アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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初期村上春樹作品に見る聖性 アリアドネ・アーカイブスより

初期村上春樹作品に見る聖性
2012-11-05 01:16:53
テーマ:文学と思想


・ 村上春樹の初期の作品に『納屋を焼く』と云う短編があります、納屋を焼くのが趣味だと云う半ばホラー半ば妄想じみた男が出て来るのですが、小説の中では実際に男がそう言うだけで彼の異常な行動が描かれる訳ではないのですから、嘘かハッタリである可能性もあるわけです。

 読み終って記憶に残ったのは、この男のことではなくて、彼と一緒にいる連れに女性のことでした。金を稼ぐすべも知らず、少ない収入でその日が過ごせればよい、生き方が観ていて頼りないので誰かが助けて遣っているらしい、そして納屋を焼くと云う異常妄想の男も、恋でも友情でもない不思議な男女関係を続けているうちに糸の切れた風船のように、小説の終わりころに見失ってしまう。人物造形はまるで逆なのだが、ちょうど『風の歌を聴け』の四本指の女性が、時間の波間に行方不明になるように、何時の間にか消えてしまうように。
 この小説を読みながら、村上春樹の初期の小説には、無垢なるものの聖性とでも云うべき存在があることに気づいた。相手に何にも求めずに、また何ものをも与えない、記憶や纏まった一時期を共に過ごしたと云う時間の痕跡すらも。ひたすらに無能であり、無力であることによって際立つ、無垢なるものの聖性、そんな不思議な表現がこの世で可能であるならば、村上春樹の初期の文学にある性格の一部をそのように名付けたい。

 与えることも奪う事もしない、天使のような無関心さの対極あるものこそ、『国行きのスロウ・ボート』の女子大生であり、『風の歌を聴け』の四本指の女である。ここでは彼女たちが生きてきた時間の重さ、存在の重さが際立つ。「みんな嫌いよ」と云い、「ずっと何年も前から、いろんなことがうまくいかなくなった」と云う。

 原因はこれこれだからこうなるとか、と云う事ではなく、生きることがそのまま受苦であるような生き方も、ある意味ではもう一つの聖性を意味している。この世の約束ことに拘らない天使のような聖性もあれば、悲しむことが性の唯一の本質でもあるかのおゆなマリアのような聖性もある。初期の村上春樹に際だつ特徴は、こうした小さき者、運命に押し流されて行くものへの目線の温かさである。『1973年のピンボール』以降消えて行くのも、対象と眼差しとの距離の取り方なのである。
 『風の歌を聴け』の中で村上春樹は「文章を書く作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ」と書いたが、この箴言と物差しを忘れてしまうのである。

 『1973年のピンボール』で出て来る二人の姉妹は、『風の歌を聴け』の四本指の少女に双子の姉妹がいるとあるので、彼女たちだと考える方がよい。彼女たちには、不幸なことに名前が与えられていず、「208」、「209」と国道か何かのように記号で呼ばれている。彼女たちの非力さ無気力さは、抒情的な感性を蒸留した後に残る空気のような存在の軽さである。存在の軽さが聖性の後遺症であることは明らかであろう。だから、彼女たちが姿を消す時の唐突さもまた、厄介物を半ば追い出したのだとも読める。記号で呼ばれることの意味と自身の心変わりを村上春樹は気づいているだろうか。
 『羊をめぐる冒険』に出て来る、「耳の女」、予知能力を持っている女がクライマックスで姿を消すこと、それについては”鼠”が大きな役割を果たすことになることも、それ以降の村上春樹の文学を考える場合、象徴的であるのかもしれない。

 村上春樹の初期の文学から失われたものこそ、無垢なるものの聖性、小さき者の死であった。運命に対して抗弁することもなく、無垢なるまま時間の波間に消えていく彼らの存在こそ『風の歌に聴け』における「歌」の意味であった。
 「歌」は失われ、見捨てられ、もったいぶった”鼠”の物語が必然化された大袈裟な語りようを始めた時、村上春樹の神話作りが始まったと云っても良い。その神話化の到達点を、例えば『ノルウェイのの森』などに見ることができるのである。

 作家の自己経験神話化とともに、『風の歌を聴け』の「距離の取り方」もおかしなことになったし見える風景も変質した。『風の歌に聴け』の「僕」は親切な行為が誤解を受けて「前にも言ったと思うけど、あなたって最低よ」と云われてしまう。新宿騒乱事件の夜に家に連れ帰った無口な少女から逃げられたメモ書きには「厭な奴」と書かれているだけである。彼女たちの印象批評は「僕」の具体的な事象に対応しているはずなのに、「僕」にはそれが自分の経てきた青春と云う時間の総評でもあるかのように聞こえてしまう。問題なのは、村上春樹の青春が「厭な奴」と思われていたかどうかではない。誰もが人が人を求めていたあの熱い時代、『中国行きのスローボート』の在日の中国人女子学生の「誤解」をようやく解いて彼女の住所を聞き出して再会の約束をする。しかしあまりにも長い一日の終わりの悲惨さに誰に対して向けていいか解らない怒りを籠めて煙草の空箱と一緒に彼女の住所を書いたマッチ箱も捨ててしまったことに気づいて唖然とするのである。誰にでも好かれてしまう『ノルウェイの森』の「ワタナベ君」と何と大きな違いだろうか。自分自身もまた、小さき者の死に一部加担していたことを知って唖然とするのである。1960年代と云う時代と状況の関わりの中に於いて、自分の果たした役割を曇りなき眼でしっかりと見据えていたと云う意味でもっと注目されていいラストシーンである。私には、アメリカ映画『ひとりぼっちの青春』でジェーン・フォンダが踊りつづけて夜明けを迎えるあのシーンとともに記憶に残る名場面だと思う。
 村上春樹の原風景が変わってしまったのである。