アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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青山昌文 放送大学『芸術史と芸術理論』――ミメーシスとは何か? アリアドネ・アーカイブスより

青山昌文 放送大学『芸術史と芸術理論』――ミメーシスとは何か?
2012-07-04 18:05:45
テーマ:文学と思想

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 芸術作品には個人の好みを超えたものがあるのかどうか。芸術は感じ取ればよい、趣味的な世界に留まるのかどうか、というのがこの講義のテーマである。この講義では、ギリシア世界にまで遡り、映像を交えた様々な事例を紹介することで、芸術と歴史・社会の関係を解りやすく紹介している。
 講義の内容は、古典古代のギリシアから現代まで、広範囲に渡るが、その多義に渡る内容を通底しているのは、プラトンアリストテレスの哲学である。とりわけ、ミメーシス(模倣)の概念である。

 ミメーシスとは、アリストテレスの高名な『美学』に起源する用語である。カタルシス論などと共に語り伝えられてきたが、この書自身が未完成あるいは散逸した残された断片のせいもでもあり、なかなかに素人の目に芸術論として整合的に解りやすく理解できる、と云う訳にはいかなかった。
 青山は、古典古代のギリシアに帰って、ミメーシスの「自然の模倣」と云う伝えられる原義を、自ずからなる自然の本性の再現(模倣)と捉えている。つまり事物をプラトンのように真なるイデア(真理の超越性)か現象か、と云う風には捉えずに、事物や存在そのものの輝きである、というふうに捉える、つまりアリストテレス的な内在主義の立場に立脚しているわけである。とりわけ、青山の言説が説得力を持つのはゴシックの寺院を紹する場面であって、サン・ドニアミアンの大聖堂の内陣を輝かせる薔薇窓やステンドグラスの連なりを、壁にうがかれた明かりとりの窓と考えるのではなく、光る物質、つまり壁自身が光り輝く神的な現象であるというふうに捉えようとするのである。物質material,とは意外にも、母mather{英},madre{伊}と共通の語源を持つものであり、つまり単に派生的でなく、根源的な用語であることを語っている。

 芸術とそれを支える時代の支配的思想としての哲学(美学)との関係を考えながら、青山の案内で紀元前5世紀のギリシアから現代までの広大なエリアと歴史的時間を通史として遍歴しながら、芸術作品が生みだす美と背後の歴史や社会との関係を遂一的に関連する青山の叙述を聴きながら、不思議なことに半ば納得しながらも、不思議なことに半世紀近くも前の若い日に読んだマルクス主義的な芸術理論を読む様な錯覚にとらわれた。例の上部構造(芸術や学問)は下部構造(社会構造や歴史的背景)によって規定されている、と云うなかば決定論的な政治の優位論の名残りである。

 もちろん、マルクス主義芸術理論に於いても、下部構造の優位を持ってそれで全てを歴史と社会構造に――つまり生産力と生産関係の力学に――還元できる、と考えていた訳ではない。芸術作品の自然(本性)を求めれば社会や歴史の典型性に一致する、と言っていたとも考えられる。マルクス主義芸術理論とレアリスムにおける反映論とは、反映=ミメーシス(模倣)であり、唯物論とは物質が光り輝く姿なのである。ゴシックの聖堂ように輝けるマルクス主義、何時の日かまたあの日あの時の二十歳の原型に、若き日のヘーゲルたちが集った菩提樹のもとの感激の日に帰りたいものである。

 いわゆる「マルクス主義」からみたら、かかる美学理論は異端も甚だしいであろう。マルクス主義におけるグノーシス?と云ってもよい。マルクス主義における反映とレアリズムとは、アリストテレス的な意味でのミメーシス(模倣)であり、唯物論とは錬金術における光り輝く物質なのである。

 そんなことを、無責任に、老人の白日夢のように、途方もなくあてどなく考えたのであった。