アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『グレン・グールドをめぐる32章』 アリアドネ・アーカイブスより

グレン・グールドをめぐる32章』
2012-11-07 10:14:12
テーマ:音楽と歌劇

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・ グレン・グールドについては熱心なファンと云う訳ではなく、断続的に聴いている。ある日、何の予備知識もなく聴いた彼のゴールドベルクの乾いた響きに、おや、と思ったことを憶えている。ブラームスの小品を弾いた叙情的な響きも好きだった。ワグナーを弾くのを聴いて、彼の様々な分野の好みを知って次第に分からなくなった。・・・そしていまでも思い出したように聴いている、やはりゴールドベルク変奏曲だ。

 やはり気になるのはなぜ、三十二歳の時に公開コンサートを止めてしまったのか、と云う点だった。この映画でその理由を語っている。作曲に専念するためだった、と。しかし作品が生み出されることはなかった。その唯一である弦楽による室内楽が紹介されているが、よくわからない。

 コンサートを止めた理由に関して、演奏家と聴衆の関係を問われて、1対0だ、と彼は云う。聴衆に依存しない演奏会、自分自身が聴衆でもあるような。それで彼は演奏中に椅子をぎすぎすさせて、低く耳障りなハミングをする。一人の男が、音楽の中で楽しんでいるのが分かる。聴衆は消えてしまっていた。

 聴衆に依存しない、純粋に自分だけのための音楽はあるのだろうか。子供の頃、はじめてクラシック音楽を聴いた日のことを思い出す。ラジオの質の悪いスピーカーから、遥か彼方から聞こえて来るような異次元の体験、音楽との出会いがこのような音楽的環境の貧しさとも関係していることは、日本にもファンが多かったと云う事と関係があるのだろうか。

 五嶋みどりもまた先験的な音楽性において音楽以外のことを忘れた。どちらの人間も、――言い方が失礼になるのだが――音楽失語症――ピアノが弾けない!――のようなものに陥った時期があった。単機能型の人間には厳しい経験だろう。しかしその時期を克服して現れた時、五嶋みどりは楽器そのものを忘れ、グールドは聴衆の存在を忘れた。しかし、彼の死から随分時間が経って気づくのは、五嶋みどりの音楽が演奏「会」そのものを自然に委ね,会場の音響的効果を無視したように、屋外の蝉や雨だれの音が自然のハミングとして共振したように、何時しか自分自身の身体が生ける祭壇として鳴り響く、根源的な音楽と聴衆の関係性を超えて、グールドの音楽自身もまた、彼自身の生涯自身が鳴り響いて、「生きた」かのような感慨にとらわれるのである。

 この映画の中で印象に残ったのは、彼がドライブインでエッグ料理を注文する場面である。かれはお決まりの定食メニューを待つ間、店のカウンターやテーブルのあちこちで聞こえて来る世間話に耳を傾けるうちに、それらの併走する会話「群」が、まるでポリフォニー音楽のように聞こえてしまうのである。彼の生活の中で音楽が対象性をもった「存在」ではなかったことが分かる。区別や分別が成立する以前の、あの子供のような音楽との原初的な出会いの経験をいまなお彼は生きていたのである。彼の子供のような生き方はそこに由来している。彼がカナダの片田舎に生まれたことと、日本に於いて貧しい音楽環境の中で音楽に出会った大多数の平均人である、と云う事が彼の音楽に関して私の中で奇妙に結び付きを生む。

 また、彼の音楽の様式を決めたものがラジオと電話であった。ラジオと電話が先端のメディアとして世の中を席巻していた頃、彼もまた自分自身の生涯の限られた大事な時期を送っていた。
 ラジオと電話、人に煩わせることなく内的世界を楽しむことを発見した初期メディアの世界である。メディアが、今日のように双方向的で複雑ではなく、一方方向で単機能であった時代の思い出である。他人が「他性」として情け容赦なく侵入してくるような時代ではない、そんな時代への郷愁である。彼のピアノの響きには、そうした溢れるような郷愁が籠っている。

 この映画を観て感じたのは、グールドがマニアックな人間であるにもかかわらず、知的で明晰であったことである。何と、彼は有能な株運用のマネージャーでもありえた。こんな彼だから自分の死期も正しく予測していたのではないかと思う。何時も正しく何でも言い当てた彼が、自分自身の葬儀については誤ってしまう。生前ハックスベリーフィンの葬儀のような原野での密葬を想定していた彼の葬儀には沢山の人が参列した。誰にも愛されないと思っていたのに、彼は全世界の大勢の人に愛された。

 生前家族のような関係にあった従姉妹は云う、――謙虚な人でした、と。少なくとも私にとっては。