アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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太平洋戦時下における二大文豪の芸術的抵抗と挫折・下――谷崎と藤村の場合 アリアドネ・アーカイブスより

太平洋戦時下における二大文豪の芸術的抵抗と挫折・下――谷崎と藤村の場合
2012-09-01 10:09:09
テーマ:文学と思想

 

 

 
 ほぼ同じ時期に、日本近代百年の終焉をより自覚的に捉えた作家がいた。島崎藤村である。藤村の畢生の大作『夜明け前』こそ、近本近代化百年の意義を、まさに戦前の時代思潮に殉じる過程で提起した問題作なのである。

 『夜明け前』とはどんな小説なのだろうか。夜明け前、とは実に卓抜な命名の仕方、表意、表題である。いまだ、夜が白む前の最も暗い谷間の時代、時代の終わりと初まり、父なる江戸の泰平の世の終わりとともに半蔵ら青年の激動の維新の時代の始まり、激動の時代を、転換期の群像を、本陣・庄屋・問屋の、三役を兼任する地方の名家・青山家の嘱望される長男の目を通して描いている。実際には文弱の彼にはようその任に耐えなくて発狂して死んでしまう悲しい結末が用意されているのだが。

 通常の歴史小説と違うのは、藤村の実夫がモデルである青山半蔵の個人史と幕府と薩長せめぎ合う幕末の黒船来航から廃藩置県に至る維新の歴史絵巻を、『戦争と平和』や『』レ・ミゼラブル』のような達観した俯瞰的な客観主義的な均一の照明ではなく、手職や行燈のような半蔵を通してみた極部照明とも云うべき錯綜する部分照明によるレンブラント的陰影の点描して描いている点である。極部照明とは、見える部分と見えない部分があると云う意味である。つまり作家は全能ではないと云う作劇理念の表明でもある。その認識の構造、認知の明暗は、位置をたがえ反転させるごとに刻々に動的な様態として形態と形容を変えつつ、個人と歴史、主観と客観の時間的・空間的ありいは歴史的・自伝史的な相互侵入、相互浸透によって、メビウスの輪のような奇怪な、歴史に立ち会うものとしての不思議な臨場感を与える。歴史に立ち会うものは常にこのように感じると云う意味ではなく、ある種の課題を持ってみるものは、ある種の理想を持って歴史に参画する者の目にはこのように見える、と云う意味の、実に、特異な時間・空間論に基づく物語の構成なのである。

 その極部照明が最も成功している事例が、青山半蔵の人間造形に於いて平田派国学を信奉する熱烈な門徒として描いた設定の仕方なのである。国学と云う本居以来の極めてファナティックな特異な思想をバイアスとして掛けることで、歴史小説として壮大であるだけでなく同時に個人的であり固有に個性的であると云う、一挙両得の全体小説が成立しているのである。
 ところで半蔵の江戸旅行の目的は、長年の本居宣長没後の門人としての入門晴れてを許されることであった。門人録に自らの名前を連ねることであった。幼少の頃よりの学問の理想の地としてと遥かに仰ぎ見た遠い遠い江戸への想いが、ある偶然の機縁を軸として浦賀の地における遠い青山家の出身ルーツをたどる旅へと変化する。鎌倉期に淵源する青山家の素生、青山家の過去を訪ねる旅が、「浦賀」をキーワードとして黒船来る幕末の現実と、そして動乱期を含む明治維新期の未来のドラマへと、予兆と象徴としての形式に於いて対面させるのである。
 こうして時空に穿たれた過去への旅は、同時に内界・外界を貫く驚くべき反作用として、天狗党やその他幕末を彩る諸事件、諸群像が東奔西走する様を写す中山道の宿場町の風景と化し、江戸幕藩体制の中枢を担うものとしての本陣・庄屋・問屋を兼任するものとしての木曽馬篭を舞台とした歴史ドラマを、「いま」「ここ」における臨場性として再現させる。例えば、遠い江戸での幕府の内政を廻る政粉劇の当事者である老中・阿部正弘を描く場面に於いては、客観的歴史的叙述に於いて描かれた描かれたその彼がふと気が付くと馬篭の本陣の客として草鞋を脱いでいる、という具合である。日本の表舞台である関東と上方から遠く離れた土地木曽とは、当時の裏街道中山道に繋がることに於いて、東西双方の情報を日本国中で一番早く、同時に知ることが出来る場所であった。封建制の末端、本陣・庄屋・問屋の三役とは、体制と時代の軋みを最も切実に感じ釣ることが出来る、扇の要のような位置にある自分を見出す過程でもあった。
 つまり、現実と虚構が混じり合うように、個人的な自伝史と黎明期の激動の日本史がメビウスの輪のように奇妙い歪み裏返されて、混じり合う、歴史-個人の、青山半蔵の小説的世界での配置とは、かかる意味合いに於いてなのである。俯瞰的に歴史や社会を描かなくとも、座敷に静かに坐す未来の本陣・庄屋・問屋の跡取り息子を描くことによって同時に歴史の帰趨を総体的に描くことが可能となったのである。

 藤村が『夜明け前』でとった、対立しあうものを錬金術のような独特の仕方で離反しつつ結びつけると云う手法は、青山半蔵と云う最も非行動的な個人を軸に歴史がパノラマ的に展開すると云うパラドックスにある。つまり個人と歴史が一対一で対応し最も危険なな形で結びつく。危険であると云う意味は、ここまで個人と歴史が一体化してしまうと、歴史的な変動がそのまま個人の言動に影響を与えてしまうと云う事態を意味している。事実、歴史の夢が大きく後退し、御一新の理想が変質し始めた時、主人公青山半蔵の人生も狂い始め、革命が裏切りの時代によって大量の粛清者を生む様な時期に入ると、「俺はおてんとうさまも見ずに死ぬ!」と云う悲痛な呟きを残して座敷牢の中の狂人として噴死を遂げるのである。
 小説、末尾の数行は、半蔵を山に葬る鍬の所作と、鉄道が敷設される木曽川渓谷に汗する工人・工夫の所作がオーバーラップされるかのようにして、この長い小説はようやく終わる。

 『夜明け前』の悲劇は、主人公青山半蔵が奇妙なメビウスの輪のような神秘な歴史的時間の構造において歴史の心臓、歴史の鼓動と繋がっていたように、太平洋戦争(第二次大戦)に参戦する当時の日本人の時代思潮と、作家・島崎藤村の余りにも密着しすぎた心情的一対一的な対応にあった。戦時における見通しの無さ、日本没落の予感から来る破れたる神の神意によって受けた藤村の傷は深かった。しかし、この奇妙な天皇や国体との一体感こそ大きな声ではいわね、大多数の日本人の立場だったのである。当時の国体思想を国民経験として描ききったと云う意味で、『夜明け前』は追放されたた神々と、見捨てられた英霊に奉げられたレクイエムなのである。

 敗戦後、大多数の日本人はオリンピック競技で一回転するように反転して戦後民主主義へと鞍替えした。『夜明け前』の青山半蔵と若き日本人の魂は、二度裏切られ二度死んたのである。戦後の日本人が逞しくある一方で、自分たちの死せる魂
を恥辱の過去として永遠の忘却の彼方に葬ろうとは1943年に死んだ藤村には知ることが許されなかった。
 こうして『若菜集』の、自然主義の大家は亡くなったのである。