アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『ノルウェイの森』と遠藤周作『沈黙』――ある60年代の戦前・戦間・戦後 アリアドネ・アーカイブスより

ノルウェイの森』と遠藤周作『沈黙』――ある60年代の戦前・戦間・戦後
2012-11-04 08:24:58
テーマ:文学と思想

 村上春樹の文学を論じようとして感じる困惑感は彼の文学に対してではない。何かタブーのように“王様は裸である”と主張しえない目に見えない管理の操作性がある。本来そうした不可視の暴力に対して最も敏感であらなければならないはずの文学が迎合するように管理社会の尖兵を勤めていると云う事実が何とも歯がゆいのである。おまけに、当人が何を勘違いしたかカフカを隣人として語ると云うのであるから文学の水準も馬鹿にされたものである。肝心な場面になると決まって間合いを外す村上春樹の文学と、不可視の権力の構造が持つ外部性と内部性の相似性を語ったフランツ・カフカの文学の何処が似ていると云うのだろうか。真剣になればなるほど滑稽さを醸し出すカフカの悲しさと何が共通すると云うのだろうか。われわれ日本人は海外の評判を気にする前に何故きちんと日本語で評価しないのだろうか。
 黒古一夫の労作“村上春樹――「喪失」の物語から「転換」の物語へ”は、丁寧に村上春樹の小説を読み解いた評論集である。村上の長大な作品群をここまで読み解くのは大変だったろうと思うのだが、初期の三部作“風の歌を聴け”・“一九七三年のピンボール”・“羊をめぐる冒険”、を愚直に六十年代の鎮魂歌として解釈している部分は生彩をかく。素直すぎるのである。文芸批評家たるもの、村上春樹の誘導尋問に安々と乗っていいの?と思う。翻って、六十年の死者たちは果たして村上春樹に追悼文を読んでもらいたいと思っただろうか。ここまで死者たちの魂は無視されて良いのだろうか、そう思う。
 “風の歌を聴け”の中に“鼠”と云う友人が出て来るのだが、村上春樹の分身であるとされる。昼間から喫茶店に入り浸って挫折感を演じる一対の青年たちに何か固有の悩みのようなものがあるのだろうか。人間関係の連帯と裏切りについて二人が語る経験談は、何時か何処かで読んだ既視感にとらわれる。柴田翔“されどわれらが日々”・真継信彦“光る声”・それから高橋和己の小説群等など。これらの小説に共通するのは政治論以前の挫折することが何か青春の特権化された権利であるかのように語られる、良き意味での選良性である。これらの戦後の政治的青春文学を特徴付けるエリート意識が無い点が、唯一村上春樹とこれらの文学群と分かつ点なのだが、それを評価しても、政治運動の高揚と退潮をあたかも潮の満ち引きのように語る歴史の自然化と云うファクターは共通している。つまり一回性を帯びた歴史的な経験を自然的過程に於いて語ると云う、無意識の隠喩的な技法を前提している限りに於いて、却って資本主義社会の永遠化に手を貸していると云う点で、体制側と真に絶縁された思惟の構造とは成り得てはいない。
 村上春樹が“鼠”シリーズで語ろうとしたことは、精神的に自死するほどに真摯でもあり得たこれらの作家たちの外見だけを、いい処取りをしているにすぎない。六十年代の経験が本当にこれだけのものに過ぎなかった、と云うのだろうか。
 六十年代を最も特徴付ける思想家は私見によれば東大全共闘議長・山本義隆である。彼はデモに従事した日々と研究室における日常を回顧して、素粒子研究と現実の活動の間に介在する「距離」について語った。研究室の日常が持つ距離感が正確に、自分自身とベトナムの距離が厳密に数学的に一致している、と語ったのである。政治運動が、一方ではゲバルトとして肉体を持った身体性として語られながら、同時にそれは研究室における素粒子論として語る言語と文法を持たないならば、今まで幾度となく繰り返された政治的な時期における高揚と挫折を繰り返してきた戦後学生運動の負の連鎖を超出することはできない、と言外に語ったのである。
 山本の思想の新しさは浪花の超秀才としての山本の固有の矜持とリゴリズムにある。知識人の政治参加をアンガージュマンとして語ったサルトルのような人間はいたが、その場合思惟の前提とされているのは普遍人としての人間存在であった。同時期の我が国の政治運動に大きな影響を持った小田実のべ平連の活動も同様な“人間としての”姿勢に基づいている。人は資本主義社会の中で、様々な職業人として、医者として、教師として、あるいは平均的サラリーマンとして、あるいは労働者として存在するのだが、そうした社会的規定性を超えた「人間」としての在り方に優先権を認めようとするのである。
 サルトルらのアンガージュマンの思想は一定の効果を持ったが、歴史における個別者としての判断を普遍的唯一者(人間)であると捉えることに於いて、歴史は再び自然的過程の中に解消されるある種の危うさを持っていた。山本や全共闘運動に固有の、個的な職業人(学生&研究生)を基底に据えた在り方は、政治的な挫折期に於いても、自らの思惟の過程に於いて自然過程に解消すると云う転換が起きないと云う精神構造上の特徴があった。つまり村上の小説に出て来る“鼠”たちが語ったような、俺たちも昔はよく闘ったものだ、等と云う中年男が居酒屋で管を巻く述懐じみた常套的科白を自らの禁じ手とする自覚的な思想だったのである。
 確かに村上春樹が感じたように七十年代を境に何かが変わった。六十年代の変革の時代が終わった時、良く闘ったものもそうでないものもいた。デモの先頭に立った者もいれば旅行に行くもの、アルバイトに精出すもの、様々にいた。しかし押し並べてそれらの存立の多様性を超えて、象徴性を帯びた思想と云うものがあって、思想を理解するにせよそうでないにせよ、共同主観的な思想そのものが持つ強い規定性を受けざるを得ないのである。六十年代とは、一億余の、二番目の国民経験だった、と私は思っている。
 一番目の経験とは1945年8月15日の経験である。70年代はこれとよく似た経緯があったのではないかと思う。天皇人間宣言があったように、70年代にも人間宣言があった。われわれ日本人の大多数が、昭和天皇を本質的に憎み得ないのは、大戦の死者たちの重荷を天皇が代わりに背負ってくれたからである。天皇が現人神であることを否定し人間であると宣言することによって無限の責任を放棄したように、国民にも過去に拘泥することなく生きなさい、と優しく諭してくれたのである。
村上春樹の小説は六十年代の熱い幻想から人々を解放した。直子やツヅキ君たちが六十年代の隠喩であることは明らかだろう。
直子とツヅキ君たちが抱いた愛のリゴリズム、愛の観念性は、村上のこの小説がたまたま政治的冬の時代の到来と重なったがために、本人も意図しなかった政治的メッセージと重なった。愛のリゴリズムが、全世界を覆った学生運動の観念的ラディカリズムと重なって感受されたのである。黄金の六十年代の記憶を語り、過去に殉じて死んだ直子に奉げるレクイエムとして書かれた”ノルウェイの森”という小説は、自己否定や造反有理、あるいは大学解体のイデオロギーにうんざりし、過去との決別を図っていた国民的思潮とメディアの要請に一致したのである。
 もし六十年代の悲劇的な経緯をよりよく象徴する小説として考えるならば遠藤周作の“沈黙”を挙げなければならないだろう。村上の小説が六十年代の終末期に登場したように、“沈黙”は政治の季節が高まる以前の未明の時刻に生まれた。この作品が持つ不吉さの持つ意味は、既に政治的運動の無残な挫折を予見し、前もって処方箋を講じる用意周到さにある。六十年代は既に、予感としての書によって骨抜きにされていたとも云える。
 絶対的な宗教的な理念と、人間と云う個別存在者の特殊性を帯びた相克を通じて、政治的冬の時代における、受動的政治的抵抗と云うものの可能性が語られる。一見してこの作が、戦後の一連の政治的青春小説群を超えている点は明らかだろう。 拷問の苦痛に耐えかねた信者の朦朧とした意識の中に現れた幻想としてのキリストは優しく人を諭す。“転びなさい、転びなさい”、と。神からも自己のキリスト者としての良心からも見放された者の悲しみの固有さを体現したものこそ、わがイエス・キリストに他ならない、と甘い誘惑の言葉で囁くのである。宗教はこうして、殉教者の最後の砦までも完膚なまでに武装解除してしまう。遠藤のキリスト像が、あの暑かった夏の日々、人間宣言をした昭和天皇二重写しになって私の眼に映じたのは、妄想とばかりは言えなかったであろう。

 60年代は、『ノルウェイの森』と『沈黙』の間で、自らの死を二度死んだ。
 
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