アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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橋本治『浄瑠璃を読もう』を読もう アリアドネ・アーカイブスより

橋本治浄瑠璃を読もう』を読もう
2012-11-18 23:49:06
テーマ:文学と思想

・ 最初に橋本治の『浄瑠璃を読もう』がなぜ『文楽を読もう』ではないのかについて書いておこう。浄瑠璃文楽の違いは、上方では浄瑠璃と云い、関東では文楽と云うと云うように理解していたのだが、橋本の同書が明らかにしているのは、近松門左衛門に始まり近松半二に終わる浄瑠璃が後継者を欠いて「伝統芸能」となったとき、「文楽」と呼ぶようになったのだと云うのである。人形浄瑠璃と歌舞伎の交渉史はそれなりに興味深いが、最終的には歌舞伎に株を奪われ衰退していくのだが、衰退も単なる衰退ではなくテキストの純粋保存と云う側面をも有していたようである。つまり江戸の観客は、浄瑠璃の厳密なテクスト批評と該博な歴史的知識の上に、局部極小的なミクロの世界に役者の過剰にしてオーバーなパフォーマンスを嵌め込んで極大化する歌舞伎化現象と、学問としての浄瑠璃と云う差異と同一、求心性とずれと云う。複眼として芸能を楽しむと云う複雑怪奇にして難解怪異な鑑賞法を生みだしていたのである。歌舞伎、浄瑠璃の表面的な支離滅裂、荒唐無稽さも半ばはここに端を発する。
 であるから、橋本の意気込みとしては、古典芸能を解説するのではないぞ!と云う意味で、浄瑠璃であって文楽ではいけなかったのである。
 また、浄瑠璃と云う意味は、この世は瑠璃色、つまり玉虫色に描かなければならないと云う意味である。これがイロニーであるのかどうか、江戸人の表現はとかく晦渋である。


・ 橋本治の『浄瑠璃を読もう』は、通常の記述的な解説と異なって、ただ一つのことを教えている。それは、個々の作品に先立って、浄瑠璃を受け入れた江戸時代の観客とはどういうものたちであったか、と云う点である。通常、浄瑠璃の特徴とされる、筋の荒唐無稽さや登場人物の一面的な類型性の謎も、それを享受した江戸の人々が如何なる人たちであったかろ理解することが浄瑠璃の理解に至る早道なのである。

 江戸の観客とは、庶民とは云いながら、「歴史に関する知識」」を有している人々であった。『菅原伝授手習鑑』は菅原道真の讒言による都落ち、『義経千本桜』は「平家物語」なり「源平盛衰記」に基づいて、よく知られた過去の歴史的事象を「枠組み」として利用しながら、枝葉に、江戸庶民の人情を仔細に脚色しながらアイロニカルに語る、と云う特質を持っている。
 なぜ、このような複雑なダブルスタンダードによる同時進行と云う手の込んだ手法を取らざるを得ないかは、「浄瑠璃」とは言葉の正確な定義に於いて、徳川の世の天下安泰を寿ぐものでなければならなかった、と云うのである。つまりいかなる形であろうとも体制批判の情念が漏れ出ては拙かったのである。それで何時でも言い逃れが出来る様に、あの曖昧にして奇想天外な、枝葉や脱線の多い長大な物語が造られたと云うのである。
 成るほど、舞台が同時代の江戸に設定されることは殆どない。そして橋本の高説を聴いて初めて理解したのだが、浄瑠璃や歌舞伎に於いても何何の段とあるだけで、全体が通して演じられることはない。何故ないかと云えば、全編を通して演じるとなれば十数時間どころか数十時間を要するので、現実的には不可能なのである。それで、何何の段と云って、一部を見るのだが、それだけでも二時間前後を要するし、かと言って江戸の観客はこの部分劇だけを見るのではなく、何回も繰り返し見るうちに全容を既に知っていて、部分劇が表現する以上のなにものかさへ、幻想として読みこんでいたかもしれないのである。そこに江戸庶民のイロニーと云うものがある。幕藩体制も司法も、個々の観客が観念的に自らの 脳裏に幻視したものまで罰することはできない。例えば『義経千本桜』は、早く云えば源頼朝義経の兄弟間の葛藤を描く物語である。ところで頼朝=江戸幕府であるので、頼朝を敵役として描くことは許されない。浄瑠璃=瑠璃の世=太平の世を寿ぐ、だからである。太平の世が何故源平の争乱期とイコールなのか問う事は、野暮なのである。江戸の庶民は判官贔屓と云って義経が好きである、赤穂浪士が好きである、菅原道真に同情的である、その同情心を直截に表現したならば何らかの形に体制に対する恨みや辛み、怨念が漏れ出てしまうかもしれない、それで忠孝の理念は大黒柱として遵守しながら、そこに江戸庶民の等身大の実像が描くドラマを混入させたならばどうなるのか。つまり、この世は瑠璃色に輝く太平の世であり、神にも等しい名君によって治められている。ここに忠孝の理念に忠実なごく普通の庶民がいて、時代の倫理に忠実に生きた場合に如何なる理不尽の不幸が待ちかまえているか、如何に悲劇的な選択を強いられるかを、切々と描くのである。つまり江戸庶民の反体制意識、あるいはお上への怨念が決してばれないのは、彼らが外見上社会体制や時代が要求する倫理に建前として従っているからではなく、本気で信じているからにほかならない。非合理と見えようが、彼らは時代が要請する非合理な掟に殉じる様にして死んでいくのである。
 こした時代の被害者が、同時に体制が用意したシステムに進んで加担して行く共犯者でもあり得ると云う点は、身近なところではいじめをめぐるクラス・教育環境・社会との関係を思わせるし、アウシュビッツにおけるユダヤ教の階層性とシオニズムの自虐的な構図を彷彿とさせる。こうした陰湿でもあれば不健康なドラマが、荒唐無稽さに加えて無意味で、ナンセンスであるかと云えば、社会主義リアリズムなどよりもリアルで、人を感動させるのである。進歩的な学者の描いた論文などよりも人を動かし得るのである。それは何故なのか。

 橋本の同書に教えられたのは、人形浄瑠璃、歌舞伎、庶民の芸能と言いながら、武士道の倫理は士農工商の階級的階層性を超えて、あまねく通底する原理としてしっかりと根を張っていた、と云う点である。人は、体制の矛盾や限界が眼に見え理解していてもそれに抗う事が出来ない。なぜなら体制とはフランツ・カフカの『城』のように、自分の外部に聳えたつてあるだけではなく自分の内側にも存在するからである。元来、リアリティと云うものは個人の信念に基づくものではなく、内部性が外部の規範と釣り合いその整合を図りえた場合にのみ生きたものとなる。それ以外は硬直した倫理に過ぎない。自分の信念に基づいて我行かん、と云うのはロマンティックな幻想にすぎない。そうして橋本の同書が明らかにするのは、何んと内部にある倫理規範、を代表するものこそ「観客」であった、と云うのである。観客が、時代のモラルに殉じて死んでくれと言われれば、浄瑠璃の人形たちはその非情な運命を受け入れる他はなかったのである。

 橋本の同書が明らかにしたのは、浄瑠璃や歌舞伎を支えていた江戸時代の観客とはどう云うものであったか、と云う点であった。その観客とは、単なる観客ではなく、酸いも甘いも知り抜いた苦労人であり、平家や源平盛衰記等の豊富な歴史的知識を有する大人の観客であった。脚本がそのまま残ることはなく、観客の監視体制の中で絶えず改変される運命にあり、江戸の観客とは自らの意志を主張しドラマに共同参画する能動的な観客でもあり得た。現代の従順な「観客」からは想像もつかないほどの、劇世界の一方の「主」として舞台を二分する「観客」なのであった。
 江戸庶民の怨念、体制批判と云っても一筋縄ではいかない事情が御理解いただけたであろうか。

 しかし橋本の同書が明らかにしたのは、この点だけではない。
 この固定的な、舞台と観客の関係を改変することは出来なかったのか。ここに近松門左衛門が登場してくる意味がある。橋本も断っているが、近松門左衛門とは江戸時代を通じて高名であったが、演じられることは意外に少なく、近代以降、再評価されるまでは埋もれた劇作家であるという側面を持ってた、と云う。良く知られているように近松は歌舞伎の脚本家として出発し、これも高名な竹本義大夫とコンビを組んでいた。それが不仲になったのは脚本をめぐる事情であり、それで近松浄瑠璃創始者となった、と云うのである。
 橋本によれば、近松浄瑠璃は江戸の観客の美意識とは異なるものがあったと云う。俗に近松の創始した浄瑠璃を世話物と云い、義理人情を描いたものとされるが、義理人情ゆえにそれが齎す悲劇を描いたのは後の竹田出雲らが創始した、近松以降の時代もの浄瑠璃であったのである。ちょうどオペラセリアとオペラブッファの関係のようだが、浄瑠璃・歌舞伎の世界に於いては圧倒的に時代ものが人気が高く、世話物の方は近松の「古典」として舞台の背後に退いてしまう、と云うのである。
 それでは、近松浄瑠璃の何が江戸庶民を敬遠させる基になったのか、それは義理人情を超えてリアルであったからだ。江戸庶民が、ここで泣きたいと云う場面で、近松はそれをそしらぬ様にやり過ごし、定型的美意識に対して人間としてのリアルさを優先させたのである。だから近松に於いては人間が生きるのである。本書に紹介されている『冥途の飛脚』の結末は無残なものである。主人公が遊女と駆け落ちするのは、養子になった商家の若き当主として商才が無かった訳でもなければ、人見知りする軟弱な性格であったからでもない。上田秋成の描く処の夢見るような文学的草食系の夢見がちの男子ではないのだ。ごく普通の有能でもあれば常識を弁えた人間が、普通であるがゆえの機知と云うか、日常性の中に潜む差異の中にに思いがけない落とし穴があって、愚かとしか言いようのない運命に呑みこまれて行く。彼を取り囲む周囲の人間たちもどちらかと云えば善人であり、彼らの悪だくみの結果ああなった訳ではない。一言、助けてくれ!と云えば援助を拒んだとは思えない人たちに囲まれて、何か体面と云うか市民であることの誇りのようなもののために滅んでいくのである。最後に郷里に出戻ったところを「お縄」となる。心配で遠くから見に来た父親に見られて、どうぞ目隠ししてくださいと懇願する。例えば溝口健二描くところの『近松物語』に見るような、刑場に向かう道行きに於いても晴れ晴れと面を挙げ役者冥利の矜持を示す長谷川一夫の演技とは大違いである。馬鹿は死ななきゃ直らない、とでも云うような冷徹さがある。最後の語りは突き放すように、「恋に沈みし浮名のみ難波に。残し留まりし。」
 つまり江戸庶民の都会的センスを逆なでするようなところがあった、と云うのである。最後は妙にしんみりとなって、口直しに何かぱっとした余興でも欲しくなったことだろう。

 この本に紹介されているのは、以下のもの、八本である。

仮名手本忠臣蔵』と参加への欲望
義経千本桜』と歴史を我等に
『菅原伝授手習鑑』と躍動する現実
『本朝廿四考』の「だったらなにも考えない」
『ひらがな盛衰記』のひらがな的世界
『国姓爺合戦』と直進する近松門左衛門
これはもう「文学」でしかない『冥途の飛脚』
『妹背山婦女庭訓』と時代の転回点