アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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井上靖 沼津千本松原の文学記念碑 アリアドネ・アーカイブスより

井上靖 沼津千本松原の文学記念碑
2012-06-09 12:13:48
テーマ:文学と思想


http://www.fujisan-net.jp/data/pho/0529_hi-inoueyasufumi.jpg


http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/monument/images/pic002_2.jpg

 映画『わが母の記』は、作者と読者の関係に於いて、もし許されるなら、このような作品でありたかったと云う、井上の夢を書いたものである。本人の口からは言えないロマンティスムを第三者だからこそ代弁出来た、ある種の厚かましさがある。しかしそれは捏造と云う悪質なものではなくて、ある意味では井上文学を井上以上に井上らしく抽出し凝縮した顕彰碑のようなものであった。
 今でも沼津の千本松原海岸には井上靖の文学碑があるそうだが、私の記憶では井上の母がこの海岸にある本質的な関心を示した痕跡はない。むしろ『しろばんば』の葛藤から解放されて、母と子と云うような問題よりももっと広大な人生と云う領域に乗り出すことに生と文学の意義を求め始めていた時期の井上の足跡を偲ばせていて、この海原は湯ヶ島と並んで極めて貴重な場所なのである。

 一般に、子供は幼児期にしっかり愛されたという経験を資産として受け取って長い人生に乗り出して行く。子供は実際にはこの条件が満たされない場合は、様々な代理的な経験を通じて補填していく。井上の一連の自伝小説はかかる遍歴的経緯を描いたものである。しかし愛の経験を、様々な形で補填して行くにしても、一度は固有な人生の一時期に於いて徹底的に愛されると云う経験が一つはなければならない。伊豆・湯ヶ島時代は、たとえ偏った形ではあれ、そういう経験を与えたのである。
 また、伊豆・湯ヶ島のおぬい婆さんとの経験は、弱い立場にある人間への限りない同情心と云うものを井上少年に教えた。普通の家庭に育っていたならば井上の才能からすれば優等生としての首尾一貫した生き方を踏襲していただけかもしれない。正規のルートを食み出させ、30近くまで紆余曲折に満ちた長い学生生活を送らせたのも、通常の意味での負荷の軽い生活を禁忌させたのかもしれない。また愛された経験は伊豆・湯ヶ島の幼年期の思い出とともに、井上を根底のところで支え続けたと云える。