アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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村上春樹の初期の作品について アリアドネ・アーカイブスより

村上春樹の初期の作品について
2012-11-19 13:29:30
テーマ:文学と思想

・ 村上春樹についての関心は二つあります。一つは村上春樹現象とでも云うべきもの、二つ目は村上の評価軸の賛否の両側において、肝心なところが誤読されていると云う不思議な現状、ですね。何故正しく読まれないできたのか、これは一般の読者よりも、プロの読み手とされる批評家や文学研究家の方に、何か根本的なところで文学を読むと云う修練がおろそかにされているように思います。

 先の方から云いますと、村上春樹は60年代の終わりの出来事を70年代の終わりに描きました。60年代は今でも端的に評価が出来ないほどの複雑さがありますが、一種の思想的な原理性を秘めていたと云う意味で、根源的な価値の転倒と云う側面を孕んでいました。それでこの時代の理念が余りにも強烈で且つ束の間の記憶のように幻想性の彼方へと流され去ったあと、まるで洪水の後のように取り残されたと云う虚無感が国民の全体を覆いました。個々の人間がこの時代をどう考えていたか、学生運動や社会変革に対する個々のあれこれの評価ではなく、こうした一個の時代が高い原理性を持ちえたと云う意味で、先験的に一億の国民を規定する無意識の傷痕として残ったのです。思想の水準とは、ちょうど高台に建てられた貯水場がそうであるように、一旦高められた水頭はサイフォンの原理として、意識を超えてあまねく影響を与えるのです。
 村上春樹の文学と60年代の関係は、敗戦後の天皇と国民の関係にある意味で似ています。天皇人間宣言をすることで、個人としての戦争責任を放棄しました。国民の象徴となることで統治と社会的責任を放棄しました。ここで大事なのは天皇の無責任を指弾することではなく、天皇が国民のために国民の戦争責任を肩代わりにしてくれたと云うことなのです。より正確に言えば、戦争体験を忘却に委ねると云う負い目を国民ととも担い、無責任と云う責任の象徴になったと云う意味です。過去の傷痕に拘らずに明日を生きなさいと云ってくれたことですね。昭和天皇を憎み切れないのは国民の側の負い目があるのです。
 少し大袈裟だと感じられるかもしれませんが、村上と国民の関係が意識的に現れたのは『ノルウェイの森』だと思います。この中で緑と云う少女が謂わば「戦無派」とでも云う形で登場して重要な役割を演ずるのですが、その少女が唐突に60年批判をするのですね。このキャラクターからは自動的には導き得ない論理であり、背後の村上春樹の代弁をしていると考えて良いでしょう。実際にも村上は川本たちとの対談で同様の主旨のことをより過激に主張しています。昨日まで自己否定とか造反有理とか叫んでいた学生が一夜にして勤勉な学生に変身したのは変だと云うのですね。ただこれだけなら珍しいことでもないのですが、村上は態々その学生の首根っこを掴んで詰め寄ったと、まるで武勇伝か叙事詩の一節を披露するかのように語っているのです。
 ここから結論として云えるのは二つの点です。一つは、図らずも村上の時代との関わりがどの程度であったか、と云う事を図らずも明るみに出したと云う点です。二つ目は、誰でもが居酒屋のつい一杯の思いつきで云えるような論理を得々と語る作家としての姿勢が、どう考えても村上の本心とは思えないのですね。つまり彼はここでは国民を代弁しているのです。村上春樹が親切な男であると云うのは『風の歌を聴け』を読めばわかることですが、過剰なサービスをしてしまうのですね。
 『ノルウェイの森』は、ちょうど戦後の大きな変動期と終息期に重なったがために、政治的メッセージの書として読まれると云う事になったのです。これは本来ラブストーリーとして構想した本ににも予想外の出来事でした。

 『ノルウェイの森』には、『羊をめぐる冒険』で描かれた「羊」がラブストーリーとして純化された形態として直子やツヅキと云う、過去の亡者の群れがあります。後で述べますが『風の歌を聴け』の世界の中に蠢いたていた死者たちです。『ノルウェイの森』は悪魔払いの書としても読むことが出来て、念がいったことに小説の終わりの方で、神道の「直会」なおらいを再現した場面があります。
 京都の山奥に山の療養所があって、ここで直子は最終的には命を断ちます。レイコさんと云う患者であるようでセラピーでもあるような中年の不思議な女性がいて、この女性が最後の場面近くで東京に登場するのです。呼ばれもしないのに押し掛けてきたこの女性は、会食の準備をし密かに秘伝を伝授するのです。
 つまり五穀豊穣を食し、それを祈願するための巫女との秘めれたパフォーマンスが披露されるのです。村上春樹は数学的に厳密ですから正直に「四度」と書いています。死者たちの呪詛から無罪放免されるためには四度の「誓約」が必要だった、と云う訳ですね。この場面のおぞましさは、この場面が大嘗祭や最後の晩餐を下敷きに書かれていると云う点ですね。
 『ノルウェイの森』は、いっけん純愛小説として書かれながら、実はとんでもない小説なのです。
 村上現象とは、村上が文学とは異なったポップで軽みのノリで小説を書き、当世風のファッションやブランド品を鏤ちりばめたと云う、オタク性ではなく、本質的な意味での重たい、政治性を秘めたメッセージ小説であった、と云う意味です。

 二つ目は、鼠三部作と呼ばれる、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』が正しく読まれているか、と云う点ですね。厳密に言えばこれら三つの代表作と『中国行きのスローボート』以下の短編を含んだ初期作品が素直に読みとられていないのではないかと云う点です。
 鼠三部作と云う名付け方からして、そうです。これらの三つの作品は共通するキャラクターを共有する以外に関係が無いのです。無関係と云うより、意図的な切断があるのです。その「切断」は何処で生じたか。それは『風の歌を聴け』から『1973年のピンボール』に至る9カ月間の間に生じていると云うのが私の見解です。

 『風の歌を聴け』の「歌」とは声なき死者たちの声を聴け!と云う意味だと思います。この小説には沢山の死者たちが出てまいります。死者たちの予備軍のような人たちもいます。その一人が「僕」の友人の”鼠”であるでしょうし、生存の確率が野球のパーフェクトゲームの確率と比較される難病の少女の生存の確率です。夜間、誰もが寝静まった深夜、ラジオと一対一で向かい合う少数の寝ずの番たちの一人が書いたメッセージを読みながら、今まで早口で語っていたDJは、実は昨日神戸の山並みの方を見て泣いたことを告白する。それは難病の少女に同情したからではなく、いま生きているこの日この時を大好きだと云うこと、この時代を生きた皆が大好きだと云う意味だと云うのですね。この少女が好きだと云うプレスリーの曲を夜のしじま響かせてこの場面は終わっています。
 この小説を読んで云えることは、作家としての村上春樹がどうのこうのと云う以前に、人間としてとっても温かい青年がいると云う事ですね。この間の事情は『中国行きのスローボート』でも『納屋を焼く』でも、『ノルウェイの森』のプロトタイプである『蛍』に於いても変わりません。違うのは『ノルウェイの森』のワタナベ君が誰からも無条件に受け入れられるのに、初期の村上の主人公たちの何人かは、親切を誤解されるのです。村上の育ちが良いと云う事もあるでしょうけれども、誤解されるだけでなく、人間として最低であるとか、虫の好かない男だと書かれてしまうのです。この違いは何なんでしょうか。
 村上の初期の主人公たちはこのように覇気と云うものがまるでなく無気力そのものなのですが、この無力さ非力さが実は個人的な資質とばかりは言えない面があるのです。つまり何を言われても抗弁出来ない、言葉と云うものを欠いた非力な青年とは、実はあの60年代に固有の青年像として読めるのです。抗弁しないとは潔いからではなく、言葉と云う特権性を排除した基本的人権の最低ラインにぶら下がっている、と云う意味です。言葉を権力に迎合する言語として、学問を特権性として批判したものたちにいまさら自分たちが置かれた苦渋を説明するのに言葉に助力を借りれただろうか、そう言う意味での、あの騒乱の時期の波間に消えていった無数の小さき者の死を『風の歌を聴け』は代弁しえていたのです。

 鼠とは、そのような小さき者の死の象徴であり、死者への哀悼と云う意味でした。だから『羊をめぐる冒険』では、数年ぶりに再会した「僕」は鼠に対して、君はとうの昔に死んでいたんだね!と云う事が出来たのです。
 鼠は何故死んでも、霊魂として生きのびなければならなかったのでしょうか。それは『風の歌を聴け』のもの言わぬ死者たちが、祀られるだけではなく、英霊として呼び出され、「羊」なるものによって象徴されるあるものと対決せんがためです。「羊」なるものの正体が何であるか、それは前に書きましたように、戦後の青年たちを駆り立てた狂気のようなものでもあるし、自然なことを不自然だと云い張るキリスト教、その背後の西欧文明の価値観であるように私には思われます。これはこれで興味深く、村上春樹が新境地を開きつつあると云う事は言えると思うのですが、ここで問題にしたいのは村上春樹の中にある種の作家的変質が生じつつあると云う点なのです。

 『1973年のピンボール』は村上春樹の二番目の小説です。注目すべきは同棲している双子の少女の名前が名無しで、単に208、209と国道なみに呼ばれていることです。
 この個性と表情を奪われた者たちが、声なき声の住民、社会の片隅で生きる小さき者たちのなれの果てであることは明らかでしょう。読書界はこれを誤解して、クールだ、ポップだ、モダーンだ、と受け止めたようですが、結局この人たちは『風の歌を聴け』や短編集『中国行きのスローボート』に何を読んでいたのでしょうか。

 『中国行きのスローボート』では、アルバイトで知り合った中国系の女子再生は義理でダンスパーティーに誘ってくれたと思っています。別れ際、山手線の外回りと内周りに分かれて自分自身の迂闊さに驚く。その迂闊な行為を否定するために山手線が一周してくるのをプラットフォームでじっと待つのですが、再会してもいっそうそれが「からかわれている」と云う疑念を少女の側に誘発してしまいます。そうではないと云おうとして次に会うべく彼女のアドレスを聞き取りするのですが、「僕」はその日の自分自身の首尾に絶望して焼けくそになって空になった煙草の箱を投げやってしまいます。そのとき一緒に大事なメモを書いたマッチ箱の裏も飛んで行った、と云う話です。
 言葉が不器用で誤解を生むのは表現や所作が拙いからではありません。何かそれ以前の生きて来た時間の固有の屈折と云うjものがあって、少しずつ進路を狂わせてしまうのです。これは新しい時代の展開を前に60年代末期の青年たちが感じた不全感に実に正確に一致しています。『中国行きのスローボード』は、少なくとも鼠のように、変わったのは彼らで、変わることの出来なかった自分は被害者であると云う論理ではありません。言葉で主張しようとする時なにほどか人は言葉の特権性に寄りかかってしまいます。言葉で特権化されることのない、変動期の波間に消えていく社会的弱者と同じ目線で物事を見つめていた若き日の村上春樹がここにはいます。少なくとも作家村上春樹に生じた変質とは、言葉が持つ感受性についてのセンスだったのだと思います。