アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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村松剛『三島由紀夫の世界』 アリアドネ・アーカイブスより

村松剛三島由紀夫の世界』
2012-11-22 14:56:50
テーマ:文学と思想


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・ 浩瀚なと云う形容が相応しい書物である。単なる文学研究ではなく、生前親しくしていた友人ならではのエピソードを語るとともに、満遍なく三島の主要な作品にも触れている。この書の貢献は、ひとつは明治以降の平岡家の興亡に関わる歴史であり、いま一つは戦後の三島自身が造り上げたと言えなくもない伝説と実像を比べ合わせたことである。

 最初の方から云うと、近代以降の上流階級における平岡家の位置と云うものが分かる。何も知らないで世評だけ聞いていると平岡家の履歴を途方もないほど誤解してしまう、例えば『春の雪』での記述のように。
 云って悪ければ、平岡家は華族社会とは無縁で、謂わば盗み見るような「下女の眼」が根底にあったことは『朱雀家の滅亡』が明らかにしている。三島由紀夫が凄いのはかかる通常は本人にも解り難い秘密を意識化し作品の中で形象化して見せる手法である。そのことに於いて、実は出自に関わる出来事はそれほど大きな位置を占めていたのではないと云う事が逆に分かるのである。
 それでは、いま書いた本物の「上流階級」とは何だろうか。それについても『春の雪』が書くように、所詮は明治以降薩長が成りあがった即席の人工性を持った貴族社会であり、その小さなこだわりが清顕と聡子関係を引き裂く遠因として潜んでいると云う周到さである。
 ここから分かるのは、よく引き合いに出される祖母の溺愛を除けば、三島由紀夫の外的な自伝的事象は大きな意味を成さない、と云う印象をこの書から受けた。本書が、過剰な三島伝説を修正することにあるのであるから、当然であろう。

 二番目に、戦中体験についてはどうだったろうか。大きな出来事は二つ。一つは除隊に至る首尾一貫しない顛末、それから婚約破棄に至る、キルケゴールばりの出来事である。
 いまから思うと、この二つの出来事は些事と云うにしては余りに平凡であり、ここから神秘的な戦後の三島由紀夫の世界とでも云うものを紡ぎだして行く手腕にこそ驚くべきものがあると云えるだろう。
 前者は玉突きゲームのように偶然の跳ね返りが除隊と云う結果になり、深層裡には嬉々とした気持が潜んでいたと云う、皮肉な観察。
 後者は、隣の芝は美しく見える、ということだろう。安く見積もっていたフィアンセに背かれて、高いものについたと云う事だろう。
 三島に聴かれれば私も驚いて見せるだろうけれども、特段の経験であったとは思われない。

 三番目は男色伝説と右翼伝説、――狼少年が”狼だ、狼だ”と叫んでいるうちに悪霊の世界に取り込まれたのか、それとも誰も信じてくれるものがいないので、意地で鉄檻の中に入ってみせた、と書いたのでは身も蓋もない話になるのだろうか。

 四番目は、市ヶ谷の安手の田舎芝居、自分だけ死ねばいいものを内実は新風連どころか心中事件に近い様なお粗末さ、あくまで筋書きは先にあって、演繹的逸脱を極力恐れた官僚の形式主義的小心さは、最後まで三島に付き纏ったようだ。
 最後は、『豊饒の海』の連載と同時進行するかのように、三島と作家と死の三者のデッドヒートが演じられ、三人でゴールを切りました、と云う首尾の良さである。

 小説を読んだだけでは分からないことが、こうした評伝の類を読むと分かりやすくなることがある。
 もう一つこの書を読んで感じたのは、三島由紀夫は小説家であるだけでなく、偉大な劇作家でもあったらしい、と云う点である。
 最後の、市ヶ谷の三文オペラは別にして、三島の他者願望、転生願望が、役者と云うものの本質と合致し、最も彼向きの形式であったかもしれないからだ。そう言えば、三島の一番印象的な小説『憂国』や『英霊の声』なども、”憑依”と云う、小説と云うよりは演劇的精神の産物なのである。

 実はそんなつもりもなく手に取った三島に関する本なのであったが、今年もまた命日が近いのだった。あれから四十二年が経ち、私の年齢も三島の年齢を二十歳近くも越えてしまい、「本多」の醜悪さに近くなった。しかし日に日に身近に三島を感じられるようになったのは歳のせいだろうか。実を言うと、最近村上春樹を「小さき者の死」と云う観点から読み解こうとしている。あれほど明瞭に現れているのに村上ファンだけに見えないというのがまことにアイロニカルでミステリアスなのである。同様に、三島由紀夫もまた「小さき者の死」と云う観点からは語られることはなかったな、と思うのである。

 何でもない恋の行き違いと婚約の破断を、天下国家を論じる憂国の情にまで拡大するアクロバットな志向も凄いけれども、三島の他者願望や転生願望とは、そこだけが空白である幼年期の時間を返して欲しいと云う事ではなかったか。三島には普通の少年時代がなかった。覗き見る”下女の眼”で見る他はなかった。『豊饒の海』、第二部『奔馬』の最後にあるような、朝日に向かって切っ先を己が腹部に突き立てる超越の時間ではなく、大人たちの都合に翻弄された三島少年の「小さき者の死」があったのではないのか。

 三島の文学的に豊饒な表現力と云う点からすれば、『憂国』や『英霊の声』はモノクロの、色あせた小品なのかもしれない。しかし個人的にはこの期の作品が一番消えがたい印象を残す。
 他方、三島の死と併走するように書かれていた畢生の書『豊饒の海』はどうなのだろうか。転生の物語が、巻を経るごとに分かり難くなっていく。預言者と思われていたものが偽の預言者であり、登場人物たちもただの俗物になり下がる。日本の戦後のようではないのか。偽預言者はオディップスのように盲いて狂女との塵溜めのような環境の中で朽ち果てる。
 一番よく読まれている『春の雪』にしてからが、至高の愛が描かれているとは信じがたい。愛の手練手管のもどかしさには、いらいらさせられる。男が消極的で女の側で画策しないとドラマが動かないと云うのは、封建制美学の様式美である歌舞伎の設定そのままであり、愛と性の違いすら三島には分からなかったかのようである。

 三島は何故死んだか。なぜ固有のあの時期だったのか。それに答えた有効な回答を私はしらない。本書もまたそうである。三島自身が暗に予告していたからあるとは信じていたが、来年のことではないかと思っていたと村松は呑気なことを言う。
 同様に『風の歌を聴け』でデビューした村上春樹もまた、70年と云う固有の歳について語った。なぜ1970年なのか。

 三島由紀夫は「文士」という形容が似合わず、官僚エリートであると云う面影が、文学の質としてはやはり軍医総監森林太郎・鴎外に似ていると思う。言うまでもなく森林太郎の死もまた明治期との緊張関係に於いて奇怪にして怪異なものがあった。官僚としての森、作家としての鴎外、私人としての林太郎、三者三様の死は同一の生物学的死に皮肉に収斂する。
 鴎外の『興津弥五右衛門の遺書』や『阿部一族』は、死ぬ機会を逸したものの、もう一つの物語である。夏目漱石もまた『こころ』において同様の経緯を書いた。実際にどうであったかと云う事実関係や因果とは別に、ある種のデジャヴュ、既視感を伴って回想されると云う傾向がこの国の優秀な作家に限って文学史的に起こり得るのである。

 明治の末年と70年代、平和の中での「小さき者の死」。三島には後の「楯の会」のメンバーになる「論争ジャーナル」の青年たちの中に、自らは疎外されていた、”下女の眼”として眺め見られていた戦時下の若き英霊たちの群像と重なり合うものを初めて感じた。
 10・21新宿騒乱の夜は、クーデターの予感であるよりも、うんざりするような日常を、頽落した戦後を御破算に出来ると云う狂おしい欲求があった。しかし一転して60年代の反乱がどうも不発に終わりそうな予感の中で、60年代の英霊と戦中の英霊はピッったりと金環食のように重なりはじめる。幾度も死ぬ機会を逸してきたと云う刹那感は、事実関係を超越したある種の既視感を伴った実感として三島の中で空想的に肥大化する。
 こうして70年代の朝が何事もなかったように明けたとき、三島が殉じようとしたのは、天下国家、忠君愛国、でもなければ英霊の声でもなかったような気がする。
 1945年8月15日、悲劇は終幕を迎えつつあったけれども、画龍点睛を書くと云うか、主役が退場してしまうと云う不首尾があった。1970年10月、あれほど空前の盛り上がりを見せながら、不発に終わった祭のチラシだけが風に舞うといような侘しさだけがあった。

 見渡したら誰もがいないのであった。始発電車は定刻通りレールを軋ませて早朝のしじまに唸りを上げていく。
 黒板では龍の絵を前に、女の先生がチョークをためらうように差し出している。先生の目は、エル・グレコの絵のように涙で歪んでいたか。
 「ハイ!」と、自分でもびっくりするような声を出して三島少年は手を挙げた!そういうことではなかったのか。
 今度は頑張ったね、と私は言ってあげたい。

 

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