アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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井上靖 『わが母の記』と精神病理学(2)アリアドネ・アーカイブスより

井上靖 『わが母の記』と精神病理学(2)
2012-06-09 17:31:00
テーマ:文学と思想

・・・(つづき)・・・

 ここからは井上が書いていないので、私の想像を書く。
 私は先に『しろばんば』を読んで、井上の家庭環境と云うものに注目したのであった。つまり実際の親から引き離されて、血縁のない戸籍上の祖母と二人だけで故郷の蔵の二階家で過ごした幼年期のことについてである。そして『わが母の記』などを読むと、実は母親・八重についても似たような経緯があったことが分かって、意外な感じがする。母・八重は祖父に当たる人物に溺愛され、幼いころより両親の元から引き離されてお爺さん子として育っていたのである。つまりある意味で瓜二つなのである。この家系的事実を知りながら、井上がそれについて一言の感想も述べていないのは奇異に思われる。あるいは親子二代続いた因縁の類似の事象とその重複を語ることに置いて、井上は一連の自伝ものの真迫性が弱まるとでも考えたのだろうか。特に原田真人の映画『わが母の記』では、原作ではそれほど顕著ではない「私は母に捨てられた」と云う科白を執拗に本人と家庭内、あるいは親族内で繰り返させている。ここは観客の同情を誘う格好の場面であるのだから、ここで母親が、”洪作、お前だけではなくて、私もそうだった” と反論するとすれば、情感的な井上文学の世界を若干効果が弱いものになっていただろうか。
 小説『わが母の記』の老耄による人格の崩壊過程を追っていくと、人間関係の基本的な作用である、感情移入と云う行為が次第に困難になって行く状況が克明に描かれる。これは初期の感情移入型、近代病理学的心理学的な段階に相当する。次に人格の崩壊は、内面外面の区別を失わせて、単なる人間的な類型まで還元され抽象化される。この段階はもしかしたら、ユングの原型心理学の段階かもしれない。やがて患者からあらゆる能動性が失われ、原型を束ねていた拘束帯が緩んでくると、バラけたイメージの無重力的浮遊、ランダムな意味性の破壊、つまり妄想の世界が出現してくる。かかるユング的な原型が崩壊した後に誕生する世界を井上は雪が降り敷く「雪の面」の世界と表現している。井上のこの記録が貴重であるのは、老耄と認知症の果てにあらゆる人間の感受と認知の能力が破壊された後に置いても、かなり長期間にわたって、人間の認識能力はしぶとく生き残っているらしい、と云う事態、つまり人間はあくまで人間であると云う事実である。つまり最後まで人間であって患者ではあり得ない、ということである。主客を混同し、自分が分からなくなる、老衰による無感覚と云う事態は、そう単純には訪れないらしいのである。井上は人間のこの最終場面の言語を越えた孤独さを、共感を持って、万策尽きて闘った戦士として顕彰したのである。

 私はまた、『わが母の記』の後に生じずべき出来ごと、井上が書くことの中って世界についても精神病理学を用いて想像してみたいのである。先日私は能の『隅田川』と『海士』を並べて考えて見た。言うまでもなく前者は母親が子を探す物語であり、後者は子が亡くなった母親を思慕する話である。つまり人間関係の根底にある原型性として親と子、すなわちこの極限化された形での母と子の関係に於いて、『わが母の記』とは、親子二代に渡る見失った子供と母親を求めた物語では無かったのだろうか。井上は故意にか意図的にかこの論点を等閑視している。小説の中で家族間あるいは親族内で繰り返し語られる、母親は子供を探しているのか、それとも子供になって母親を求めているのか、と云う議論はその何れかではなく、どのどちらをもが正しかったのである。
 井上親子に於いて生じた伝記的事実を再度ここで纏めておくとこうである。井上に於いても母親の八重に於いても、その幼年期のある扶養の固有な期間に於いて、両親を飛び越えた、祖母なり祖父なりに溺愛されたと云う事実があった。ただ溺愛は親子の自然な愛の完全な代理を果たすことはできない。血縁の無い祖母と少年、養子である祖母と孫娘、ここには旧家の三代以上に渡る複雑な影が投影している。その詳細は知るすべが無いので置くとしても、少なくともかかる親子関係の自然な一次性が阻害された場合に於いても、人は何らかの形でその後の人生の交差点や折節の出会いに応じて欠陥をそれなりに補填し克服していくものである。かかる自然性としての人間が持つ自浄作用と云うべきものを私たちは井上の数多くの自伝性小説の中に認めることが出来るのであるが、それが母親八重の場合はどうなっていたか、と云う疑問符なのである。

 井上と母親八重とは似た幼年期を送りながら何かが違う、と感じる。この違いを認めることは肉親としての井上靖には出来ないことだっただろう。私たちは『わが母の記』の読む過程に於いて、母親八重の老耄の進行過程、過去を近い順番に忘れて行く、結果的には過去は幼年期の方向に向かって進行する。忘却の過程に於いて、周辺の事物や出来事だけでなく、血縁のあるなしに関わらず、夫が、そして子供たちが一人一人消えていく。小説の中で子供たちが語っているように、この過程には何か人生を空しいと思わせるものがある、それは原田真人が映画で描いた世界とは余りにも違った世界風景なのであった。夫婦とは何だったのか、親子とは何だったのかと云う切実な井上の問いがここにはある。

 井上は『わが母の記』を万感の感動を籠めて描き切った。しかし母と子の間に生じた寂寥は埋める術もなかった。ユングの原型心理学が開いた世界、それを生かすのも殺すのも本人次第である。井上は自らが遭遇した原型と云う概念の前にたじろいだかのようである。原型とは、人間であることの最後の拠点なのであるが、追体験として補填し自浄する道は開かれていた筈である。井上の自伝史はかかる補償と自浄作用の軌跡として読めるのだが、何ゆえにかその手法を使って母親を見ることがなかった。あるいは共通する祖父母による溺愛の体験と言っても、井上と八重の場合では何かが根本的な処で違っていたのかも知れない。過程は様々であっても結論は一つであるとひとは云う。しかし一度は愛されたと云う経験が無ければ、ひとは其処から長年月の紆余曲折の複雑な人生経験の過程がありえても、それを生かすことが出来ないのではなかろうか。繰り返すがこれはあくまで私の想像なのである。祖父と祖母と云う性差の違いがあったのかもしれない。しかし血縁などは本質的な出来事ではない事は分かろうと云うものである。母親八重には、発火点のような小さな核が育たなかったのではなかろうか。
 井上が生きていたら殴られるかもしれない。彼が死んでいるから云うのである。

 それにしても『わが母の記』三部作は怖ろしい世界である。特に三番目の「雪の面」が怖ろしい。母親の精神崩壊が人格の崩壊を経て人間関係の原型性にまで収斂し、それを月下の降り敷いた雪の面の中に認める時、ちょうど井上は断崖に晒されて立つ自分自身の足元に今更ながらに気が付いたとでも云うような驚くべき戦慄すべき世界が出現している。
 母親は自分に生じている出来事をある程度は最後の理性によって理解しながら実感との間を取り結ぶ術もなく、途方に暮れたように立ち尽くすだけなのであった。井上は救い出すことはおろか、手を出すことも声を欠けることも出来ずに立ちつくしたままであった。抑揚を最大限に抑えた井上の筆致をみてみよう。将に井上文学の画龍点睛とも云うべく、乾坤一擲の表現である。

「”もうおかえりですか”
母は玄関まで送って来た。土間に降りようとしたので止めると、
”では、ここで”
 と母は言って、玄関の上り框の上に立っていた。くるまに乗る時、母の方へ眼を遣ると、母はこちらに顔を向けたまま、両手で襟を合わせていた。一生懸命に襟を合わせているといった、そんな仕種に見えた。着物の乱れを直して送ろうと思っていたのであろう。これが私が見た母の最期の姿であった。」(p192 )