母にも共通した心性であって、多少はその系譜に連なる人であったことが分かる。『わが母の記』などを読めば、典型的な夫婦の精神的な風景を読みとることが出来るであろう。母親が認知症と闘病の果てに辿りつく荒野の風景が親子の愛情などと云う生易しい抒情性を越えた境位であることから来る断絶観を味あわせる場面とか、これも最初の方にある実父との死別の場面――差し出された父子の手の重なり合いが持つ和合と抱擁、そして微かに釣りの引きの感覚の比喩でしか語りえない拒絶感などに言及する場面でも明らかだろう。親子と云えども容喙を許さない地方郷士的な武断的な気質と家系の厳しさと云うものを読みとることが出来る。『異域の人』を始めとする夥しい西域ものや『ある偽作家の生涯』などの心象風景はこの系譜の延長線上にある。
 こうした井上家の家系的な風土を見るとき、おぬい婆さんと伊豆で過ごした少年時代とは単に庶民の感性を与えたと云う意味を越えて、『しろばんば』全編に横溢する敗者の観点、弱者への同情心を植え付けたことであると思う。自らを差別去れる側、排除される側において見出した少年時代の経験は、深い同情心とともに井上文学に独特の陰影と固有な輝きを与えているのである。敗者の観点失くしては、例えば有名な『闘牛』や『氷壁』のような代表作もありえなかっただろう。

 おぬい婆さんは、それでも母親の代理は勤めることが出来ない。母親像の欠損部分の補償を求めて、洪作少年は様々な出会いの女性像を通じて母親的なるものを探すことになる。実際に母親像の理想化された対象として実母の妹、さき子お姉さんが描かれることになる。彼女の卓越した役割については何度も書いたので繰り返さない。ただし、彼女の役割が事実そのままでは無く芸術的彫拓を施されていると思われるのは、当初彼女が、母なるものの象徴として、生の女神として登場するのだが、後半では肺病になって病没することになる。まるで美人薄命を象徴的する人物のようであるが、それだけの存在ではない。実は自らが死の世界を引き受けることに於いて、逆に『しろばんば』と云う死の世界と幼年期の同一性において成立していた世界から、そっと肩を押すように洪作少年を生の世界へと押しやる、つまり彼女を巡る生から死の世界への暗転が、同時に洪作少年の側に於いては、死と少年期の絶対的受動性の世界から、生の世界へと変貌すると云う、鮮やかな逆転現象を生じる、死を引き受けた生の女神として再生する、そんな神話的な解釈を可能とするのである。
 誰もが言うことだが、深夜人目を忍んで旅立つさき子お姉さんを人力車に見送る場面は美しい。実際にはこれが今生の別れとなるのだが、彼女の美しさについて井上は語っていないのだが、半ばは彼女が因習を押し切って結婚してしまう村の代用教員の性格描写を通じても間接的に表現されている。つまりは教師らしくない、と云うことなのだが、それが良いのか悪いのか、二人の運命が辿った道筋を鑑みるとき、世間の荒波に立ち向かうためには微弱であった、と云う気はする。
 洪作少年における父親的なものは、母親的なもの以上に疎遠な対象であったらしい。井上における父親的なものは『しろばんば』に於いては、門野原の石守森ノ助と云う人物によって、印象的に描かれている。愛情を素直に表現できないと云う事は戦前の男子像には良くあることで、とりわけ地方の旧家に於いては著しいものがあったであろう。この人物は洪作少年を見書けると決まって叱りつけるような話し方をするのだが、実はこの時代の特定の男子像は、それ以外に愛情の表現が出来ないのである。洪作少年の家庭環境を傍目で見ながら、何かと保護者の観点から気を付けて見ていたと云う事は、全編を読んで初めて解ることである。頑固一徹の朴念仁なのではなく、自分のところに別れを告げに来た少年を見て、少年が必ずしも医者に向いていないこと、人生など一瞬のうちに過ぎてしまうものだから、進路は自分自身で決める他はないことを語るのである。朴念仁どころか、知性と教養を兼ね備えた、かなり柔らかな感性の持ち主であることが分かるのである。
 また、森ノ介と洪作の父の共通の父親である耕作にとっては祖父に当たる人物を、山奥に椎茸ご飯を御馳走になりに行くエピソードは素晴らしい。旧家の血がどう云うjものであるかと云うことを語って説得的である。『わが母の記』なども併せて読めば、石守家の旧家の血とでも云うべきものが、人生経歴の盛期において隠遁的な志向をもち、現世的な栄華を擲っても悔いない、旧家的な生き方の系譜が語られるのである。
 『しろばんば』にはこの世で美しきもののヴィジョンを二つ描く。一つは、この椎茸造りに生涯をかけた祖父の簡素極まりない生活の様式である。それは少年の目にも特異であったと見えて、縁側から小さな家の室内を語る場面はまるで茶室の美を語る語りに於いて、極北の美を語る語りであるかのようでもある。もう一つは、湯ヶ島時代の終わりころに伊豆半島の西岸の三津と云う処に親戚の伯母の家を訪ねる場面である。洪作少年は海に望んだ叔母夫婦の暮らす家族の風景を見て青い海や松風とともに、この世で一番美しいものを見たのではないか、と述懐する。この連なる海こそ、やがて後年の『夏草冬涛』の沼津の千本松原海岸や、『北の海』北国の金沢は内灘に押し寄せる白い波頭と長大な海岸線の風景にも連なるものの前奏なのであった。青雲の志とは云うけれども海は井上にとって未知なるもの、生まれいずるもの、つまりは青春の象徴の如きものであった。井上の紆余曲折はこの後も安定することなく揺れ動き、彼が四十代の作家としての地位と名声を確立するまで続くきおのになるわけであるが、人恋しさと敗者への深い同情、慰めとしての二つの風景、回顧の対象としての天城の峰とそれを渡る積乱雲、伊豆や沼津の松林と飛び込み台のある風景こそは、出会いが約束された未来の人物群像とともに、人懐かしき未来へと誘わずにはおられないのであった。